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<無料公開>作品に罪はない?芸能人の逮捕による過剰な自粛問題について考える。

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ピエール瀧さんの事件、新井浩文さんの事件と相次ぎ出演作の公開自粛、配信停止、差し替えなど多くの影響が出ており、賠償金などがメディアで報道されている。その中でも今回多くの議論を呼んでいるのは自粛の問題である。「作品には罪はない」という声も多く上がっている。

個人的には「作品には罪はない」という考え方には強く同意である。確かにテレビやCMに関しては自粛となるのはしょうがない部分がある。テレビであれば流れている以上、嫌なら見るなという論理は限界があるし、CMに関しては企業のイメージ戦略もあるし、流れる以上いつ出てくるかわからないから見ない選択肢が与えられない。2つの事件を同列に扱うことはできないが、被害者がいる事件であれば被害者関係者への配慮も必要であるし、事件に関して嫌悪感を持つ人もいるのだから理解は十分できる。

しかし、映画や動画などの配信は有料コンテンツであればそれは少し扱いが異なるのではないかと思う。有料コンテンツにおいては個人の判断によりお金を払い閲覧をおこなう仕組みである以上選択権は個々の判断に委ねられている。映画の公開中止や動画などの配信停止はお金を払う個人の選択肢すら奪う形になっているのは疑問でしかない。

ただ、自粛をする側の考えも一定の理解はできる。昨今は炎上のリスクを避けることが何事も最優先になっている。自粛をしないことで批判されるよりはとりあえず自粛をすることで炎上のリスクを避けている。つまり、逃げの姿勢である。今回はこの逃げに姿勢が逆に議論の的になっている。何故なら「作品には罪はない」からである。

作品には事件を起こした人だけでなく、多くの出演者や制作スタッフが携わっている。もちろん事件を起こさないことが一番であるが、作品や作品に関わった人には罪はない。個人に判断を委ねる形の場合はあえて自粛するのは一体誰に向けたアピールであり、メリットがある話なのか理解ができない。

今回ピエール瀧さんの出演作は現在進行形のものが多くあり、代役などで対応している作品も多くある中、 映画化がそのまま公開するという英断は評価したい。公開までの対応が難しく、公開中止か延期かという選択肢の中、観る側に判断を委ねると判断は良くも悪くも今後の一つの事例となるのは間違いないだろう。

今後も残念ながら芸能界で事件は発生するだろう。個人の問題だけではなく、多くの影響を与えることを理解した行動や事務所側も含めたリスクマネジメントが一層強化されることを期待したい。

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