多賀山リョウ | Tagayama Ryosei

不動産業界に身を置きつつ、ここでは仕事とはあまり関係のない話たちを中心に。グッズ販売の…

多賀山リョウ | Tagayama Ryosei

不動産業界に身を置きつつ、ここでは仕事とはあまり関係のない話たちを中心に。グッズ販売のお手伝いさせてもらってます。https://suzuri.jp/SHOP-CORAL ラジオ/ドラマ/お笑い/スマホ初心者(2022〜)/AVIOT/平和のために動き働く人々に寄り添いたいです。

最近の記事

悔しがっている暇はない

僕の特技の一つに、「強風の中でも傘を裏返させない」というものがある。 元々は、傘の生涯使用本数を最小限に抑えたいという気持ちからだ。 テレビで時々見る、駅の忘れ物保管室の映像が忘れられない。 そこには大量の傘が置かれていて、取りに来る人なんてほとんどいないという現状。 僕は倹約家ではないが、まだまだ使える傘が廃棄になることは(保有者が数ヶ月で資格を失うなら、欲しい人に譲ることもできそうだが)食品ロスと同等くらいに、もったいないと感じてしまう。 僕個人の取り組みとして

    • 久しぶりのヘリコプター

      先月から今月にかけて、晴れる時は晴れているが、ふとベランダの手すりを見ると雨露がついていたり、外にいて小雨が降りだす状況に何度も見舞われた。 その中の一時期は、毎日日本のどこかでゲリラ豪雨や落雷があり、僕の家のすぐ近くにも雷が落ちるなど身の危険を感じていた。 数日前、世間で言うお盆初日、夜に知人と少し外に出かけた。 お盆中、特に大きな用事もない者同士、ちょっとは歩かなきゃなと待ち合わせてみたものの、夜でも少し歩けば大汗の気候に早くもグッタリしていた。 そんな時、上空に

      • 水の週間

        昨日のもうすぐ日が落ちそうな頃、それでも屋外はとても暑かった。 普段は飲み物を持ち歩いているが、疲れていたのかそれもいよいよ忘れてしまい、2時間水分補給なしであちこち回る。 序盤の30分くらいから喉の渇きを感じていたので、2時間も経つ頃には少し生命の危機を感じるまでになる。 僕はコンビニの飲み物というものを何年も購入していない。 スーパーで買った安い飲み物を、自宅冷蔵庫で冷やして持参という生活が当たり前になっている。 しかし今日はその飲み物を忘れてしまった。 最終

        • イタリアのボランティア事業

          学生時代、学校から「夏休みを利用してボランティアをしてみてはどうでしょう」と提案されたので、僕は7月の終わりに近くのボランティアセンターを訪ねた。 まずは塾の一室のように机と椅子が用意された部屋で十数人が説明を受ける。 どのような種類のボランティアがあって、一人ひとりに合ったボランティアをマッチングしたい、 そんな雰囲気が始まりそうだった矢先、この場を取り仕切るボランティアのプロが放った言葉は、 「あー、学生が進学を有利にするためだけにボランティア経験をしに来るんです

          スタート台に立たないとレースは始まらない

          僕は何かの日本トップランカーになったり、日本を背負って世界と戦ったことがない。 スポーツはそれなりにしていたが、めちゃくちゃな家庭の中で怒号と共に朝目を覚まし、身支度をして玄関を出た瞬間に抜群のプレイヤーの道を歩めるなんてことはない。 トレーニングを始める瞬間にはもう精神的に疲弊しているので、効率良く自身を鍛えられるはずもない。 一流の選手には大体家族の応援がある。 選手の家族がメディアに出ないとしても、選手の口から「家族」という言葉は当たり前のように出る。 日本を

          スタート台に立たないとレースは始まらない

          未来への投資

          大人から、子どもさんや学生さんへのメッセージとして、「つらかったら逃げてもいいんだよ」という文言を目にすることがある。 もちろん大人が子どもに発信し続けることは良いことだと思う。僕が子どもの頃、ここまで大人からのメッセージを受け取っていたかというと全くだし、そのせいか当時の僕は大人になった時のビジョンなんて何も湧かなかった。 僕には将来の夢がなかった。 警察官、消防士、サッカー選手、野球選手、医者、弁護士。文集や短冊に、こう書いておけば大人が喜ぶんだろうな、ただそれだけ

          アテンションエコノミー

          今回の都知事選、僕はギリギリ東京都外なので、立候補者の実績やマニフェスト、演説の内容などを少し調べてあとはほぼ傍観するようなイベントだった。 都知事を決めるということは、都民の未来を一番に考えてくれる人を決める側面もある。 それなのに、立候補を個人活動の宣伝に利用する行為が横行し、都民全体の未来もしくは東京都の行く末を、もしかしたら人生で一度も考えたことがないのではないかという人まで立候補していた。 しかし都知事選というものには以前からそのような人は見受けられた。 子

          アテンションエコノミー

          再会と感謝

          僕はワクワクと目を輝かせて、夫妻に問いかけたかった。 「あのう、結婚式にいくらかけたんですか?」 「結婚が決まった時の感情、覚えてます?」 日曜の昼間、僕の前で知らない夫妻が大喧嘩をしていたのだ。 子ども向けの爽やかで賑やかなイベント、巨大公園の出入り口、周りの家族連れもみんな、嫌そうな顔をしていた。 そりゃそうだ、みんな笑顔になるためにここに来ているのであって、知らない人の喧嘩を見に来ているわけではない。 ましてやみんな「家族」で来ていて、「家族」が脆くも崩れて

          志のバトン

          現総理大臣が、元総理大臣の三回忌にあたりSNSに投稿したへの言葉。 僕は一体誰から志のバトンを受け取るのだろう。 まだ誰からも受け取っていない。 何かを極めて、突き進まなければ、僕にバトンを渡そう、もしくは幻想であっても、この人からバトンを受け取ったんだと自信を持つことができない。 僕の志とは、大きく言えば平和で。 そうなればたくさんの人が僕にバトンを渡してくれるはず。 だけど僕は平和への貢献度がまだまだ低い。 だから誰もバトンを渡そうなんて思わない。 もっと

          銭湯

          何年も前、僕は疲れ切っていた。 それは、自身の過去を振り返っても苦しく、現状を見ても苦しく、それならこの先歩むであろう道は真っ暗で。 まずは仕事を辞めたかった。 でも、働く人間ではあり続けたい。 大変な仕事に変わりはなくとも、働く環境を変えることで精神的に良い方に向かう、(かもしれない or こともある)と聞いたことがある。 つらいと分かっていながらつらい業務を日々こなすことが「つらい」の核たる原因となっているケースもある。 であるなら、新しい世界に飛び込んで、良

          絆の橋

          緩い登り坂、とは言え自転車で漕ぎ続けていると、どんどん体力が奪われる。 ここは、川に架かる橋の上の前半だ。 大きく長いこの橋の下を流れる川は、さほどの幅はない。 ならなぜ橋がこんなにも長いのか。 過去数百年とここに流れ続けているであろう川が氾濫を起こしてきた歴史の教訓なのか、河川敷の位置が異様に高い。 この河川敷の高さに合わせて車が通行できるような無理のないアーチ状の橋を架けるとしたら、このような巨大な橋が出来上がるのだ。 橋の全長を3等分して、中央の1が河川敷と

          マントルさん

          僕の親は、やることなすことが何でも裏目に出る。 道端の弱そうなお爺さんに噛みついたら、どこかのお偉いさんだったり、 不満があって会社に問い合わせようと電話をかけても、既に迷惑者と登録されているのか出てもらえなかったり、 不良になんか絶対になるな、と声をかけることで、この人が「嫌がる人」になるため不良を量産する結果になっていたり、 隣人の「危ない人」に威圧的に注意したら両手にナイフで暴れられたり、 出身大学を伝えてマウントを取ろうにも、そんな良い大学を出ているようには

          平和のため

          首都圏生まれ首都圏育ち、修学旅行など半ば強制的な行事でなければ関東から出ることもない人生を僕は送っている。 それでも日本中からこちらに上京して来る人はいるわけで、「テレビ以外で関西弁を本当に使っている人」を大学以降、よく見かけるようになった。 その大学時代、関西には含まれない西日本のとある県から上京してきた同級生と仲良くなり、「とにかく地元には何も無い、ろくな大学も無いから(本人談)東京に来た」と上京理由を語ってくれた。 18年間その地域で暮らしていたとは思えない、スム

          「個人力」を学べる場所

          お笑い芸人さんはよく言う。 「事務所所属と言っても固定給ではないから実質個人事業」 だからこそ同じ事務所に所属していても、常に週刊誌に狙われる人から、何をやっても世間に知られることのない無名の人まで存在するくらい、実力主義の世界。 役者さんやタレントさんも似たようなものかもしれないが、僕が常々不思議に思うのは、 一つの仕事(番組)を成立させるのに、一つの会社所属の出演者だけにはしていないこと。 一般的な会社では、基本的には一つの会社の中で仕事を成立させる。 他所に

          「個人力」を学べる場所

          共に生きる

          僕はずっと身体の調子が悪かった。 幼少の頃は、言葉を発すること、笑うことを封じられ、何かに対して、誰かに対しても何も思わない癖を身に付けていった。 何かを思ってしまうと、それが言葉や表情に表れ、ダメージを受けることになるからだ。 それが人間として間違っていると指摘するかのように、次第に身体的症状に異変が表れてくる。 身体が重い。身体を起こすための力すら湧き出てこない。巨大なビニール袋の中に入った常温水を、上から全身に押し付けられているような感覚。 食欲もない。食べ物

          ふりかけの日

          僕は子供の頃牛乳が苦手だった。 色の割には味がしない所もそうだが、生き物から搾り取った液体を飲むという事実がなんだか受け入れられなかった。 「そもそもこれを飲むのは人間じゃなくて子牛では?」 子どもの僕は心の中でずっと訴えていたが、どうせ大人にねじ伏せられるだろうと諦めて表面上は黙っていた。 大人たちはとにかく身長や身体の成長を気にするので、僕の牛乳嫌いをどうにかしようとしていたが、魚、大豆製品、野菜、海藻類などカルシウム含有率の高い食品は大体好きだからか、ちゃんと身