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好きなものを好きって言えるのがいい

男の子でも、裁縫・刺繍・服飾デザイン、そういうのが好きだってもちろんいい。最近、そんな男の子たちが登場する小説を続けて読んでみて(男性性とかジェンダーが主題ではないのだけど)、自分の「好き」を大事にして、しようとしている、男の子が自然と描かれているのが、いいなぁと思った。

みんな一人ひとり、好きな物は違うから、お互いの違和感はどんどんぶつけ合っていい。相手のことがわからないとき、よく知らないとき、前提としているものが違うとき、自覚的にも無自覚にも、相手を傷つけてしまうことは必ずある。
小さな傷の積み重ねやなにか大きな出来事が、そのひとの簡単には「わかる」といえないようなものを作り上げていく。それに触れてしまったとき、やっぱり簡単に「わかる」ことは難しいし、相手は理解されたいとも思っていないかもしれない。

「好き」という感情も、すごくわかりやすいものもあれば、うまく理解できないものもある。自分でも、なんでこれが好きなのか、なんて説明できないし、それが世の中に理解されにくいこともわかっているから、言わないこともある。

好きなものを好きって、堂々と言える世界。昔よりもずっと、いまは言いやすい世界になっている気がする。でも、もっと自由にいろんなものを好きになれる余地はいっぱいあるし、不自由さを抱えている人もいっぱいいる。

思春期のこれからの子どもたちの「好き」をちゃんと理解できる大人でいられるかはわからないけれど、その子たちの「好き」を否定したり、拒んだりはしたくない。好きなものを自分で否定したり、捻じ曲げたりしてほしくない。いまの子どもたちのほうが、ずっと柔軟にうまくお互いの「好き」をぶつけ合っている。だんだん頭の固い大人になってしまうわたしには、それがとても素敵で、いいなぁと思った。




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