[読書の記録]「授業で学級をつくる」土居正博
「授業で学級をつくる」ということを先輩の先生方や研修等で言われていたが、言葉の意味としては、わかっていた。しかし、実践するとなると具体的なイメージが湧かず、手探りなものしかできなかった。さらに、子どもたちのやる気が落ちたとき、どのように授業で言葉掛けを行うのかがイマイチ分かっていなかった。そのような問題意識から本書を読むこととなった。
わたしが参考となった部分を引用し、紹介しようと思う。わたしの見直すメモ程度なので、ほかの皆さんの役に立つかどうかは分からない。
それでは行ってみよう!!
授業中に子どもを見ていないと・・・・・・② 授業を通した学級づくりなどできようがない
この一節を引用している最中でも自分が授業中に子どもを見ていなかった部分がよく見えてきます。できている子を褒めて価値づければいいのに、できていない子どもに対して、呼びかけてしまう。
指名なし発言、指名なし音読の前段階としての「指名なし表明」
「音読できる人?」
音読できる人という問いかけは子どもたちはいつでも参加できる。立候補できる機会を全員に担保できる。また、これを繰り返していると、音読できる人?と聞かれるときに手を挙げようと決める子どもたちも出てくる。人前に出て、声を発するという機会を設けられるように意識していきたい。しかし、授業の進度を機にするとついついこちらで読み上げてしまう。また、子どもが読んでくれた後に、価値づけの一言を書けることを忘れてしまうことがある。そのときに、ああ、もう一度手を挙げてくれるかな?と心配になる自分もいる。授業をしながら、この方がよかったかなと省察し始める自分もいる。その度にこのような教育書に触れられるのは、若手の私としては、とてもありがたいことだ。理論的なことももちろん学んでいきたいが、実践的な声かけ、その目的を知ることも必要だと感じる。理論のある実践を見ることで、私の引き出しも増えていくような気がする。自信を持って子どもたちに声かけをすることができる。今の学級の子どもたちは、土居先生の教育書からアイディアをもとにした実践を多く経験している。今の課題としては、続けていくこと、言葉かけの引き出しの少なさだ。研究授業では、なかなか聞くことのできない、声かけの意図等を知ることができるのが良い。意図・目的を知ることで再現性のある実践へと変わるような気がする。あとは、こちらが選択していくと良い。まとまらない。
「手を挙げる」にも段階がある
手を挙げさせるときに、挙がらないとついつい、「えっ?書いているでしょ?挙げないと」と言ってしまう。「手を挙げる」ことにやる気が伝わってくる、次のことを頭を使って考えている等、子どもたちがやってよかったと思えるような価値づけの言葉があるように思う。このような言葉がけをパッとできればいいのだが、そのときにはなかなか思い浮かばない。その場が過ぎて、あっ!言わないと!と遅れてやってくる。過ぎたときにはもう遅い、そういった一瞬一瞬の判断や切り返しが必要になってくる。経験がものを言うのは本当のようだ。しかし、何も考えずに10年過ごすと意味がない。
「分からない」「教えて」「書けなかった」を言えるようにする
分からなかった子ども、書けなかった子どもには、こちらから友だちのを写せば大丈夫だよと声を欠けてしまう。しかし、その声かけの前に、今の自分の立ち位置を表明させる。書けたか書けなかったか、分かるか分からないかということをはっきりさせる。書けた子にも書けなかった子にもこの後の望ましい行動を考えさせ、子どもたちに決めさせる。そうすることで子どもたちは、自分で考えて行動するということできるようになる。同じような手立てでも、一度子どもたちに思考を通し、子どもたちの声をもとに行動を選択させていくことで積極性が変わる。その声かけが難しいのだ。この本には、教師の具体的な指導場面が多くあり、具体的な言葉かけがたくさんある。
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