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スタート台に立たないとレースは始まらない

僕は何かの日本トップランカーになったり、日本を背負って世界と戦ったことがない。

スポーツはそれなりにしていたが、めちゃくちゃな家庭の中で怒号と共に朝目を覚まし、身支度をして玄関を出た瞬間に抜群のプレイヤーの道を歩めるなんてことはない。

トレーニングを始める瞬間にはもう精神的に疲弊しているので、効率良く自身を鍛えられるはずもない。

一流の選手には大体家族の応援がある。

選手の家族がメディアに出ないとしても、選手の口から「家族」という言葉は当たり前のように出る。

日本を代表するアスリートになるための必須項目に、家庭環境というものがある。



僕は生まれた時から泥舟に乗せられて、何度も死にかけて、何度も生きることを諦めた。

家族さえいなければ、もう少しスポーツでも勉強でも、集中できたのに。

今の僕が人として成立しているのは、強力な反面教師が怖くて目をそらし、反対側に見える正しい人間像を捉えてそこへ向けて突き進んでいるから。

そこには建設的な会話、優しい声掛け、気配り、冗談、天気の話、尊敬、手土産、低い腰、笑顔、応援、弱者へ手を差し伸べることなど、親が一切していなかったことがある。

親が弱者に手を差し伸べられなかったのは、本人たち自身が弱者であり、同族嫌悪を生んでいたのかもしれない。


弱者に手を差し伸べる人、弱者を傷つけないように関わらないようにする人、弱者に攻撃をする人。

大きく分けて3タイプに分類するなら、僕の親はわざわざ相手にして攻撃していたので何とも大人げない。

これ以上弱者にはなりたくないから弱者をいたぶることで自身を「まだマシ」だと思い込みたい、それを本能的に、全身全霊で行っていたのだろうと推測するが、考えれば考えるほどとても悲しい気持ちになる。


僕には強い運動能力はない。

全種目のルールを細かく理解できる頭もない。

だけどオリンピックに出場する全ての選手を尊敬し応援している。

あまり書きすぎるとアスリートへのプレッシャーになるので、ここまでにする、という気配りも忘れずに。




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