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再会と感謝

僕はワクワクと目を輝かせて、夫妻に問いかけたかった。

「あのう、結婚式にいくらかけたんですか?」

「結婚が決まった時の感情、覚えてます?」

日曜の昼間、僕の前で知らない夫妻が大喧嘩をしていたのだ。

子ども向けの爽やかで賑やかなイベント、巨大公園の出入り口、周りの家族連れもみんな、嫌そうな顔をしていた。

そりゃそうだ、みんな笑顔になるためにここに来ているのであって、知らない人の喧嘩を見に来ているわけではない。

ましてやみんな「家族」で来ていて、「家族」が脆くも崩れていく様子を見せられているのだ。

紙一重で自分事になるかもしれない、と不安に思わせるだけでも、あの夫妻の罪は重い。



僕は親戚の間をたらい回しにされていた時期がある。

しかし言葉の印象とは裏腹に、みんな僕を歓迎してくれた。

母親がパンク状態になり、僕の面倒を見られなくなって手放したのだ。

助かった。一時的にでも親から離れられる開放感は今でも覚えている。

と同時に、日頃家の中では拘束されるように窮屈に過ごしている暗い日常まで浮き彫りになった。


親戚にお世話になっている期間中、一人の身内が学生時代の後輩の所へ連れて行ってあげると車を走らせてくれた。

そこは、とある伝統工芸の工房のような所だった。

僕が当時あまりにも子どもだったので、詳しい話などは理解できず聞くことはできなかったが、様々な過程で止まっている無数の工芸品を見て、芸術品はこうやって作られていくのかと感心した。

親戚も元々そっち方面の学校に通っていたらしいが、サラリーマンにほど近い仕事を選択したため、僕はこの日生まれて初めて伝統工芸というものに触れた。

そしてなぜか敷地内で動物を飼育していて、公道では見かけないような生き物が自由に闊歩している。

子どもの僕には正直、伝統工芸よりもこちらのほうが興味深くて記憶にも残っている。

いいね君は、本来なら檻やガラス張りの中で暮らす生き物なのに、あちこち自由に歩き回れて。

僕と逆じゃん、まるで僕が小動物で、まるで君が人間だよ。

気持ちが少しへこむ瞬間もあったけれど、総じて楽しい時間を過ごすことができた。

数年後に、その親戚が亡くなってしまった。


時は流れ2020年頃、大人になった僕はあの職人さんに、もう一度会いたいと思い立った。

しかしあの親戚は職人さんの連絡先も工芸品の名前も残していない。
(寡黙、という意味ではちゃんと職人気質ではあった。)
(わめき散らす母と二親等で血が繋がっているとはとても思えない。)

当時パンクしていた母も今はさすがに落ち着いているので聞いてみると、うろ覚えではあったが、工房の場所や職人さんの名前を記憶していた。

それを頼りにネットで検索すると、ちゃんとヒットした。

しかし、ご時世がご時世、仕事でもないのに訪ねることなどできない状況だった。

一般向けのイベント開催も、2019年が最後のまま更新されることなく年月が過ぎていった。

そして今年2024年、5年ぶりに子供向けワークショップを開催するという報せが届いた。

僕は子どもではないけれど迷わず向かった。

職人さんの顔は全く覚えていない。

親戚の後輩と聞いていたが、今どれくらいの年齢の方かも分からない。

その日は梅雨入りする少し前、日差しが強くとても暑い日だった。

会場に着き、出展ブースのところに行くと、ひとり気になる老人がいた。

仕事と仕事の合間、休憩しているようだった。

僕はすぐに声をかけた。

「あの、誰々さんという方はいらっしゃいますか」

「ああ、私ですが」

顔を覚えていないはずだが、なぜかこの人のような気がした。

僕は職人さんと、久しぶりの再会をした。

親戚の名前を出すと、職人さんは僕のこともすぐに思い出してくれた。

この時、親戚の存命の頃や僕が子どもの頃の写真を持ってくるべきだったと一瞬後悔した。

僕は、職人さんに感謝を伝えたかった。

当時家の中が逼迫し、(母には見捨てられたけど)親戚に優しくしてもらって、その先にあの工房があって、職人さんの存在に僕の心は救われ、きっと母も救われたこと。

亡くなった親戚は寡黙な人なので、職人さんの元まではこれらの事情が伝わっておらず、さらに僕の感情を聞いて、とても驚き、謙虚に恐縮されていた。

話していて少し泣きそうになる僕を、「よく立派に育ったね」と慰めてくれた。

人は亡くなると、生前よほどの物を残さない限りは、時が経つにつれて忘れられていく。

あの頃の僕を助けてくれた恩人とも言える親戚のことを覚えている人が少なくなってきていることを近年寂しく感じるが、この職人さんははっきり覚えてくれている。

それもまた、ありがたくて嬉しい。

職人さんはというと、子ども向けのイベント出展は5年ぶりだが、久しぶりの開催だからか、来場者数は過去最多で、いたく感動していらっしゃった。

僕も一緒に俯瞰で会場を見ると、たくさんの子どもたちが自由に走り回り、木陰で休む親たちは談笑し、「賑やか」が一目で分かる幸せな空間。

パンデミックで何年もこれが見られなかった分、出展側の方にとってはより尊い光景なのだろう。

僕は子どもでも親でもなく、職人さんにただお礼をしたかっただけなので、来年は(当時パンクしていた)母を連れてきます、と深く頭を下げて、早めに会場を後にした。

嬉しい。嬉しい。

僕を助けてくれた親戚を、助けてくれた職人さんが指揮を取る現場で、多くの人が楽しそうに過ごしている。

親戚が、天国で喜んでくれているのを感じる。


その矢先の、冒頭の大喧嘩をしている夫婦だ。

頼むから君たちは会場に入らないで引き返してくれ。

子どもは2人はいた。親一人で子どもを何人も見たくないんだろう。だから嫌でも夫婦揃ってここまで来たのだろう。

女性の方が酷かった。

ここには書けないような言葉でののしり、男性が「子どもの前でそれはやめろよ」、これの繰り返し。

いや、帰ってくれ。場違いだ。「子どもの前で」すら間違っている。大衆の前で言ってはいけない言葉であることも分からなくなっている。

それだけ、酷い喧嘩が日常化していて、精神的にバグを起こし、適切不適切の判断ができない家族になってしまっているのだろう。

機能不全家庭だ。

昔の僕の家だ。

悲しいことに、あんなに嬉しくて楽しかった時間の余韻は、ごく短時間でこの人たちに引きちぎられてしまった。

あの大喧嘩夫妻の子どもたちが、僕みたいな思いをせずどうか幸せに生きられますように。

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