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題名

クノー曰く
言葉を愛していれば
何を言いたいのかわからなくとも
詩はかける
題をつけることは後からでも良いと

そのものの本質は中身でも
目的でも名前でもない
そのいずれにもある、またはその存在が本質なのかもしれない

ただ、人間というものの性分
どこか一つに重心を与えようとする
もしくは、そうしなければいけない気がするのか
いずれかに本質を見出そうとする
そこにも面白さは覗くのだが

彼の言う通り
詩というものは
確かに激しいものである
そのものの思いをのせた観覧車であり
そのものの感情や感覚の映写機ともなる
何をいとし何をおもったのかは
そのものにしか分からぬことであるが
そこから得られる想像は読み手にしか分からぬ
なんとも激しく、やんちゃなものである

詩を通して自分を見つめる
詩をよむのが好きな理由のひとつ
何を言いたいかわからなくて良いと同じように
私自身がそうであるように
結局のところ、何を言っているのかが分からなくとも
それなりのものができれば
それはそれで良いんじゃないかな

題名を始めにつけても
あとからつけても
本質が始めから決められていても
決まっていなくても

そこにあること自体が存在する理由
そう、感じた

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