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読書の記録 「おいしいご飯が食べられますように」 高瀬隼子

 第167回芥川賞受賞作品である。題名からは久しぶりに明るく読みやすい作品かと思った。
 
 実際読んでみると、人間の内面を綺麗な文章で書かれていた。現代に問題になってきた配慮する側と配慮される側と配慮してもらうことは迷惑だと考える側の三つの立場で描かれている。二谷、芦川さん、押尾さんの3人が物語の中心の人物となっている。
 
 この物語は、二谷、押尾さんのどちらかの視点で描かれているので、読者が共感するのは、この2人に対してだと思う。ものすごく細かく複雑に心情描写が描かれている。その部分部分に「それ分かる」となる。

 本当は、きつい思いを抱えているのにうまく伝えられない。きつい思いを伝えられる人は、周りの人に配慮され、うまく人と繋がれる。自分が持っている背景を人に伝えられる力が必要なんだなと感じた。

 おいしい食事をしたいということに共感できない二谷、きつい時にどうして時間をかけて自炊するのかわからない二谷、この二谷という人物には大変共感できた。

 世の中にある常識的なもの(ここでは自分の生きてきた経験を作り上げられてきたもの)を誰にでも当てはまると思い「羨ましい」、「でもいいよね。〜〜してあるでしょ?」と言った言葉かけをしてしまう。しかし、中には、世の中の常識的なものとは違う背景を持ち合わせている人ももちろんいる。この言葉かけに本当は違うのに肯定的にしか答えられない。会話を閉ざしてしまう。もちろんここでう「ちはこういうことなんで違います。」と言えれば楽ではあるのだが、それができれば苦労しない人も多いのではないかなあ。

 そういうことを立ち止まって考えるのにとてもいいお話でした。読了した感じは、もっとテーマ性が潜在していそうだが、私が1番気になったところだけを書いてみた。

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