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『ソロ戦争』#16 退屈の処方箋②

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。前回に引き続き、ソロ人間が陥りやすい「退屈」について考えてみます。前回の記事はこちら。↓

今回は、具体的にソロがどうやってヒマ潰しをしたらいいかを考えてみます。

退屈なのは頭が空っぽだから

私の好きな『風と木の詩』というマンガの一シーンにこんなやりとりがあります。

ジルベール「退屈なんだ、オーギュ」
オーギュ「空っぽな頭だからだ。少しなにかを学んでみるがいい」

確かに、知識の容量が少ないと、退屈を感じやすくなる気がします。本を読んだりなにかを学んだりして知識をインプットするのは、ヒマ潰しにはもってこいといえます。興味のある分野があったらなにかスクールとかに通って学んでみてもいいですし、そこまでやらなくてもその分野の本を読んでみるだけでも十分です。映画とかを観てインプットするのもいいでしょう。ヒマを感じたら、まずなにか自分の好きな分野のものをとりあえずインプットしておく、というのは基本です。

人間には「知りたい」という欲求があります。「学ぶ」というと大げさですが、日常生活のなかでも小さな発見があったりすると、刺激になるもの。知らない場所を歩いてみるだけでもその土地のことを「知る」ことにつながります。ちょっとでもなにかに興味を持ったら、それについて「知ろう」と動いてみてください。

インプットだけでなくアウトプットしてみる

しかし、インプットだけではいずれ飽きてしまい、またぞろヒマを感じるようになります。インプットに飽きたらアウトプットしてみるのがおすすめです。

文章を書いてみたり、絵が好きな人だったら絵を描いてみたり、音楽のたしなみがあれば音楽をやってみたりと、とにかくなにか手を動かすといいでしょう。そして作品ができたらネットに公開してみてもいいと思います。そこでリアクションがあると、結構うれしいものです。

なにもアウトプットすることがない、というような人は、たとえば読んだ本や観た映画の感想を書いてみるだけでもアウトプットになります。

坂口恭平さんがよく言っているのですが、アウトプットの質にはこだわらないほうがいいです。「いいもの」を作る必要は全然ありません。ヒマ潰しですから。

作る側にまわると、世界の解像度が上がる

ちょっと前にシャープ公式Twitterの中の人が、こんなコラムを発表し、話題を呼びました。

物事を「享受する側」から「作る側」にまわると、世界の解像度が上がる、という話です。

確かに、私たちは無意識に、物事や感動は「受け取るもの」だと思っているフシがあります。消費者意識というやつでしょうか。映画にしても、本にしても、自分で作るものではなく、それを享受する側だ、と思っています。しかし、視点を変えて「作り手側」に立ってみると、ただ受けているときにはわからなかったものの見方ができるようになります。

シャープさんも例にあげている「料理」とかは、その最たるものですよね。食べるだけの人と、作って食べている人とでは、料理に対する受け取り方が変わります。作っている人は、たとえば外食をしても、「この料理はどうやってできているんだろう」と考えたりします。また、料理をするには買い出しをしないといけません。スーパーで実際に野菜や肉とか材料をそろえていると、いまこの野菜が旬なんだとか、野菜の値段が上がったな、とか、いろいろな発見があります。

作る側にまわり、新たな視点を獲得すると、世界を見るレイヤーが増えます。ただ知識を詰め込むだけでなく、実際にやってみないとわからないことが世の中にはたくさんあります。

そう考えてみると、結構この世の中って、退屈しているにはもったいないくらい、様々な事象であふれています。

退屈かどうかは、意識の問題

結局のところ、退屈に感じるかどうかというのは、意識の問題かもしれません。たとえば昔の人は、今よりずっと情報もコンテンツも少ない時代に生きていたけれど、目の前の仕事とかに精を出し、少ない娯楽を楽しみながら生きていて、そんなに退屈がどうとか考えなかったのではないでしょうか。逆にいえば、今はコンテンツが増えすぎて、選択肢が多いから、なにをやったらいいのかわからず退屈、ということもあると思います。

そもそもなにかやるべきことがあったり仕事で忙しかったりしたら退屈どころではありませんから、退屈を感じられるというのは、ある意味贅沢であるともいえるかもしれません。

休みの日の朝、「あー、今日はなにしようかなー」と伸びをしながら考えているときが、私は幸せです。映画かな。美術館かな。そろそろ紅葉かな。あのお店のあれを食べに行こうかな。あそこまで散歩してあのカフェに寄って本を読もうかな。温泉もいいな。ああなんと幸せな退屈人間なのでしょう、私は。

さて次回は、ソロ人間の恋愛について考えてみたいと思います。

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