鎌倉 鶴岡八幡宮での発見とか妄想とか。
近くを通るたびにちらちら様子をうかがうのですが、いつも鶴岡八幡宮はものすごい人がいます。
そこで周辺のお寺の開門時間である9:00より前の時間帯ならすいているのでは?と早めに向かってみます。
何年か前に初めて鎌倉に来た時、鎌倉にはキリシタンの里があるなというの印象を受けました。ところどころにカトリックの片鱗があります。
私が思うに、日本と欧州との関係は、戦国時代のイエズス会の宣教活動から考えないと。「僑人の檻」という恐ろしい本がありますが、あまりに恐ろしくて読んだことがありません。ずっと「狂人の檻」だと思ってました。私は相対的にカトリックイエズス会に近いところで育ってきたので、遠藤周作の本はかなり読みましたが・・・
鶴岡八幡宮といえば源頼朝ですけど、
そもっそも八幡といえば
応神天皇(15代)。
「つるおかはちまん」ですが、「はちまん」「やはた」は同じですね。
自分の育った近畿は、古代だとか室町だとか幕末だとかでは舞台になりましたが、いわゆる鎌倉時代というのは縁遠い気がします。少なくとも私は、他の時代に比べて他人事な感じがあります。
あとで気づきましたが、今回の参拝でぼんやりしてて見逃がしたのが「武内社」。武内宿禰(蘇我の系譜)を祀る式社が本殿隣にあったようです。そして「宇佐神宮遥拝所」も!神功皇后、応神天皇、武内宿禰、宇佐・・・と八幡の堅牢なつながりがみられることに、私は大変な興味があります。
先日参拝した建長寺もそうですが、境内に稲荷神社があります。これも個人的にはとても興味深いところす。で心が動きます。妄想のしどころですね。
源氏が白旗、平氏が紅旗を掲げて戦うという配色が「紅白」合戦のルーツ、というのはわりと有名。しかし「紅白饅頭」とか、単にめでたいものの組み合わせにもされているし、ここらはどうなんでしょうか。そもそもここの本宮朱色や。鳥居も朱色や。朱色と紅色は別ものと区別しているのでしょうか。
あと、関係ないけど日本は「紅」より「赤」と表現されることが多いのも、何由来かわかりません。(中国語では「紅色」です。)
どなたか、ここらの事情をご存じでしたら教えてください。
藤沢、鎌倉、逗子では「新羅」三郎はじめ「新羅」がしばしば縁起や由緒説明にもみられること、聖武天皇の影が感じられることにも、心が動きます。やはり私は古代史からの 百済新羅→天智天武→源平→南北朝→ ・・・の妄想に取りつかれています。
本で読んでいるだけでなく、実際その場に立った時の雰囲気や空気感から受け取る、違和感または親和性の高さや既視感。そういうものってそんなに簡単にも単純にも排除できない気が、私はしています。
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