見出し画像

7月22日~28日のきろく

はじめまして、なつみです。
続くのかな~?よろしくお願いいたします。


****


7月22日 にちようび

野外フェスで外にいたら熱中症になってしまった。
自分が暑さに弱いことは百も承知なので、対策は万全で望んでいた。
ぼうし、サングラス、日焼け止め、タオル、水分たくさん、パウチの熱中症対策用の飲み物は全部凍らせておいた。あと、塩分のタブレットも買った。
当日はたくさん水分は飲んだし、塩分のタブレットもたくさん食べたけれど、それでもだめだった。たぶん、わたしは暑さに弱い芸人なのだ。

フェスは途中で抜けて涼しいところでキャラメルオレを飲んだ。
つめたくて甘くてとてもおいしかったけれど、頭が痛くなってきていた。
そういえばなにも食べてなかったことに気づいて、前に塩分補給にはうどんがいいよ、とお医者さんに言われたのを思い出したので、うどんを食べることにした。
うどんとちくわ天とからあげ1つを頼んだけれど、うどんは3分の1くらい食べられなかった。

帰りの電車でだんだん気持ちが悪くなってきて、乗り換えのタイミングでトイレに行ったけれどおさまらず、駅の救護室で少し休ませてもらった。
警備員のおっちゃんはやさしくて、氷いる?とか冷房下げる?とかいろいろ聞いてくれたけれど、話す元気がないくらいしんどかったので、ほっといてほしいなあと思いながら横になった。
あと、おっちゃんの歯がマンガみたいにぼろぼろだった。わたしも歯医者に行かないと。

1時間くらいすると自力で帰れそうなくらいには回復したので、おっちゃんにお礼を言って帰った。
頭ががんがんしてまたいつ強烈な吐き気がくるか不安で、早く着けーってずっと思ってた。

帰ってすぐに冷房を入れた。いつもより2度くらい下げておいた。部屋が冷えるあいだにがんばってシャワーを浴びた。お湯はいつもよりぬるめにしておいた。
シャワーを出ると頭痛が少しましになっていたので、洗濯だけまわすことにした。水分をたくさんとって、明日仕事いけるのかなあと思いながら準備した。

洗濯ものを干して寝た。
22時に寝ようと思っていたけれど、18分すぎてしまった。

保冷材をくびにあてて寝るのは気持ちよかった。


****


7月23日 げつようび

朝起きて重すぎるからだを引きずって準備した。
おなかはすいているような気がしたけれど、食べたらまた気持ちがわるくなるような気がして、野菜ジュースだけ飲んだ。
いつも朝は低血圧だからかしんどいし、このしんどさが熱中症のしんどさなのかどうなのか分からなくて、とりあえず会社に行くことにした。

仕事を始めると自分がめちゃめちゃに調子がわるいのがわかった。
すぐにでも帰りたかったけれど、またすぐに電車に乗らなきゃいけないのも気が引けて、とりあえず調子がわるいまま作業を続けた。

1時間半くらいして冷房がとても寒くて、これはふつうじゃない、と思った。冷房は基本的に苦手なのでカーディガンはいつも着ている。それでも尋常じゃないくらいに寒くて、周りの人はカーディガンすら着ていなくて、異常事態であることに気が付いた。

「熱中症 翌日」とか「熱中症 寒気」とかで検索する。どうやら熱中症により自分で体温が調節できなくなって寒気を感じるらしく、そうなったら病院に行くべきとのことだった。あと、昨日の頭痛とか吐き気も熱中症ではかなり危険な症状らしいことがわかった。

早退して病院に行くことにした。午前中の診療にぎりぎり間に合う時間だった。
引っ越したばかりでかかりつけの病院がなかったので、とりあえず家の近くの内科を検索する。2件候補があがったが、1件はおじいちゃん先生とのレビューがあったので、なんとなくもう1件のほうに決めた。

病院につくと、中は女性の患者さんでいっぱいで、こっちにしてよかったなあとなんとなく思った。「熱中症で…」と言ったら急患扱いにしてくれたのか、すぐに名前を呼んでもらえた。予約していたであろうほかの患者さんには申し訳なかったけど、ありがたい。

血圧を測って、ベットに寝かせてもらった。診察をしてもらうと、お医者さんは風邪の可能性もあると思っているみたいだった。とりあえず点滴してほしいなあと考えていると、それを察してか否か、点滴しましょうと言ってくれた。

点滴の前に採血された。注射は昔から苦手だ。でも痛くても泣かずにいられるほどには大人になった。点滴はソルデム3Aという種類だったのだけれど、大学の教科書に載っていたのはソルデム2Aだったことを思い出して、何がちがうのかなあとぼんやりしながら少し眠った。

点滴が終わるとなんだか手のひらがぴりぴりしびれていた。でもなんだかご飯が食べられそうなほどには回復していて、点滴はすごいなあと思った。
帰って今度は家のベットで眠った。起きて24時間ぶりの固形物を口にした。


****


7月24日 かようび

たくさん寝たはずなのにやっぱり今日も身体が重たかった。朝は苦手だし、これからもきっとずっと朝は苦手なんだろうと思う。
朝ごはんに納豆を食べた。久しぶりの納豆は美味しい。いつも夜ごはんに食べようと冷蔵庫にストックしてあるのだけれど、他のおかずでおなかがいっぱいになってしまって、納豆までたどり着かない。これからは朝に食べることにしよう。

会社に着いて作業を始めると、やっぱり昨日の調子の悪さは異常だったんだ、と思った。病院にいっておいてよかった。少し頭が痛い気がするけれど、耐えられる程度だ。

昼ごはんの後で、これからもっと頭痛がひどくなったらいやだな、と思ったので薬を飲んだ。というか、これは風邪なのだろうか?昨日お医者さんも疑ってたし。今日の朝はなんだか鼻水が出たし。

早退するほどしんどくはないので、引き続き水分塩分をしっかりとって今日も早く寝ることに決めた。
仕事が終わって家に着くと、病院から電話がかかってきて「その後、体調はどうですか?」と聞かれた。いい病院だ。ほかの患者さんの感じからして熱中症でくる人が珍しいからなのかもしれないが、次の日にも気にかけてくれるなんて、すごい。今までにはない病院だ。

桃がやっとやわらかくなっていたので食後のデザートに食べた。今回は中が赤っぽい桃だった。この夏は3回くらい桃を食べたけれど、どれも味は微妙だったし、今日のも微妙。もう桃はお店で食べることにしようかな。そのほうがきれいにむいてくれているし、間違いなくおいしいし。
今年の夏は暑すぎて、保存状態がむずかしい。調子よく熟れてくれないし、かといって放置しすぎると状態がわるくなる。やっぱりお店で食べよう。
桃スイーツが気になるカフェが3件もある。


****


7月25日 すいようび

グラフの色、何がいいかな?赤・青・黄だったらださいかな?と聞かれた。
資料の全体的な雰囲気もわからないのに、いきなりグラフの色だけのアドバイスを求められても困る。
色彩マスターでしょ、といわれてさらに困る。たしかに色彩検定2級は合格したけれど、色の勉強というのはそういうんじゃない。

昔から色が好きだったのだけど、「色が好き」というのもなんだか抽象的すぎて自分でもよくわからなかったので、ずっと気になっていた色彩検定を昨年受けた。

色を統計的に分けたり、配色の法則、効果的な使い方などを学んで、いままで感覚で組み合わせていた色に言葉で説明がついた。色が苦手な人ほど勉強する価値がある検定かもしれないなと思った。

色を勉強するというのは、こういう状況だったらこれもありだしあれもあり、見せかたをこういう風にしたいならこれもありだしあれもあり、というように色の選択肢が増えることだ。
この場合はこの色、と一問一答のように正解は決まらない。

だから、全体を見せてくれたらアドバイスできる、と返しておいた。

そういえば、専門的な知識を身に付けるほど、自分がどこに向かおうとしているのかよくわからなくなることがある。
特定の分野に詳しくなったからといって、ひとつ残らず情報を網羅しているなんてことはありえない。深く勉強すればするほど知らないことが増える、と聞く。

その分野に全く詳しくない人から質問されたときに、自分が知らないことだったり聞いたことない単語があったりすると焦ってしまうのがいやだ。なにがって、知らないことを気づかれちゃいけない、と思ってしまう自分がほんとうに恥ずかしい。

同様に、完璧な専門性をだれかに求めるのもちがうんだな、と思う。
「えーそんなこともしらないのー」という態度は、誰に対してでも、どんな状況であっても、もう使わないと決めた。


****


7月26日 もくようび

人身事故で電車が遅延した。
月9の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」で練くんが音ちゃんに、「人身事故があって、人身事故ってことはつまりそういうことなのに、電車が遅れて舌打ちをする人がいて、それが苦手で」と話す場面を思い出してわたしがきっと泣いてしまう。

あのドラマはとてもよかった。めちゃくちゃ好きだ。秋からだんだん寒くなってきて、主題歌の「明日への手紙」が聞きたくなったら、そこから季節は冬なんだと勝手に決めている。

練くんごめん。舌打ちこそしないものの、電車が遅れて「あちゃー」と思ってしまうほうの人間です、わたしも。
はじめて人身事故に遭遇した子供のときだったら、こんなふうには思わないんだろうなあと少し寂しくなる。「じんしんじこってなあに?」と聞いたときの大人の返答がイメージを決定づけるのでは、と思う。
やっぱり、第一印象は大事なのだ。はじめて会う人も、はじめて聞く言葉も、はじめて見る風景も。

「電車と人がぶつかっちゃったから、どんなケガをしてるのか調べてるんだよ。だからしばらくのあいだ電車こないんだって」
こんなふうに事実だけを説明すれば、先入観なしに自分の感想を持ってくれるだろうか。

さいきん、親になることが昔より現実的に感じられて、未来の子供をどんなふうに育てていこうか、考える機会が増えた。
子供には自己肯定感が高く育ってほしいと思っている。そのためにまず、わたし自身に自己肯定感のかけらもない原因を探っている。

某社長さんと女優さんの恋愛の話で、「可愛がられて育ったのがあふれ出る幸せそうな表情、自分がうれしいと感じたことはみんなも喜んでくれると思っている、あんなふうに育てた親御さんすばらしい」というコメントが頭から離れない。

SNSにあがる女優さんの笑顔はとてもうれしそうでしあわせそうだ。好きな人が目の前でカメラを構えてくれていて、「いいよーかわいいよー」なんて言ってくれたらあの表情になるのもわかる。
でも、それをSNSにアップしたいと思う気持ちはわたしには全くない。一般人なのに。仮に芸能人であったとすればなおさらアップしない。

今日学校でうれしいことがあったよ!と話すと、親がまるで自分のことのように喜んでくれて、その延長で、デートした!たのしかった!この写真見て!と誰かに伝えたくなるのか。
なるほど。これは目からうろこだ。学校であったことを親に話した記憶がないわたしには皆無の感覚だ。
自己肯定感が低い原因がまたひとつわかった。


****


7月27日 きんようび

今日はnoteを3ヶ月ぶりに投稿した。
投稿した日にスキを4件もしていただいたのはじめて!うれしい!読んでいただきありがとうございます。

いままでnoteはスマホで書いていたのだけど、今回パソコンで書いてみると圧倒的に使いやすくて感動した。タグもつけやすい。
スマホのアプリからだとできることが限られているらしい。スキのリアクションも出ないし。みんなのフォトギャラリーもどこから選べるのかわからない。

このまえストレングスファインダーを受けたのだけど、強みの2番が「内省」で、文章を書くのと相性がいい、とあった。

たしかに、いつも何かしらを考えている。でもそれを声に出すわけじゃないから頭の中をすごい勢いで流れていて、そのまま消えていってしまうのがずっと気になっていた。

日記を書こうと思うのだけど三日坊主で、スマホにメモするのもなんだか続かない。
だから、というわけではないが、noteに思ったことを書くことにした。
毎日投稿するのはできる気がしないので、7日ごとにまとめて週に1回投稿することに決めた。

書き始めるとなんとなく楽しくて、続けられる気がする。
ざ・日記、の日常の記録の日もあれば、思い付いたトピックをつらつら書く日もあっていい、自由にやろう。

そういえば、今日のnoteを投稿するにあたって、エッセイとコラムの違いを調べた。結局あまりよくわからなくて、なんとなく「エッセイは自由に書いていいんだな」と察したのでエッセイのタグをつけた。
今回の日記的な連載(?)は、日記とエッセイのあいだみたいだ。がんばらずにがんばろう。


****


7月28日 どようび
コードブルーのスペシャル版がテレビで放送された。その中でPTSDの克服についてとりあげられていた。

大学で医療を勉強したものとして、昔から心理学やこころの病気に興味があるものとして、とても興味深かった。
PTSDをはじめとするこころの病気の治療では、つらい記憶をあえて思い出して向き合う方法がとられることがある。ドラマ中でも、トラウマとなっている場面を何度も話し、少しずつ少しずつ克服していった。

つらい記憶を何度も思い出すのは、どんなひとだってしんどいことだ。こころの病気じゃなくても。

そもそも、こころの病気だと気づいて病院に通える患者さんは少ないはずだ。病気に気づくハードル、通院するハードル、通院先でつらい記憶と向き合うハードル。克服するには本当に大変なことだ。時間もかかる。未然に防ぐことができたらどんなにいいだろう。

つらい記憶と向き合う。自分はどうだろう、できているだろうか。
逃げてばっかりな気がする。


****


7月22日~28日のきろく おわり → つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?