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ブラックボランティア問題が再度クローズアップ

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ブラックボランティア問題が再度クローズアップされているのは個人的には良い事だと思う。ボランティアは無償という考え方が悪いとはいわないが、無償である必要はないし、そんな決まりも無い。ボランティアの活動により助かる事が多々あるのは紛れも無い事実。自分自身も学生時代にサークル活動としてではあるが、ボランティアには多々参加をさせていただいた。その際は確かに無償ではあったが、東京五輪のボランティアを始め、無償を前提で何かを得ようとする動きには疑問があるのも事実。

五輪であればスポンサーを含めて多大なるお金が動いている。それにもかかわらず、ボランティアを耳触りの良い言葉で本人の意思以上の力を働かせて集めている現実があった。やりがい搾取という言葉があるように現実問題として善意に甘え過ぎてる風潮が日本社会には存在している。善意に甘える事を否定するつもりはないが、言葉は悪いが善意を悪用するのは違うのではないかと思う。確かに悪用という形であっても、理解していても参加をする方々はいる。それもまた1つの考え方であり生き方である。しかし、そうゆう人がいるのだから他の人も同様だよね?という同調圧力が存在するのも事実。

空気を読むべきという意見もあるだろうが、おかしい事にはおかしいと言える社会でなければいけない。やりがい搾取と感じる人もいる事実。そう思うならばやらなければいいだけでは?という結論もあるだろう。しかし、それでは同調圧力ややりがい搾取は無くならない。日本社会におけるボランティア=無償というのは1つの考え方、選択肢であり、ボランティア=有償という考え方、選択肢があっても何らおかしな話ではない。ボランティア=無償という作られた当たり前を疑う必要があるのではないかと思う。

ボランティアの経験が役立つ、評価される、大学の単位として認められるというような募集の仕方。ボランティア以外においても同調圧力を誘導し、選択肢のようで強制的な参加をさせるようなやり方が当たり前となってしまっているのがおかしいのではないか。皆が参加するのだから当然だよね?というような聞き方をされた経験がある人は多いのではないか。その場合、断った方が悪者扱いされる風潮、やらない人がおかしいという空気感。こうゆう選択肢があるようで実際には選択肢が無い事は多々あるのが現実。そうゆう意味でももう一度ボランティアのあり方についても考え直すべきではないかと思う。

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