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『木になった亜沙』(短編集「木になった亜沙」より、同名の一編)

『木になった亜沙』(短編集「木になった亜沙」より、同名の一編)
今村夏子著


一言で言うと、どういうわけだか、自分が触れた食べ物は、誰にも食べてもらえない少女亜沙の儚い物語。亜沙はスノボの事故で、杉の木に転生してしまうが、伐採されて、わりばしになる。


非常に訳の分からない物語なのだけど、キーワードを挙げてみる。

「ひまわりの種」

1. 成長と転換:成長や変化のシンボルとなる。

2. 希望と向上心:前向きな意志や目標に向かって進む力を象徴する。

3. 豊穣と繁栄:農業社会では、ひまわりの種は豊かな収穫や生活の豊穣を象徴する。

4. 健康:健康や生命力を象徴する。

物語の始まりで、亜沙は、ひまわりの種を炒ってもらって、感動する。
これほ、亜沙が、純粋無垢な人間であることを示していると理解した。

「逆です、きみの手は、きれいすぎる」
これは、亜沙が、自分の悩みを先生に打ち明けた時、先生が、語った答え。「手が、きれいすぎる」とは?先ほどのひまわりの種を受けて、真っ直ぐな人間、無垢な人間ということを語っている。一般的には、純粋さや罪悪感のなさを表す言葉なので、幸せに生きる上では、有用なものと考えるものなのだけどね。

「無垢」な人間は、現実社会や他人の悪意に対して無防備でもあるわけで、そのような場合、悲劇的な結果をもたらす可能性がでてくる。

こんなことから、この物語のテーマは、純粋無垢な人間の現実社会での不遇を暗に批判したものなのかなあと思ったりした。

救われることは、亜沙が、割り箸となってやってきた若者の家には、亜沙と同様に、現実社会で、不遇を経験して、散っていたものたちが、リュックやハンガーとして、守られていたということ。

現実の社会は、そんな若者を追い詰めていく。割り箸となった亜沙は、決死の思いで、戦い、消えていく。という何とも儚い社会の実態を示された。

どう受け取ったら良いのか、なかなか、悩まされだろうなあと思った。

自分の中の信念を貫くことって、難しいことだと思う。ベースとなる哲学とか、信仰心を持っていないと、埋もれてしまうのだろうなあ。

人からの評価に惑わされないことが、あまりにも大切なことなのだけど。

神様の目線で、正しいものは、必ず守られると信じることが求められているのだと改めて思わされる。

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