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愚痴を言うのが嫌だ

「愚痴を言うのは嫌」という方がいます。
みんなで誰かをおとしめているようで、不快に感じるとのことです。
確かに、ネガティブな感情を発散して共有するだけにとどまらず、みんなで特定の人を悪く言ったり、そう思ってない人まで巻き込んで同じ論調にしたり、一緒になっていじめたり、といったように事が大きくなってしまう場合もあります。それを考えると、愚痴はやめておこうというのも頷けます。

溜め込んで我慢してやり過ごす

けれど、その場合、自分自身のストレスはどうなるのでしょうか?
もちろん、愚痴以外の方法で上手に発散している人もいます。しかし、案外、我慢して溜め込む人が多いようです。
どんなに大きなダムもずっと水を溜め続けることができないように、ストレスを我慢して溜め続けることは難しいです。どこかで決壊してしまいます。たまに放水して水量を減らすのは、理にかなった方法です。

愚痴は、ずっと昔からあるストレス解消法

振り返ってみると、愚痴というのはずっと昔からあるストレス解消法です。淘汰されずに生き残っているのは、役立つ方法の証とも言えます。誰かをおとしめるのではなく、ただ普段のストレスを外に出し、誰かと共有するのなら構わないのではないでしょうか。

では、誰かをおとしめないような愚痴り方は、どうすると良いのでしょうか?

主語を私に変えてみる

答えの一つは、主語を「私」に変えることです。「あの人は、こんなことを言うのでひどいヤツだ」ではなく、「あの人との間でこんなやり取りがあって、私は腹がたった」といった感じです。もちろん、こういう言い方をしたからといって、相手をおとしめる雰囲気にならないわけではありません。しかし、主語を私にすると、相手を断定するのではなく、自分が感じたことを表現するのに留まります。いくらか歯止めがかかるのではなでしょうか。

愚痴を積極的に勧めるわけではありませんが、ずっと我慢している人にとって、たまにはネガティブな気持ちを外に出すことも必要ですよ。



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