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ばあちゃんすげぇ!多言語すぎるシンガポール

これまで時系列でアジアでの体験を記録してきた。ここからやっと今住んでいるシンガポールでの話をしたい。シンガポールに移り住み、早5年になろうとしている。その間、転職、結婚、妊娠、出産と盛りだくさんの日々を過ごした。

この国で一番面白いと思うのは、言語の多様さだ。私は言語マニアなので、色んな言葉が聞ける環境はとても楽しい。何より、いろんな人がいろんな言葉を話していることが「当たり前」という雰囲気は、モノリンガルの日本で育った私からすると、とても新鮮で心地が良い。

一体何ヵ国?

シンガポールに来て、私はまず日系の某メーカーで、営業の仕事をした。職場はだだっ広い工場で、作業員も含めると千人を超える従業員。私の営業事務所は、数十人規模の小さなチームだったが、色んな言語が飛び交っていた。

基本は英語、それに加え中華系が多かったので中国語、マレーシア系はそれぞれマレー語、インド系はそれぞれタミル語で話す。中華系でも年配になると互いに福建語で会話する。日系企業なので日本語はもちろん、さらに、私のチームは韓国市場も担当していたので韓国語も使った。

こうやって書くと、なんとカオスな状況なんだ、と思えるが、現場にいると、かなりナチュラル。単純に話相手によって、自分の心地よい言語を使って意思疎通している感じだ。中国語で会議を進めていても、日本人のスタッフが入ってくれば、すぐに英語に切り替わる。

日本だと若い人ほど、多言語を操れるイメージがあるが、驚くべきことにシンガポールはその逆だ。年配であるほど多言語を操れる。私の義理のおばあちゃんは、福建語、中国語に加え、マレー語、タミル語も少し話せた。おばあちゃんがマレー語で家のメイドさんとペラペラ会話しているのを見た時、このばあちゃんの頭の中は一体どうなっているのだ、と思ったものだ。

聞かれてたのか!

同じ職場でこれだけ色んな言語が使われていると、色んなことが起こる。

ある日、日本人のおじさん管理職が、目の前に座っているシンガポール人スタッフに向かって「このハゲが」と日本語で呟いているところを目撃した。悪口のレベルが低すぎて、耳を疑ってしまったのだが、はっきり「ハゲ」と言っている。自分もそのうちハゲるぞ、と思いながら笑いをこらえるのに必死だった。こんな大人になってはいけないと思ったものだ。

しかし振り返れば、私にも同じような経験がある。当時、韓国市場を担当していたこともあり、チームには韓国語を話す人が私を含めて3人いた。上司は日本人だったので、ことあるごとに上司への不満を韓国語でつぶやいていたものだ。真後ろに彼が座っているにも関わらず、だ。

シンガポールにいる日本人で、たまに中国語が堪能な人は見かけるが、韓国語まで話せる人は見たことがない。我々3人は当然のように、そう固く信じて、韓国語でありとあらゆることを大声で話していた。

半年ほど経ったある日、チームのチャットで我々3人は青ざめる。上司から一言「감사」(感謝)の文字。よく聞いてみると、この上司、元彼女が韓国人だったそう。結婚まで考える真剣な付き合いをした末に破局したそうで、韓国語はかなり話せたよう。

聞かれていたのか!!!我々アホ3人組はバカ丸出しである。何語であっても人に聞かれたくないことは言っちゃいけない、そう固く心に誓った瞬間だった。

ばあちゃん、わかる?

多言語すぎることの弊害といえば、ジェネレーションによって使う言葉が違うことかもしれない。孫は自分のじいちゃんやばあちゃんとまともに会話ができないことがよく起きる。

祖母世代は福建語、広東語など中国語の方言を、親世代は中国語(標準語)を、孫世代は英語で話す。これはその世代が何語で教育を受けたかによって大きく左右される。

初め、この光景を見たとき、正直衝撃的だった。祖父母は英語がわからないし、孫は福建語がわからない。私は昔からおばあちゃん大好き人間だったので、おばあちゃんと楽しい話ができないなんて想像もできなかった。でも実際、一緒に暮らしていれば互いに互いの言葉をちょっとつづ理解したり、聞き取れるけど喋れないみたいな感じで、うまく一緒に暮らしているみたいだっだ。

言葉が通じないからと嫌悪したり、うまく喋れないからと諦めたりする必要はない。互いにちょっとずつわかる言葉を駆使しながら、なんとなくうまく暮らせていけばいいんじゃないか。 シンガポールにいると、英語ができない事に後ろめたを感じていた自分の葛藤はなんだったんだろう、と思えてくる。


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