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インターネットは正しい。間違ってると言うならそれは読み手が悪い。

さっき何気なくネットサーフィンをしていたら

「インターネットはすべて正しい?--危険な10代の情報リテラシー」

というタイトルの記事を見つけて「いやいやいや完全にオバサン視点の記事じゃん」となったので反論します。

「インターネットは信用に値するぞ」という記事を書きます。

正確な情報なんて

そもそもこの世にある真理なんてものは科学と事実だけだ。

人が人の意思で作った情報なんてものはたとえ新聞だろうと本だろうとテレビだろうとブログだろうとTwitterだろうとも、そこに偏見や誤認は必ずある。

何を今さら「インターネットは間違った情報がある」なんて言っているんだと。そんなの当たり前じゃないか。家族でも友人でも知識人でも間違いや嘘を平気で語ってしまうのが「話」というものだ。どんなに調べたって一切間違いのない情報だけを喋れる人にはなれない。

だから10代がたくさんネットで情報を仕入れているからと言って、みんながみんなその1つ目の記事を鵜呑みにして満足するはずがないだろう。まぁ一定数はいるだろうが、「ネット記事を複数見る」という文化は生まれつつある。

ネットを見ないバカが、ネットを見るやつをバカにするな。

ネットをたくさん見ている人ほど良い情報を持っている。むしろ、中途半端にネットに疎い大人がネットから仕入れた情報ほど信用できないものはない。

インターネットは確かに玉石混交に色々な情報があって、間違った情報ですら強固に理由づけされ、たくさんの記事にまとめられ語られている。確かにそれはそうなのだが、

子供ならばどんな情報でも「正しい」「ウソだ」と判断する前に全てを読むだろう。そのどちらの情報もたくさんあるのだから子供は迷ってしまうが、時間をかけて事実を拾い上げ、それについて「著者の意見」とは別に考える。

大人は記事のタイトルを見た時点で「信用する」「信用しない」を決める。自分が正しいと思い込んでいる記事ばかりを見る。

だから大人ほど簡単に間違った情報というのを信用する。人から聞いた話という第一情報をベースに調査を始めるのだから、その「自分は正しい情報を持っているぞ」という証拠ばかりを集めてしまう。

結果おっさんおばさんや爺さん婆さんは陰謀論を抱えている確率が高い。中二病という言葉を知っている子供の方がよっぽど「偏った情報」というのを恐れているのだ。大人は自分が中二病になっても自覚することができない。

子供はバカだが学びのプロだ。歳をとると賢い代わりに学ばなくなる。

「ネットの記事を複数見る」という手法は子供であれば子供であるほどよくやっている。検索ワードも「〇〇 メリット」を調べた後に「〇〇 デメリット」を均等に検索する。

むしろ歳を重ねるにつれ「一つの情報で満足する」人が多くなる。大人は「〇〇 デメリット」とだけ検索する人が多い。

自分が「これは悪いものだ」と一度思い込んだら、「〇〇 問題点」だけ検索して「ほれ見たことか」と言ってしまうのが大人だ。

インターネットが偏っているのではなく、検索方法が偏っているのだ。

他人の情報は信用しない

「自分がネットで調べた情報より、家族や友人が言った情報の方が正しかった」なんてことはなかなかない。

むしろ「他人のアドバイスの通りに行動したら失敗した」という経験の方が多い。それは僕だけではなく大半の大人はそんな経験があるだろう。

情報というのは「複数人の語る常識的な意見」が最も正しく、たった一人の話ばかり聞いていては必ずどこかに間違いが含まれている。結局、色々な本を読んだり色々な記事を見たりという手法は、ネットだろうと活字だろうとも必要な手順になっている。その複数情報を仕入れるという手法だけが唯一の正攻法なのだ。

ネットはすべて正しい。

100%正しい情報というものは存在しないが、それでもほとんどの人は皆"正しい情報だと思い込んで"語っている

それだけは真実だ。好んで嘘を語る人など、アフィリエイター(広告収入目的のブロガー)くらいしかいない。利益のない悪事など進んで働きたくないのが人間だ。

だからどの情報も「誰かが善意のもとで書いている」という前提で読むならば早々に「絶対間違っている」なんて結論に辿りつくことはない。「この人はそう考えるのか」「この人の理屈は説得力があるな」とそれぞれの記事に正確性を評価してやれば、どの情報がどのくらい真実に近いかは分かるモノだ。

僕の爺さんなんかがそうなのだが、「この記事を書いたやつは嘘をついている」だの、「この記事を書いたやつは勉強してない」だのと言う。

勉強不足や情報の間違いというのはそれはお互い様だ。一方的に話を聞いておきながら、やれ「こいつは間違ってる」だの、やれ「こいつは騙そうとしている」だのなんて図々しい。

テレビに向かって文句を言っているのと同じだ。どちらが役に立つことを言ってるのかなんてのは一目瞭然、情報を発信している側の方がよっぽど大きな責任の元に発言しているだろう。

多少なりとも尊敬の意を持って記事を読み、適度に「もしかしたらここは間違っているのではないでしょうか?」という謙虚な疑いを以って記事を読むのがネットのマナーだ。過度な信用も過度な疑いも自分を陰謀論へと導く。

自分の聞きたい話ばかりを聞いていると、いつかは大きな偏りになる。

インターネットで見つからない情報などない。

ネットにはほぼすべての情報が載っている。Twitterまで駆使すれば99%の情報は手に入る。

「自分が今どうすればいいか」「自分が今なぜ気分が悪いのか」なんて問題でさえ、どこかに助けになる言葉が書かれている。同じ問題を抱えた人がいる。

インターネットを疑うな。間違っているように見えるのは読み方の問題だ。その間違ってるという情報にたどり着いたのも、正しい情報に辿り着けないというのも、たいていは自分自身の検索力の低さや誤解が招いた結果だ。

インターネットが完璧でないと思うのならば、それは「なんでもあるインターネット」というツールを扱えない自分自身に問題があると思え。あと僕より検索力がない人が「インターネットはアテにならない」とか言っているのを見ると腹が立つ。(多分それが言いたかっただけ)

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