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【無駄】そんなに強くなってどうするの?
ロッシーです。
「強くなることはいいことだ。」
それがいままでは常識だったと思います。
でも、これからもそうなのでしょうか?
そうなのかもしれませんし、そうじゃないのかもしれません。
でも、少なくとも、「それは本当にいいことなのか?」という疑問符をつけることがおかしなことではなくなってきていると思います。
国であれば経済成長をすること、会社であればシェアを拡大して売上を伸ばしていくこと、個人なら出世をしてより多くの年収を得ること、そうやって強くなっていくことが望ましかったわけです。
生活に必要な物資やサービスが不足していた時代なら、それは当たり前だったと思います。
マイナスだったら、まずはゼロに近づきたい。そしてプラスにもっていきたい。それは自然なことだと思います。
しかし、今やモノやサービスは余っています。マネーだって余ってしまっているから低金利がずっと続いています。
過剰に供給されたマネーはいきどころがないので、株や債券、不動産、仮想通貨にいき、それらの資産価格は上昇傾向にあります。
やることがなくなるから、投資するしかないのです。
仕事もそうです。特にやることがないから余計な仕事をつくって存在意義をアピールしなければならないような人達が出てくるのです。
でもそういう人達を国としては放っておくわけにはいきません。暴動でも起こされたら困りますからね。だからベーシックインカムという議論が出てくるわけです。
もう色々な面で、すでに私達の生活は充分プラスになっているのです(特に先進国では)。そんな時代に、もっとプラスを求めて強くなることがどこまで必要なのでしょうか?
「単に強くなりたいから強くなるだけ。それに理由はない。」
そう思える人はそれでいいと思います。
でも、多くの人は、自分や自分の大切な人を守りたい、幸せにしたい、それができるだけの稼ぎがあれば充分だ、そう思っているのではないでしょうか。
「そんな小市民的な考えではダメだ!」
と批判する人もいるでしょう。
それはそれでひとつの考えですが、私はどちらかといえば「足るを知る」ことにそろそろもっとシフトしていってもいいんじゃない?という派なので、そういう考え方には与しません。
それに、いくら小市民的だと言われようが、私達は小市民の前に人間であって、動物です。
動物は、自分の生活の安全が確保されていたら、それ以上のことを求めることはしません。
一日一日を生きることに集中し、明日とか明後日とか、1か月分先の餌を確保しておこう、と考える動物はいません。
天敵に勝とうとして筋トレをする動物もいません。
そういう姿勢を私達も見習うべきではないでしょうか。
より強くなって獲得しようとするものが、「余計なもの」なのであれば、強くなる必要性がそもそもあるのでしょうか?
必要なものだけを獲得できるだけの、「バランスのとれた強さ」さえあればいいのではないでしょうか?
余計なものを獲得しようとするあまりに、自分自身や大切な人をおろそかにしてしまうのでは本末転倒なのではないでしょうか?
ただ強くなればいいというのは「無駄な強さ」なのではないでしょうか・
そうではなく「自分にとって最適化された範囲内で強くなればいい」という考えがあってもいいはずです。
最適化のためであれば、もしも無駄に強くなりすぎていたら、もっと弱くならないといけません。
現実には、「もっと弱くなろう!」なんて考える人はいません。
でも、本当にそれは馬鹿げた考え方なのでしょうか?
強さと弱さの調和。弱さというものへの価値観の見直し。そういった視点がこれからは必要なのではないでしょうか。
抽象的な話になってしまいますが、時代の流れとして、強くなるという方向性ばかりでは、もう国や社会はもたないように感じます。
いつまでも強くなる、成長するという神話はもう崩壊しているのです。
Thank you for reading !
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