アジサイ

付き合ってから、隣にいるこの人と添い遂げるとずっと思ってた。
真面目で誠実で勉強熱心で嘘が下手、おまけに他の女には目もくれない。
大学で彼はガリ勉だとか草花ばかり見てるとか言われていたけれど、優しい口調で自分の知っていることを話してくれる彼のことが私は大好きだった。

ある日
「アジサイの色が抜ける所を見たことがありますか?」
と言われた。
そんなもの見たことが無いので無いなぁと適当に返事を返した。

「アジサイの花言葉は知ってますか?“移り気”と言うんですが、これは青や赤へ色が変わりやすいからつけられたそうです。」
「でも僕はそれ以外にも、アジサイの色が抜けていく様子も移り気に見えて仕方ないんです。」

通りがかりの生花店から鮮やかな青のアジサイを手に取り
「色が抜けていく様子を一緒に見てみませんか。」
と言われた。
同棲することの切り口としては無理があるな、と思いながらニッコリ笑って一緒の家で見ようねと返事をした。

アジサイは玄関近くに吊り下げられ、ドライフラワーになっていく哀れな末路を辿った。
それを見ながらずっとずっと彼はご機嫌だったから、少しの犠牲として弔っておいた。

同じ家で暮らすに連れ、少しずつ見えてくるものが増えてきた。
まずは大学の皆が言うとおり、彼は本当にガリ勉で草花ばかり見てるということ。毎日毎日ラジオの様に流れて来る異世界の単語は、私の頭に種を植え付けられているようだった。
次に私への愛は本当に深いものだけれど、それ以上に深く愛するものがあることを見せつけられると息苦しいことを知った。爛々とした目で私以外への愛を語る彼をどうしても受け入れられなくなっていった。

玄関に目を向けると、吊るされたアジサイの先の方から色が抜けていた。なるほど、あんなに深い青からこんなに色味のないセピアに変わるものなのかと感心してしまった。

「君だって、移り気になりたくてなったわけじゃないよね」
そっと吊るされたアジサイに話しかける。
真っ直ぐな青、晴天の青をお日様のもとで見つめていたときの二人は永遠を信じていた。
けれどあまりに綺麗だからといって閉じ込めてしまったら綻びが出てきてしまったのだ。

別れを告げたのは私の方からだった。あなたの愛は素晴らしいものだったけれど他の人に向けてほしい、だって私アジサイに興味なんてなかったもん。と伝えた気がする。
よく考えれば酷い別れ文句だが別れ方は酷ければ酷いほどいいと昔誰かが言っていたから良しとしよう。

未だに玄関にはアジサイが吊るされている。
すっかり青は抜けて白っぽいセピアのブーケになった。
色あせた思い出が形になっている、捨てられずにいる私は振った側なのに未練たらしいなと思うこともある。

いつかこのアジサイとさよならできる日が来るだろう。
また違う心へ移り気に止まった時、鮮やかに彩られる日が来るのだ。

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