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ショートショート 31 ちいさなさかさま

「そこ、停めていいから」

 松本が指差したのは車庫の真ん前だった。さすがに悪いよと断ったが、彼は「大丈夫、ほら」と気にせずシャッターを開ける。そこには蔦が絡まった軽トラックあった。

「うちの、こないだ施設に入ったじいちゃんの車。まぁボケてから七年かな? 運転してないどころか車庫からも出してない。シャッター開けたのも2年ぶりかも」

 松本が笑う。歯茎が見えるくらいに笑って、でも破裂するみたいなのは一発目だけで、すぐにひきわらいになる。松本のじいちゃんもこんなふうに笑っとんたんかな、とか考えてやめた。

 松本がシャッターを閉めている間に、自分の自転車のスタンドを立てて、綺麗に車庫の前に並べておく。

「ありがと、ま、ここは車通りはうちのを除いたらゼロやから気にしなくていいんだけど」と言いながら、彼はカゴに入っていたカバンを持って「こっち」と入っていく。

 松本の家は、しばらく乗ってない車に蔦が絡みつくのもわかるほどに、なんというかボロかった。ただボロいわけではなくて、その昔は割と綺麗めでしっかりとしたものに見える建物だったんだろうなと言うのがわかるタイプのぼろさ。なるべくしてなったというよりは、そこに住んでいる人のていたらくか趣味なんだろうなと思わせられる。

 いわゆる廃墟化したテーマパークのような雰囲気があった。ドアは洋風でドアまでに続く階段のタイルは白であることを思い出させないくらいに黄ばんでいたり、ハゲて黒いコンクリを覗かせている。道より高いところに建っており、道路から見たらは城でいう天守台みたいな壁になっている。もっとも天守台より幾分も低く、大抵の成人男性二人分くらいの高さがあれば越えられるくらいではあるが。

 町から外れたところに建っているこの家を初めて紹介されたのは数分前。松本が冗談を言っているか、勝手に秘密基地がわりに使っている廃墟かと思った。

 松本の家に来るのが初めてということからもわかる通り、松本とは別に仲が良いわけではない。これと言って悪いというわけでもない。なぜなら会うのが三回目だからだ。

 俺と松本は同じ高校に通っている。と言ってもあと数日でさよならの関係だ。クラスが違う俺たちは、お互いに見たことはあったが、話したことはなかった。

 いわゆる就職組と進学組に俺たちは一年の頃から分けられる。たまに合同授業で顔を合わせることはあるが、お互いのクラスの友人と話すのがほとんど。強制的に数人を就職組の子を入れないといけなくなることはなくはなかったが、一回も同じ班になったことはなかった。

 クラスが就職と進学組に分かれているのは、簡単に言うと貧富と学力の差だ。就職組の奴らは家が貧乏だったり、施設の奴らが多い。

 中には来ていない奴だっていた。消息を絶ったり、死んだという噂が流れたやつもいた。唯一ハッピーだったのは妊娠して出産して結婚したやつが一人いたくらいだが、そいつが今何をしているのか、本当に幸せなのかはわからない。

 定時制の高校なんてそんなもんだ、とたかを括っていた。かくいう俺も中学は不登校で、そんなところにしか進学できなかった身だ。

 しかし俺は不登校でありながらずっと勉強はしていた。そのおかげで進学組に入ることができたと思っている。

「君は勉強ができてえらいよねぇ」

「そうか? 俺は働けるやつの方がすごいと思うけどなぁ」 

 松本は照れる。俺は本心でそう言っただけだったが、これでは松本がそう言われたくて話を振ったみたいで気分が悪い。

 仕方なく俺は「だってこの先いくら勉強してもたどり着くのは仕事だしさ。ひと足先にそれができているやつはすごいと思うけどなぁ。俺ら学生なんだぜ、まだよ」と続けた。

「あと少しで学生でもなくなるけどね」

 松本は照れ隠しのつもりで言ったのだろう。結構食い気味で言い返してきた。だけど、ニヤついたその顔を見ていると、嫌な気分はしない。相手をあざわらうニヤニヤではなく、自分のことを褒められてうれしいのだということがわかる。

 そんな顔を高校生にもなってできるのは、本当にすごい。

「まぁ、こんなところで立ち話もなんだし、上がってよ」俺が玄関の戸も開けずに話していたのは、この廃墟同然の見た目をした家に入ることがためらわれたからだが、それが見透かされているような気がした。そう思うと申し訳なくて入らずにはいられない。

 中は思っていたよりは綺麗だった。靴箱の上に置き物や花はないものの卓上カレンダーはあったし、それはしっかり今月のもので、予定も書き込まれている。思わず、へぇと声が出た。

 どうしたの? とたずねる松本に「いや、今どき若いのにカレンダー使うやついんだなぁと思って。俺ももちろん使ってるけど、今どきはアプリだろ?」

「あー、僕スマホ持ってないんだよねぇ」
「あ、すまん」
「なんであやまるの?」

 面白いなぁ、と言われてもやはり嫌な気はしない。特にいうことがない子か、もしくは変わったやつ対して使う表現ではあったが、彼の口、フィルターを通すと、本当に面白がってくれているみたいに聞こえる。

「ここが、僕の部屋」

 散らかってるけど......と言った部屋はまるで独房かと見紛うほど何もなかった。あるのは学習机と、ベッドだけ。流石に部屋の中にトイレはない。床はハジまでびっちりと絨毯がしかれている。歩くとふわふわしていて心地いい。

「散らかってるつか、なんもねーじゃん」

 俺はてきとーにそのへんにあぐらをかいて座ってなんとなく口にした。

「あーそうだよねぇ、ごめんね。昔はゲームとかあったんだけどさ。今は......見ての通り」

 あっ! でも......と彼が押し入れから出してきたのはプラスチックトランプだ。輪ゴムでとめられたものではなくしっかりとケースに入っている。そのケースの透明な蓋は小さな傷が入っていて、ずいぶん前のものだというのがわかる。

「借金取りがね、トランプ見たらラスベガスで大負けしたのを思い出すから、見えないところにしまってくれって言ったんだ。だからこれだけはある」

 言いながら彼はカードをシャッフルし始める。借金取りもあまりの彼の転落人生に悲しくなったのだろうか。

「ていうか二人でトランプって何するんだよ」
「7並べかババ抜き」
「なんでその二択なんだよ」
「全部揃ってるか確認しないとだからまずはそれでしょ」
「だったら神経衰弱とかでもいいだろ」
「さすが、進学組は頭がいいねぇ」

 やはりバカにされた気がしない。不思議だ。彼ととの間には小さい頃からずっと遊んできたような落ち着いた空気感がある。

 ババ抜きの結果、俺が勝った。そして枚数はきっちり揃っていた。ジョーカーもカラフルなのとモノクロなのときちんと二種類揃っていた。

「次は負けないぞ!」と何のゲームをするかも決めてないのに、彼はロールシャッハを始める。器用なものだ。と思ったら彼の手の中でばらけた。

「勝ち負け以前の問題じゃね?」
「めんぼくない」

 松本と二人で全てのカードを拾い集める。

「ちゃんと全部扱あるか、もう一回確かめるか?」と茶化したが、

「茶化さないでよ。あっ、そういえばお茶も出してなかった」

 と彼は立ち上がって部屋を出ていってしまった。こんな廃墟同然の家に住むやつのコップに口をつけたくはなかったが、それもまた見透かされているような気がした。

 お茶は水色の花柄が丈夫に少し散りばめられた透明な容器に入って持ってこられた。コップはどう見ても暖かい飲み物を飲む用の丸みを帯びた取手のないものだったが、お茶は冷たかった。

 そしてなんとなくホコリっぽいイメージがあった自分を恥じるくらい、お茶は美味しかった。

「なにこれうま」

「ほうじ茶だよ。先生がくれた卒業祝い」

 卒業、という言葉がもう遠く感じる。あと一週間もすれば4月だ。

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