みらいの話がしたい、

”みらい”の話をしよう、
他でもないわたしの、わたしたちの。
「いきる」ということを

生きる というと今まではとっても大きく感じていた
わたしには向いていない、と

いつだって”今”に不安があってこわくて、こわくて、
こわくて。

未来って、その”今”が続くことでしょう?
考えるだけで、
足がすくむし、心臓がきゅぅとする。
その感覚でさえ、生きているからなのだけれど。

自分は、ほかの人の感情を受け取りやすいほうだ、
それは意図的ではないし、無意識的だし、感覚的な話になってしまうけれど
心にも、体にも影響が出てしまう。

よく言えば共感能力が高くて、
悪く言えば人や環境に左右されやすい

だからこそ、情報や環境を自分でわかってコントロールしなければならないのだけれど、
どうしても入ってきてしまうのが情報で、
その中でどうしようもなく自分の心をおかしていくのは
「死」
にまつわるもの。

すべてをわかりえないのはもちろんだとして、
心が死んでいくその感覚を、
その選択を、してしまいそうになる感覚を知っているから
他の何よりも、心と体が思い出していく、重くなっていく。

涙が出るとか、
それよりももっと先で
心臓がつかまれて体が浮き上がって、
このまま消えれるんじゃないかって、
そんな感覚

この話、終わりがあるのかな、
このままだとただの悲しい経験談になりそうだけど

まあ、うん、
だから、その情報を体内に入れると、一瞬でその感覚が引き戻される、
どうしようもなく、

だから、かなしいとか、悔しいとか、なんでっていう怒りとか、
それよりも、
同じ人、になってしまう、

ああ、止まれなかったんだなあ、って。

故人に対してや、その選択をさせた環境への怒りとか責めとか
そんな感情を抱く人がいる

自分は
分かってあげたい、
のかな
同じ場所にいたことのある同じ人間として
それをその感覚をわかりえない人が多くいる中だとしても。

大切な人を送ることも経験した、
ここ数年で何度か。
それは彼、彼女の意思だったかはわかりえないけれど、
大切な人だからこそ
責めたくなかった、
悲しさはいつでも、いつまでも消えないけれど。

だってこっちは何とでもいえるけど、
あちらは返事のしようがないからね、
平等ではないじゃんね。

感謝と労りを、伝えたいです、

私はね、いきているだけでえらいと、
今は思えているのです。

久しぶりに、自分の中の
中の中の、
深いところにまた出会って、けれど、
今の自分なら、またどうしようもなくなってしまったとき、
極端な選択は選択肢でさえ持たないかもしれない、
と。

消えたい、という感覚はなくならないです、
それはどんなに自分を尊重してくれて、大切に思ってくれて、
愛を注いでくれる人が存在しても。

それは、誰のせいでもないのです、

だからこそ、みらいのはなしがしたいのです、

将来がどうとか、何年後どうしていたいとか、
就職とか、結婚とか、出産とか、老後とか、
そんなおおきな人生設計の話ではなく、

自分がどうやって息をしていくか を、
それも
できれば新鮮な空気で、深呼吸を
笑えていなくても、
できるだけ辛さや苦しさのない、
今よりも少しでもいいところに、

そうやっていきていくということです

明日よりももっと近くの、
すぐ先の今を、いきる自分のための
みらいを、

まずは、
ここまでこられて
生きてこられて
良かった、

いきててくれて
ありがとう。
自分、私

みらいの話を、しよう、
これからも自分と、あなたと、していきたいのです、


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