【ブックレビュー】恋の消失パラドックス/葉方萌生
恋の消失パラドックス/葉方萌生
【勝手にキャッチコピー】
『存在は消えても、痛み、悲しみは見えないとこに残る』
【あらすじ】
【感想】
とても面白かった。ストーリーとしてももちろんだが、そのストーリーによって浮かび上がってくる闇がなによりも作品を面白くしているように思った。
本書はいじめに悩む女の子が主人公。ある日、なんでも誰でも消すことのできる『SHOSHITSU』というアプリを手にした彼女はいじめっ子を軽い気持ちで消してしまう。
軽い気持ちで、というのがまず本書の面白いところ。
いじめにめちゃくちゃ悩んで、仕方なく消したというよりは、どうせ本物じゃないだろうという気持ちでいじめっ子の存在を消す。軽い気持ちでいじめっ子を消してしまった彼女は元に戻すべきかを悩むのだが、元に戻す方法も代償に書かれた行為をするだけ。誰かを消すよりは難しいが、ある種それさえ達成すれば世界に戻すことができるのだ。
この軽い気持ちで、ワンプッシュで存在や命を動かすことのできるおぞましさはSNSとも通づるところがある。今作の存在を消すのに使うのがスマホのアプリからも、それを否が応でも想像させられてしまう。
本作のさらに面白いのが、消した存在を取り戻すことができるということだ。主人公は少し悩んだ挙句、すぐにいじめっ子の存在を戻す。戻すかどうかでもだいぶ長く書けそうなところを比較的早い段階で終わらせて、どう続けるのだろうかと思った。今作は帰ってきたいじめっ子がいじめられっ子になるという形を持ってして続けたところが面白かった。お互い傷ついたことで初めてフェアな立場になり、話せるようになって仲良くなっていく様、互いに以外にも似た境遇だったことを知ってさらに仲良くなるくだりはとてもグッと来た。
本作をさらなる面白さの高みへと持ち上げた要素が『三角関係の恋愛』である。
アプリや、アプリによって変えられた世界を描くだけではなく、等身大の女の子の恋愛を描くことで、アイテムに翻弄されて痛い目を見て教訓を得る、いわゆるドラえもん的な展開だけでは終わらない。
親友の好きな人を好きになるという三角関係だけでも面白いのだが、本作はキャラクターの性格や関係性がアプリによって微妙に変動する。それによってなかなかうまくいかないそのもどかしさの演出が上手い。消したらつらいことと同時に幸せだったものもなかったことになってしまう、その要素を丁寧に描くことで、恋愛のうまくいかさをさらに上手くいかなくするのだから、もどかしくてたまらなくなる。
本書は青春小説の要素をふんだんに丁寧に織り込みながらも、存在を消すことのできるアプリを入れることで、さらなるもどかしさの高みへと到達することに成功しているのである。たとえ思いついたとしてもうまく全てを描ききることは難しい。本書はそれを難なくこなしているものだから、作者の筆力に脱帽である。
【より個人的な感想】もしくは【作中で使われているかもしれない技術について】など
前作との関連性について少し話したい。といっても実際には前作と繋がっている訳ではない。ただ、要素や作者の描きたいもの、意図されているかはわからないが、そういったものについて。
前作『罪なき私』では殺しを行うゲームに参加させられる。今作では存在を消すことのできるアプリが登場する。どちらも設定としてとても吹っ飛んでいるというか、おおよそ現実ではあり得ないことが起きる。これは物語ならではではあるのだが、そのえ? となる要素が読み始めた読者をすぐに物語の中に引きずり込んでくる。どちらの作品も導入がとても魅力的なのだ。
そしてこれももちろん物語を描く上では当たり前ではあるのだが、主人公がめっちゃ不幸。その上で少し救われたかと思えばさらに重圧がかかる。前作では親が亡くなり、かつ就活がうまくいかずに希死念慮にかられている。今作ではいじめに遭っており、学校に行きたくないが、家には勉強していい大学いい仕事が口癖の母親がいて逃げられない。
読んでいて少々ハード過ぎないかと思ってしまうが、作者の筆力によって、どこか自分と、今でないにしてもいつかの自分とリンクするような気がして他人事に思えないようにされたことで、さらに物語にのめりこむことができた。
ハードな設定を等身大のキャラのもがきや苦しみを描くことで身近なものにし、そこにさらに恋愛を盛り込むことによってマイルドな読み味にしている。作者のその力量にはやはり脱帽である。
一点だけ今作で気になる点をあげるとするならば親友とのことだが、これも物語上、ひいては一人称という文章形態では仕方のないことなのかもしれない。
今作のエンドは親友の好きだった人と主人公が結ばれることになるわけだが、そこに全く親友の影がない。どうやって親友を説得し、または失敗し、たのかといった流れは全く描かれていないのだ。
しかしこれは作者があえてやっているのではないかとも思う。この物語の一つのキーワードに『無自覚さ』があると個人的には思っている。まず主人公がアプリでいじめっ子を消してしまったこと。これはもちろん無自覚なのは仕方がない。ある種の願掛けのような気持ちでやったのだから仕方がないだろう。彼女の母親、またいじめっ子の母親も、子どものことを考えているようで、現在の本質を掴みきれておらず、子供に嫌悪感を抱かれている。これも無自覚さ。主人公が好きになる男も、自分の良さに気づけずに自分を偽っている、これも無自覚さ。そして、主人公が恋にのめり込むその様子もある意味無自覚さが見て取れる。
無自覚さを無自覚にも持ち合わせたキャラクターたちが織りなす物語のエンドとして、あえて親友との決別ないし友好を描かないことは、その結婚の、幸せの裏に隠された、誰かの涙を否が応でも思い浮かべさせられる。
それらから私がこの作品から受け取ったメッセージは『自分は小さな選択であっても、誰かにとっては大きなものである』ということ。
バタフライエフェクトにも通づるこのメッセージは、私たちが今生きるSNS社会において、大きな警笛を鳴らしているように思えるのだ。
だが、先述したようにこの作品はあくまでも青春恋愛小説である。
読者は難しいことを考えず、いじめられているシーンで心を痛め、友人の存在にほっとし、異性の存在にときめき、アプリによって変動してしまう主人公の状態、それによってかきみだされる主人公の心情を、彼女と一緒になって味わってほしい。そこにはかつての自分、今の自分、いつかの自分があったかもしれない、消失した世界が織り込まれているはずだ。
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