世界史の実験_Fotor

地方主義に世界性を見出す〜『世界史の実験』

◆柄谷行人著『世界史の実験』
出版社:岩波書店
発売時期:2019年2月

柄谷行人は、世界の歴史と社会構造を交換様式の観点から考察した一連の仕事が一段落した後、柳田国男に関する著作を複数刊行しました。一見したところ両者は関連性をもたないように思われますが、『遊動論』と同様に本書もまた有機的な関連性を示しています。

柳田は1935年に「実験の史学」を書きました。柄谷が本書で着目するのはその論文です。

柳田を再考するに際しては、ジャレド・ダイアモンドらが編んだ『歴史は実験できるのか』が契機になったことが明言されています。その本が柳田の「実験の史学」を想起させたのだと。ダイアモンドらのいう「歴史の実験」とは、いわば地域ごとの歴史的変異の比較分析を指します。
同様に柳田のいう「実験の史学」とは「多くの面で類似しているが、その一部が顕著に異なるような複数のシステムを比較することによって、その違いが及ぼした影響を分析する」ものと柄谷は要約しています。柳田は自らの史学の方法を「実験」と称する以前には「比較研究」と呼んでいました。

柳田のそのような方法は、今日にあっても依然として有効でしょう。柄谷はその観点から柳田の再評価を試みます。

日本列島では、言葉は中央から波紋のように広がって分布しました。中央では消滅しても辺境では残る、ゆえに、南北ないし東西に離れた辺境の言葉が一致する場合、それが古層であるとみなすことができます。その意味で、日本列島は「実験の史学」に最も適した場である、と柳田は考えたのです。

さらに沖縄まで射程に含めると世界史の「実験」にとっても恵まれた場所だと柳田は判断しました。これは日本を特別視するものではありません。日本において得られる認識が普遍的でありうる、ということです。

柳田は地方的な事実に立脚しないような普遍的な観念を疑いましたが、同時に、ある郷土が特異であると考えるような「地方主義」をも否定しました。真の地方主義にこそ、世界性がある。しかし、そのような考えは民俗学者には受け入れられるはずはありません。現に、宮本常一や福田アジオからは批判されました。

その後、柳田は比較民俗学を放棄し「一国民俗学」に向かったと理解されています。もっともそのことには相応の理由がありました。柳田が急に一国民俗学を唱えるようになったのは大東亜共栄圏を正当化するような比較民俗学に異議を唱えるためである、と柄谷は指摘しています。だからこそ、第二次大戦後ただちに実験の史学を再開したのです。

柳田のそのような可能性をより鮮明に浮かび上がらせるべく同時代の島崎藤村と比較した論考は興味深いものです。

さらに後半では、柳田の山人論を再検討します。「山人から見る世界史」です。山人はいうまでもなく平地における定住民と対比すべき存在です。
それはいくつもの論点を含んでいて、手短かに要約するのは難しいのですが、デカルトや網野善彦を参照した考察は民俗学や歴史学の専門家には望むべくもない広い視野をもった知的ダイナミズムを感じさせるものとだけ言っておきましょう。

インドの山地民と日本の武士をアナロジカルに論じるくだりなどもすこぶる面白い。柳田は、日本の武士がもともと山地の焼畑狩猟民であったこと、武士と農民が分離したのは近世のことにすぎないことを主張しました。武士は山地民ですが、遊牧民と似た存在でした。彼らは基本的に定住民の国家の圏外である山地にいましたが、その一部は王朝国家の中に入っていきました。
武士が王朝国家に対抗する勢力として前面に出てきたのは、騎馬軍団を形成してからです。それはむろん大陸の遊牧民の影響です。その意味で、遊牧民国家がなければ、武士政権はできなかったといえます。

ところで遊動民はすべて同一視されていますが、柳田は山人と山地民を区別しました。前者は定住以前のノマド(遊牧民)であり、後者は定住以後に生まれたノマドです。

網野善彦は文明以前に存在した「原無縁」としてあった無縁の原理が、国家成立後も続き、それが日本の「無縁・公界・楽」の根底にあることを示唆しました。柳田が終生追求した山人こそ、網野の「原無縁」に対応すると柄谷は考えます。柄谷自身はそれを「原遊動性」と呼びます。この概念がまさにそれ以前の柄谷の仕事と大いに関わってくるわけです。

冒頭にも記したように、柄谷には昨今の柳田国男論に先立つ仕事として、例えば『世界史の構造』に結実した思想的な著作群があります。資本=ネーション=国家という三位一体の相補的な世界のあり方を交換様式の観点から考察し、その構造を超える新たな世界の構想を提示するものでした。そこでは、再分配や商品交換ではない互酬性を高次元で回復する交換様式Dに基づく共同体が想定されていました。もっともそれは現実には存在せず、理念としてあるのみです。ただ歴史に現れた実例の一つとして遊動民の中にそのヒントを見出していました。

柳田の山人もまた遊動民として捉えることができます。その点で『世界史の構造』と柳田国男論はみごとに共振するのです。
日本の伝統や民俗をコツコツと掘り起こした柳田の仕事が世界史的な意味を持つ。あるいはそのような意義のあるものとして読み直すことができる。そうしたダイナミックな読み方は専門の民俗学者からは決して出てこないものだと思います。

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