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『ソロ戦争』#15 退屈の処方箋①

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。今回は、ソロ人間が陥りやすい「退屈」について考えてみます。

「人生100年時代」という言葉が嫌い

最近よく言われる「人生100年時代」という言葉に心底ゾッとします。100年もいったいなにして生きればいいんだ。まだ身体が健康であればいいですが、高齢になればなるほど身体は言うことを聞かなくなります。身体が動かないのにただ生かされている・・・はっきり言って地獄です。しかし、世の中には「人生100年時代」というのを肯定的に捉えている人が多いようです。そんなにみんな長生きしたいのでしょうか。そんなに長い年月、なにをして生きればいいのでしょうか。退屈ではないのでしょうか。

なにか人生における目的があってそれを達成しようとしている人は、退屈しないでしょう。けれど、多くの人はそこまでの「人生の目的」ってないのではないでしょうか。仕事の目的とか、何歳までに結婚するとか、そういう大まかな人生計画はあったりするでしょうけど。でもそれだって、そのとおりにうまくいくとは限りません。

私自身も、「人生には目的が必要だ」とはとくに思いません。目的なく、なんとなく生きていたっていいと思います。自分自身、この年まで、なんの目的もなく、行き当たりばったりで生きてきました。けれど、目的がなくて、しかもソロだと、退屈する可能性が高いです。

非ソロは退屈しない?

家庭のある人はよく、「家庭が自分の居場所、人生のゴールだ」というような言い方をします。そういう人は配偶者と子供との生活に心底満足しているようです。そういう人はお幸せなのでしょうし、子供がいたら退屈もしないでしょう。

子供がいないパターンだと、配偶者に不満を持ってしまったり退屈してしまったりというケースもあるようです。もちろん子供がいなくても夫婦二人で楽しく暮らしているケースもあります。人それぞれです。

なにかの本で、非ソロのほうがソロよりも「幸福度」が高い、というデータを見ました。まあそうでしょうね、と思います。孤独や退屈を感じやすかったりするソロの幸福度は、やっぱり高いとはいえません。

そもそも人生は退屈

私は、そもそも人生は退屈なものだと考えています。要は死ぬまでのヒマ潰しです。人が仕事したり恋愛したり結婚したり子供を作ったり趣味に熱中したりするのも、結局のところはただのヒマ潰しでしかありません。いかにいろいろな分野でヒマ潰しをできるかというところに、充実した人生を送れるかどうかがかかってくるような気がします。

結婚や子供という分野のないソロは、非ソロよりヒマ潰しに関して分が悪いといえます。次回は、ソロがどうやってヒマ潰しをするかを考えてみます。




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