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わたしたちの結婚#24/両親への挨拶とこぼれた涙


1時間に1本、多くても2本しか電車が停まらない駅の閑散とした改札を通って、夫は現れた。

田舎に似つかないしゃれたジャケットを羽織り、ヨックモックの紙袋を下げている。

緊張したようすもなく、朗らかに片手を挙げて、私に到着を知らせた。


「電車で来たのは初めてだけど、なかなか味のある駅だね、君の地元は」

「変なところはないかな?とはいえ、着替えは持ってきていないけど」

夫は自身の身なりを確認してから私の顔を見た。

「大丈夫。今日はバラが綺麗に咲いているから。ふたりともご機嫌だよ」

そして、ふたりがなぜバラを育てているのか、さっき仕入れた話をしながら家まで歩いた。

「君のご両親はなんというか、奥ゆかしい人たちなんだね」

ストレートな愛情表現の夫は、少し腑に落ちないという顔をしながら、丁寧に言葉を選んだ。

夫は、共感出来ないことでも、優しい言葉で丁寧に話を拾ってくれる。そんなところがとても好きだった。

「庭のバラがとてもきれいですね、そう言ってね。ご挨拶したあと」

「わかった」

私たちはきちんと両親のための打ち合わせをして、玄関扉を開けた。

両親はどんな表情で私たちを迎え入れるのだろう。
夫よりもむしろ私の方が緊張していたかもしれない。


「どうぞ、上がってください。遠いところありがとうございます」

父が朗らかに言った。
身内の贔屓目もあるが、とてもよい印象の挨拶で安心した。ガチガチに緊張して変なことを口走ったらどうしようと少し心配していたのだ。

「今日はありがとうございます。いいお天気で良かったです。お庭のバラ、とても立派ですね」

夫も爽やかに答えた。
ちらと盗み見ると、ふたりは商談前のサラリーマンみたいな顔をしていた。

なるほど。男の人は緊張すると仕事モードに切り替えて乗り越えるのだな。


母も目を丸くして落ち着いた様子の父を意外そうに見ていた。

母と目が合う。
ふたりして同じ気持ちらしい。
一瞬、茶目っ気のある笑顔を見せた後、コーヒーの用意のためにキッチンへ引っ込んだ。


夫は父にヨックモックの箱を恭しく渡して、父が笑顔で受け取った。

まるで脚本のあるドラマみたいに、なんども練習してこの日を迎えたんじゃないかと思うくらい、何もかもがスムーズだった。

片付けられた座敷の床の間に、母が庭の草花を生けていた。

私たちは上座に通され、夫は正座で着席した。


縁側から光が差し込んでいて、とても明るい。

部屋はきれいに片付けられていた。いつも父の書物がうず高く積まれていたこの部屋は、こんなに美しかったのか、とそんなことを考えていた。


母が計画どおり、コーヒーとチーズケーキをお盆に載せてやってきた。

「お口に合うといいのですが」

夫がコーヒーを一口飲み、父がコーヒーを一口のんだ。

「今日は遠いところをありがとうございます」

父が言った。たわいのない世間話をした。
天気のことや、夫の故郷のことや、趣味の話をした。

ありぎたいことに、私の両親は夫のパーソナルなことを聞き出そうとしたり、人を値踏みするような質問は一切しなかった。

ただただ、新しい友人を招き入れたかのような、そんな雰囲気だった。


「これから、家族としてどうぞよろしくお願いします」

夫は穏やかに切り出した。

“結婚させてください”という言葉を言うのかと思っていたけれど、現代の“結婚”はあくまでも2人の選択で、両親には「家族としてよろしくお願いします」と挨拶する、という夫の価値観が、とてもしっくりした。

「ロンさんは、いつも遠慮してしまって、言いたいことが言えなかったり、欲しいものややりたい事が言えなかったりするので、僕がいつも、ロンさんの本当の気持ちに寄り添っていこうと思っているんです。丁寧に言葉を重ねると、彼女はしっかりと意見を持っていることがわかるんです。でも、すぐには言えない。そんな彼女の、“彼女らしさ”を僕が大切にしてあげたいと思っているんです」

「僕たちを温かく見守っていただきたいと思っています」

夫は、一言一言丁寧に、両親の目を見て伝えた。


お喋りな私が、実際は言いたいことの半分も言っていないことに、夫は気付いていた。

いつだって家族のムードメーカー。ピエロみたいに明るく振る舞ってきた。でも、本当の気持ちは押し殺してきた。みんなの顔色を伺って、自分自身を消すことばかり、上手になった。

どうしてわかるんだろう。
夫には、そんな素ぶり、見せた覚えはないのに。

私が表現している私と、彼は結婚するのだと思っていた。

私が表現している私の奥側にいる、「私自身」を夫はとっくに見透かしていて、そして、そんな私を愛してくれていたのだった。

親の気持ちを汲んだ言葉を紡ぐことも、教師の望む感想を述べることも、友人たちの承認欲求を満たす言葉を捧げることも、あまりに日常で、そしてそれを繰り返すことが、「生きる」ことだと思っていた。

夫は言った。
そんな、作り上げた偽物の言葉じゃなくて、後ろに押し隠した「私らしさ」に寄り添いたいと。


その、深い愛情と言葉の選択に、自然と涙が込み上げてきた。

いい子だからとか、聞き分けがいいからとか、そんな相手の都合に振り回された、条件付きの愛情は、私を満たしはしなかった。

ずっと誰かに見つけて欲しかった。ずっと誰かに、「私」を大切にしてほしかった。

自分自身ですら気付いていなかった、私の心の奥底の気持ちが溢れた。

胸から暖かい何かが広がるのを感じて、頬を涙が伝った。

横に座る夫に気付かれないように、静かに泣いて、そっと拭った。


コーヒーを一口飲む。

父が、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と少し厳かに言った。

夫が私の家族と家族になった。

その事実に静かに感動していた。




「泣いていなかった?さっき、ご挨拶したとき」

帰り道、夫が心配そうに聞いた。

「そんなことないよ」

私はうそぶいた。

「そうかな。少し、心配だったんだ。傷付けるようなことを言ったかと思って」

「ううん。今日はありがとう。あのね、私初めてだった。嬉しくて涙が出たの」

「それならよかった」

夫は穏やかにそう言った。

「優しいご両親だね」


気付いたら、日差しが随分力強くなっていた。

雪深い季節からはじまった私たちふたりの歩みは、いつの間にか夏を迎えようとしている。


この人と生きていこう。
その気持ちが、一段と強くなった。



ロン204.



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