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未来への投資

大人から、子どもさんや学生さんへのメッセージとして、「つらかったら逃げてもいいんだよ」という文言を目にすることがある。

もちろん大人が子どもに発信し続けることは良いことだと思う。僕が子どもの頃、ここまで大人からのメッセージを受け取っていたかというと全くだし、そのせいか当時の僕は大人になった時のビジョンなんて何も湧かなかった。

僕には将来の夢がなかった。

警察官、消防士、サッカー選手、野球選手、医者、弁護士。文集や短冊に、こう書いておけば大人が喜ぶんだろうな、ただそれだけだった。

自分がどういう職に就いて何をしたらどうなるかなんて、考えたこともなかった。

あの頃の僕には、将来のビジョンが浮かぶような大人からのメッセージが必要だった。

生きていくにはどんな選択肢があるんだろう、どういうことをすれば「なんとなく人生うまく行く」で、何をしたら「うだつの上がらない人生」なのか。

昔の僕に逃げ場はなかった。

家庭は崩壊しているけれど、一般的にイメージされる「放置」ではない。「監禁」により近い状態。

常に監視されていた。

僕の場合、世の大人がどれだけ逃げてもいいと言ったって逃げることなんかできない。

児相や警察は、放置されている子どもしか救わない印象だった。

小学校時代の先生は、僕の家庭がおかしいと気がついていたけど無視していた。

中学に上がると先生のレベルが上がるのか運が上向いたのか、それとなく助けてくれることもあったので非常にありがたかった。

高校は、親が身勝手に作った僕用のレールがあまりにもズレていて、担任の先生が必死に「こっち系の大学へ進学すべきです」と、頑固で屈強な親の思考を懸命に打ち破ってくださった。

けれど精神的監禁状態にあった僕に、逃げ道などないことに変わりはなく。

そんな僕が、同じような境遇にある子どもに伝えたいことは、「今は逃げられなくても、大人になるまで耐えたら逃げられる(かもしれない)よ」。

僕は所々で強運を発揮した。だからなんとか生きて大人になることができて、さらに親元から逃げることもできた。

全員が全員、運を持っているわけではない。

だから確定的なことは言えないけれど、「これが一生続く」とは思わないでほしい。

希望を持たなければ、いくら背が伸びたって自分の人生は前を向かない。

子どもが大人になる頃、親は年を取ってきて隙が生まれやすくなる。

僕が警察や保健所にあれこれ訴えるようになったら、親は舌打ちをしながら僕を囲っていた檻を撤去し始めた。

僕の親は公的機関に弱い。

高校の先生に打ち負けていた時からそれは薄々感じていた。

僕はというと、保健所やその周りから僕が受けられる支援が見えて来ると、この先どうやって生きていくかが初めてうっすらと見えてきた。

一人で生きていくには毎月いくらかかるのか、そのために僕はどれくらいの収入を得るべきかの計算がようやくできるようになったのも、この頃だった。

僕は既にそこそこの大人になっていたが、親は何一つ教えてくれなかった。


悔しかったのは一つ、末路を見られなかったこと。


僕の両親は、一緒になって僕をいじめていた。

というより、誰かをいたぶっていなければ気が済まない性分を「気が合う」と錯覚して結婚した二人、に見えていた。

それなら、両親が二人きりになれば、必ずどちらかがどちらかを追い詰める。

さてどうなるか、と静観しようとした矢先、片方があっさり病死した。

生き残った方が勝ちだとは一概には言えない。

このような人たちは、生きている方がよっぽどつらいのだから。

ああ、片方は、命を投げ売って逃げ出したんだ。

そうだった、つらかったら逃げ出してもいいんですよね。

僕も作家として、人生の道筋は何通りもあって、序盤から崩壊していたとしてもいつかは笑って生きていけるんだと、子どもたちに伝えたい。

個人の力ではなく、もっと説得力を持ちながら。そうでなければ伝わらないくらい僕らはマイノリティーだから。

僕は最低限暮らしていければ良い。

それよりも、子どもたちに将来への希望を持つきっかけを分け与えたい。

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