特別な男の話
その男は、自分は特別な人間であることを知っていた。
周囲の平凡な人間達には、自分の価値など分かるわけがないと思っていた。
平凡な人間が容易に自分の「特別さ」を理解できてしまうのであれば、そもそもそれは特別ではないからだ。
男は周囲に違和感なく溶け込んで生活していた。まるで昆虫が擬態しているかのように。
平凡な仕事、平凡な服装、平凡な会話、平凡な振る舞い・・・どこからどう見ても男は平凡だった。
そんなある日、仕事でDという人物と知り合った。数日後、Dは男のメールアドレスに連絡してきた。
「先日はとても楽しい時間を過ごさせていただきました。ぜひまたお会いしたいのですがよろしいでしょうか。」
男は、数日後にホテルのラウンジでDに会うことにした。
たわいもない話をしばらくすると、突然Dは真剣な顔つきになりこう言った。
「あなたは特別だ。普通とは違う。私には分かります。」
男は驚いた。なぜ分かったのか。
Dは続けた。
「ぜひ、あなたの力を貸していただきたい。あなたの考えをあなたの中だけに留めておくのは世界にとって大きな損失になります。あなたの考えを世の中に広めるべきです。今のこの世の中を見てください。あなたもご存じのとおりひどい世界です。でも、あなたのような特別な人ならそれを変えることができるでしょう。今すぐに返事を下さいとは言いませんが、考えてみていただけないでしょうか。もしあなたがその気になっていただけるのであれば、私の所属している組織が全面的にバックアップします。」
そう言って、Dは去っていった。
自宅に帰り、男は考えた。
「Dという男は私が特別であることを見抜いている。そういう者が出てくることは想定していたが、こんなに早いとは思わなかった。しかし、これも何かの運命なのだろう。自分の力を世のために使う時が来たのかもしれない。」
男は、Dに連絡をした。
・・・それから1年後、男の書いた本は思想本としては異例ともいうべき空前のベストセラーとなった。Dの所属する団体が資本参加している出版社、広告会社、マスメディアによるバックアップもそれに大いに寄与した。
男は印税により大きな資産を得た。講演会活動、SNSによる発信などで多忙な日々を過ごすこととなったが、男は満足していた。
「私の思想が世の中を変えていくのを見るのはいい気分だ。人々が私の本を読み、私の言論をネットで見る。そして私の思想を人々がインストールするのだ。」
多くの人が、男の思想に基づいて考え、議論をし、行動した。男の生み出した思想で世の中が埋め尽くされていくのもほぼ時間の問題だった。
ある日、男はDに呼ばれ、最初に二人が会ったホテルのラウンジで会うこととなった。
Dとはあれからほとんど会ったことはなく、メールでのやりとりがメインだった。久々に見るDは何も変わっておらず、最初に会ったときと同じ服を着ていた。ただ、疲れているのか眼は赤く充血しており、顔全体が黒ずんだ印象を受けた。
Dはこう言った。
「あなたの思想はもう特別なものではなくなりましたね。今ではもう誰もがあなたの思想に基づいて考え、行動している。世の中は変わった。これもあなたのおかげです。ありがとうございます。」
男は答えた。
「いえ、あのときあなたが私に声をかけてくれなければ、私もここまで来ることはできなかったでしょう。お礼を言うのは私のほうです。」
それを聞くと、Dは満足そうに笑みを浮かべてこう言った。
「そうですか。お役に立てて良かったです。こちらも次の方が見つかったところです。」
「次の方とは?」
男が聞くと、Dは顔の前で手を振りながら言った。
「いえいえ、こちらの話ですからお気になさらずに。」
そう言うと、Dは去っていった。
男は不思議に思ったが、構想中の本の執筆に取り掛かるために帰路についた。
男が駅のホームで電車を待っていると、男は後ろから何者かに強い力で押されるのを感じた。
数日後、Dはホテルのラウンジである男と会っていた。
Dは男としばらくとりとめもない話をしていたが、突然真剣な顔つきになり男にこう言った。
「あなたは特別だ・・・」
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