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戦争の真意を知りたくて。

コロナ禍の今、なぜかこのタイトルが響き読みました。


学生時代は歴史が苦手で、うっすらしか頭に入っていなかったから、読み応えありすぎだし、自分の無知ここまでか!と気づけて、衝撃的でした。読めて良かったです。

当時の世界の情勢、国同士の摩擦や交渉、国民の様子など細かく書かれていて面白かった。
しかし難しいので調べながら夜な夜な読みました。

まだまだ未熟だし偏っていると思いますが、自分目線で気になったところを出してみます。


日本人は、データを元にした作戦立てが苦手
「その時に見えている何か」で、行動を判断してしまいがちと書かれていて納得。
時代背景なども混同しがちで、客観性の乏しさを感じました。逆に、見える範囲の目的達成であれば、得意なのだなと。あぁ、私もそうだなー、^^;
管理された思想も、加担していそうですが。


・嫌々ながらではなかった、、戦争開始&出兵
特に、第二次世界大戦が始まった時の日記がいくつか載っていました。本当は怖くて嫌なのに無理矢理平常心を保っていた…んじゃないのね?!と。
真珠湾攻撃に興奮して、飛び上がる人々。いよいよか!と、活気付いている人々。
日清・日露の成功から〜陰気くさい日中戦争はもうこりごり。ようやく世界を相手にできる、強者日本!!

…戦場のリアルを知らない(それまでの戦地は海外だったから)、神の国・日本を盲信している当時の人々が浮かび上がりました。
もちろん、特攻隊員や現地の兵士など、戦いに直面してからは違うと思いますが。


盲目さは、情報操作で作られた。
盲目的に国のトップを信じられることは、ある意味幸せですね。
しかしそのため、命も惜しまない狂気と、妙な健全性の狭間にいたのだと思いました。

死者の数、また亡くなった場所など一切知らされなかったこと。
地域新聞での殉職知らせはあったが、横の繋がりを分断して、トータル数を分からないようにし、負けている情勢を伝えなかったと。
ギリギリまで、日本は強いと思い込まされていたんですね。
もちろん戦争のための教育もありましたよね。


国民を大切にしない、食料確保を優先しない。
日本は素晴らしいと教えつつ、食を担っていた、農民から徴兵していったこと。
また、戦地の兵士用食料が極端に少なく、餓死が多発したこと。
これ、他国ではあり得ない動きだったようです。


…なんだか重なりますね、今と。




著者の加藤陽子さんは、日本批判目線では決してなく、戦争を考える上での面白さや深さなど、淡々と事実を説明しています。また、歴史好きの中高生を相手にした授業が本になっていて、学生達の(皆んなすごい知識)仮説などおもしろい。

国内・国外関わらず、戦争や政治に関わった歴史上人物の言葉や、哲学的な見解なども多数載っていました。

その中で、国同士の裏交渉や駆け引き、機密情報?
これらが当たり前に存在してきたことを読んでしまうと、現代に置き換えたときに(単純に置き換えるのは危険ですが)辻褄があうな…と、感じてしまいます。

政府のコロナ対応とか、
オリンピックゴリ押しとか、
ワクチンの契約とか、
米国に従順すぎることとかね。
あ、私は日本批判になっちゃっていかんですね(笑)

日本は、戦争をしないと今は決めている。憲法にも守られていて素晴らしいことだけど、逆を言えば、どうせ戦争しない国だから。という事で、きっと舐められもするわけだよね。
国に従順すぎる一般市民の力は怖い、だから反発を煽っていたりするかもね。
この憲法は、アメリカが作ったものでもあるから。

いや、私の妄想なのでスルーしてもらっていいですが(笑)
仮説は実際多々あるし、今これだけチグハグな政治を見ていたら、人として、???何か変だなってのは、誰もが思うけど、成り立つ理由としては何だろうということですね(知らんけど)。

日米間で交渉が裏であったとしたら、ゴリ押しなんて何の不思議もないなと。(実際利権絡みはあるわけで)

つまり、
事実を知ってるわけではない、私たち一般市民が、何の判断もしようがない、と思います。

何を選択するにしても、得たい情報が足りてないので、そもそも誰が悪いだの、どの判断が正しいだの、言えないよねーと、思ってしまいます。

ちなみに、本の著者の加藤陽子さんは
日本学術会議の会員に推薦されながら、菅首相によって任命を拒否されたとニュースにありました。

(ちなみに、アフガンへ邦人救出のため、自衛隊が行くことになりましたね。自衛隊の権限で輸送や救出ができるようになったの、2015年の安保法制からだそうで。戦争加担はもちろんしないで欲しいけど、ただそれだけで訓練や武器を持つこと全て反対!というのは、また別問題だなと、今回やっと理解した。嫌悪感が湧く人もたくさんいるだろうけど。自衛隊を選び勤めておられる皆様や、自衛隊だけでなく生命危機に携わる人全てに、尊敬の意が湧きます。)

複雑すぎて難しい。でも、何でもそうだけど本当の安全はリスクの上にあるのかもしれない。

そして自然の原理かもしれませんね、淘汰されたり、歴史が繰り返すのは。。




幸い、現在の日本はインターネットが自由に見られ、情報は集まり客観視はしやすくなりました。(情報リテラシーは必要だけど)

戦争は恐ろしいものだ!と、惨劇を映像や言葉で伝えてくれる方々もいるし、平和を守る・憲法を守る、その理想を掲げることは、とても大切だと思う。

でもそれだけでは変わるものや伝わるものが足りないと思っていた疑問が、これで少し埋まった気がしました。

人を殺しあうだなんて、、と、今の時代だから信じられないと思うだけで
当時の価値観や教育からは、戦争する以外無かったのでしょう。
時代が違うって、ここまで違うってことなんだよね。


歴史に限らずですが、このような事実を知るか知らないかの差で、人は全く別世界をそれぞれ生きてる気がしました。
今更ながらこなす宿題がいっぱい見えてきた気がして、なんだか他分野の講座も聞いてみたり、興味が広まっています。

でも、学びをしつつ倫理感を得て、対話しながら「繋いでゆくこと」の【土壌】が、今の日本に足りない気がしています。

資本主義だからこそ守られてきた平和な日常があるのは間違いないですが、その歪みにほんと余裕がないような。

戦争から生還した祖父は、よく「いい時代になった」と言ってタバコをふかしていたし、素直に私は幸せなんだなと思えていたあの頃は、ただ、幸せだったのだと思います。
だからこそ、ある一定以上「知る」必要性を持ててなかったなと。

平和に甘えて、大切な認識がある程度統一されていないから、(考える必要性もないように見せられるから)今のようなごちゃごちゃが作られているように見えます。

何かを批判する前に調べたり、まずは我が身を振り返り、すぐ目の前にいる「違う」人達とのコミュニケーションなくして、人権も守られない気がしています。

と言っても、それがしたいと思える余裕ある状態の人って、あまりいないかもしれない。

それも、戦後から…
いや、戦争前から仕組まれたカラクリなのかもしれませんね(^^;)




















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