学校より大切なことは確かにある。 けど、子どもと毎日過ごしたい大人はどれだけいるのだろう。
私がよく言うのは、好きでホームスクーラーしてないよーということ。でも結果的に今を後悔はしてはいないよ、ということ。
その覚悟をしたくなかったし(つらかったから)
毎日子どもと過ごすなんて3年ぐらいは正直しんどいしかなかったけど(フリースクールも行けなかったし、急な変化には身体が追いつかなくて)
越えてみて、今見える景色は、悪くないのです。
でもだからと言って
不登校、今は認められて当たり前!とか
安心して休んで学校外でも学べるよ…♪という雰囲気は、
簡単に薦められないのが本音。
なぜなら、何にしても、今の社会では家庭負担になりすぎてしまうからです。
(どこか居場所へ行こうとするお子さんならまだしも、どこへも行けない!お子さんを持った時、あなたならどうしますか?という問いに答えられる人はどのぐらいいるだろう)
ただ、大変なのは事実だけど、
自分の力で思うようにならないリアルを体験して学んだことは本当に多くて、とにかく豊かになったし、視野が広まったし、私自身が生きやすくなりました。
そう話す当事者のママ達も、いっぱいいます。
励まされるとかではなく事実を淡々と語り合えたり、
何に価値を得ているのかを話すことは、私には癒しになります。
(ただ、学校を新しい流れに…とか、不登校関連の盛り上がり感も共感はできるけど、「今」の感覚が狭くなると感じ、だいぶ情報を絞ってみたりはしています。
信頼ある人達、直接繋がってる方たち、全く分野が?違うけど気の合う人達とはよくやりとりをしています。)
居場所を作る理由は、ただただ、マイノリティの出会いや地域のネットワークが必要だと思うから(自分も含めて)わりとナチュラルに動けています。
新しいことをして導こう!とは、なかなか思えないけど。
でも、できたら
子どもではなく、先に大人同士。
大人が、大人として、本音で語らう機会を増やしたい。大人数でなくていいのです。むしろ一対一のあの感覚。
それが今は続けたいことなのかもしれません😌
私の妹は、いわゆる引きこもりにカテゴライズされているけど、
その妹を淡々と受け入れ、共に過ごしながら
お互いの目の輝きを諦めないことを選んでいる
私の家族のことを、今は尊敬しています。
(もちろん課題は山積みだからその都度向き合うんだけどね。以前は、なぜもっと救えないの!?と怒りが強かった)
学校とも上手くやろうとすればするほどすれ違ってきたので、それもやめて。どうしたら話し合うことができるか、お互いの折り合いがつくのか(ゼロか百かではなく)
なぜなら目標は子どもの幸せだと思うから…というところに設置し直し、体はそれに無理矢理慣れてきた感じですが、今では、そこに価値を感じています。
話してみたら、伝わった!意見が通った!という経験が、確実に増えているのもあるかも。(10回に3回ぐらいは伝わると感じる!笑)
そういう意味では、改めてこの環境に引っ張ってくれた子ども達に感謝です😊
※余談ですが今若い層が自民党への投票率が高いそうで、理由は変化を求めないからと。生まれながらにして不景気世代でもあるよね。安心をどこに求めるかで選択は変わる。それこそ多様性なのかも。
長男が最近お年玉で買ってきたグッズ(笑)
最近は日々なぜか私が彼の勉強を見ているけど、
体験からの学びは大きいな!を実感できて、学力がよくわかり、良い時間になっています♪