平和のため
首都圏生まれ首都圏育ち、修学旅行など半ば強制的な行事でなければ関東から出ることもない人生を僕は送っている。
それでも日本中からこちらに上京して来る人はいるわけで、「テレビ以外で関西弁を本当に使っている人」を大学以降、よく見かけるようになった。
その大学時代、関西には含まれない西日本のとある県から上京してきた同級生と仲良くなり、「とにかく地元には何も無い、ろくな大学も無いから(本人談)東京に来た」と上京理由を語ってくれた。
18年間その地域で暮らしていたとは思えない、スムーズな標準語を話しているね、と伝えると、「東京に馴染むために一生懸命覚えた」とも。
彼は周囲を見渡し、「僕には分かる、田舎者特有の顔。リョウ君は完全に都会の人間の顔してるよ」
僕にはその見分け脳力は一切ない。
彼の特殊能力かと思ったけれど、田舎者同士はだいたい分かっている、と彼は言う。
言語の話に戻すと、関西弁を話す人が出ているテレビ番組は関東でも当たり前に流れるので聞き慣れているけど、関西以西、もしくは北海道東北北陸の訛りや方言は、なかなか。
「すみません、もう一度聞かせてください。」
それは時として「あなたは聞き取りにくい言葉を話しています」と言っているようなもの。
その人にとっての標準語、なんなら少し聞き取りやすいように関東っぽい言葉に修正していただいても、僕の耳が足りないのか、このような状況で、僕は人生で何度聞き返したか分からない。
関西の方は比較的、関東人も聞き慣れている言語という自覚があるのか、言語の修正をしない方が社会に出てからも非常に多い。
関西よりも中四国九州出身の方のほうがむしろ標準語の習得が早いのは、日本の面白い文化だと思っている。
いわゆる上方漫才は、地元にはない文化。
子どもの頃からテレビを通して見たことはあるけど、そもそも扱う言語が微妙に違うし、やってみようとはならない。
だけど、特に関西出身の芸人さんのエピソードとして、「初めて漫才をやったのは小学生の時にクラスメートと」のような話は本当によく聞く。
若い頃から鍛えているからこそ、今立派に活躍しているのかもしれない。
僕に漫才はできないけれど、人を笑わせることの大切さなら分かっている。
人は笑わせてくれた相手に対して、笑っている瞬間に敵意が芽生えることはない。
僕が目指す平和な世界には、笑うことや笑顔でいることは欠かすことができない。
笑うことも大切、笑わせる才能を持っている人も大切。
つまり、みんなで笑い合って楽しく生きていたいよね、という話。
上方漫才を、やってみようと思ったこともないけれど、やろうとすれば絶対に同じテンポではできない。
漫才師の凄さを実感するために、こっそり練習してみようかな。
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