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[読書の記録]「授業で学級をつくる」土居正博


「授業で学級をつくる」ということを先輩の先生方や研修等で言われていたが、言葉の意味としては、わかっていた。しかし、実践するとなると具体的なイメージが湧かず、手探りなものしかできなかった。さらに、子どもたちのやる気が落ちたとき、どのように授業で言葉掛けを行うのかがイマイチ分かっていなかった。そのような問題意識から本書を読むこととなった。

わたしが参考となった部分を引用し、紹介しようと思う。わたしの見直すメモ程度なので、ほかの皆さんの役に立つかどうかは分からない。

それでは行ってみよう!!

授業中に子どもを見ていないと・・・・・・②  授業を通した学級づくりなどできようがない

これだけでは不十分と言わざるを得ないのです。授業中であっても、「学級づくり上で重要な子どもの言動や様子」を見ることが欠かせません。

p.55

算数の授業でも、算数の内容を習得しているかを見ながら、同時に、子どもたちが他者への配慮ができているか、そのような行動をしている子はいないか、丁寧に物事に取り組んでいるか、スピーディーでメリハリのある行動ができているか、など学級づくりの観点でも子どもを「見る」必要があるのです。

p.55

この一節を引用している最中でも自分が授業中に子どもを見ていなかった部分がよく見えてきます。できている子を褒めて価値づければいいのに、できていない子どもに対して、呼びかけてしまう。

指名なし発言、指名なし音読の前段階としての「指名なし表明」

いわば「指名なし表明」です。この「指名なし表明」の長所を二つ紹介します。

p.107

計算を終え、答え合わせをした後、私は「今日の目標を達成した人?」と尋ねます。そして、「自分で決めた目標に向けて頑張ったことは素晴らしいことです」と伝えます。そして、みんなで拍手をします。全員が全員の目標を聞くことで、「みんな違う目標をもって当たり前」「それに向けて頑張った人を祝福する」ということを毎日経験することになります。

p.108

「音読できる人?」

明らかに読めるのに、音読への立候補が少ない場合は、「そうか〜読めないか、仕方ないね。こうやって初めて見た文をしっかり音読できるかどうかは、自分に音読の力がしっかり育っているか試せるチャンスなのにねぇ〜。いつも音読の宿題で出ているものはスラスラ読めて当然でしょう?こういう初めて見る文をスラスラ読めるか、が重要なんですよ。もう一度、聞こう、ここ音読やってみる人?お!君たち挑戦しようという心があっていいね!よしじゃあ三人に読んでもらおう。どうしても読んでみたい人?」などといった感じに明るく面白い感じに「詰め」つつ(?)、なおかつ「初読で読めるかどうかを試せるチャンスなのだ」という大切なメッセージは伝えていきます。初めは立候補が少ないかもしれませんが、こうしたことを続けていき、「ここ、音読できる人?」を繰り返し続けていけば、どんどん手を挙げる子どもが増えていきます。

p.109

音読できる人という問いかけは子どもたちはいつでも参加できる。立候補できる機会を全員に担保できる。また、これを繰り返していると、音読できる人?と聞かれるときに手を挙げようと決める子どもたちも出てくる。人前に出て、声を発するという機会を設けられるように意識していきたい。しかし、授業の進度を機にするとついついこちらで読み上げてしまう。また、子どもが読んでくれた後に、価値づけの一言を書けることを忘れてしまうことがある。そのときに、ああ、もう一度手を挙げてくれるかな?と心配になる自分もいる。授業をしながら、この方がよかったかなと省察し始める自分もいる。その度にこのような教育書に触れられるのは、若手の私としては、とてもありがたいことだ。理論的なことももちろん学んでいきたいが、実践的な声かけ、その目的を知ることも必要だと感じる。理論のある実践を見ることで、私の引き出しも増えていくような気がする。自信を持って子どもたちに声かけをすることができる。今の学級の子どもたちは、土居先生の教育書からアイディアをもとにした実践を多く経験している。今の課題としては、続けていくこと、言葉かけの引き出しの少なさだ。研究授業では、なかなか聞くことのできない、声かけの意図等を知ることができるのが良い。意図・目的を知ることで再現性のある実践へと変わるような気がする。あとは、こちらが選択していくと良い。まとまらない。

「手を挙げる」にも段階がある

「どうせ手を挙げるなら、人を見て挙げるより、早い方がかっこいいよね」「(パッと挙げた子たちに対して)君たちは本当にやる気があるのが伝わってくるなぁ」「言われて迷わずパッと手を挙げられるのは、次に何をするのか?ってよく頭を使っている証拠です。」

p.114

手を挙げさせるときに、挙がらないとついつい、「えっ?書いているでしょ?挙げないと」と言ってしまう。「手を挙げる」ことにやる気が伝わってくる、次のことを頭を使って考えている等、子どもたちがやってよかったと思えるような価値づけの言葉があるように思う。このような言葉がけをパッとできればいいのだが、そのときにはなかなか思い浮かばない。その場が過ぎて、あっ!言わないと!と遅れてやってくる。過ぎたときにはもう遅い、そういった一瞬一瞬の判断や切り返しが必要になってくる。経験がものを言うのは本当のようだ。しかし、何も考えずに10年過ごすと意味がない。

「分からない」「教えて」「書けなかった」を言えるようにする

出された課題に対して考えを書けない子がいる場合があります。そう言うときは、「今の問題、正直難しくて何もノートに書けなかったよ、という子?」と聞きます。ここで手を挙げた子に対しては「えらい。隠すのではなく正直に言えたね。そういうことが大切なのです。これから後はどうすればいいかな」と言います。そうすると十中八九「友だちの話をよく聞こうと思います」とか「聞いてメモします」と言ってくれます。そうしたら、「友だちから学ぼうね。授業の最後に、友だちを真似してでも自分の考えを書ければ大丈夫だよ。最後に聞くからね。手を挙げなかった子は考えを欠けているようだから、書けなかった子たちのためにどんどん言いましょうね」と書けなかった子がどうすればいいか具体的に示します。このように指導すると、考えを書けた子も、友だちのために積極的に意見を言おう、という気持ちにさせることもでき、一石二鳥です。

p.127

分からなかった子ども、書けなかった子どもには、こちらから友だちのを写せば大丈夫だよと声を欠けてしまう。しかし、その声かけの前に、今の自分の立ち位置を表明させる。書けたか書けなかったか、分かるか分からないかということをはっきりさせる。書けた子にも書けなかった子にもこの後の望ましい行動を考えさせ、子どもたちに決めさせる。そうすることで子どもたちは、自分で考えて行動するということできるようになる。同じような手立てでも、一度子どもたちに思考を通し、子どもたちの声をもとに行動を選択させていくことで積極性が変わる。その声かけが難しいのだ。この本には、教師の具体的な指導場面が多くあり、具体的な言葉かけがたくさんある。


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