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【TreePlanting.1】60年後の森と、30年前の町。

今日は、ほとんどの人がたぶん知らないであろう、北海道の小さな町のお話を書きたいと思います。
小さな町のお話ながら、なかなかに「深い」
町の名前だけでも覚えていってもらえると、かなりのツウにはなれると思います笑

前半「講義」みたいですが、「音楽モノ」のお話です^^

北海道・下川町。

北海道外の方は、いや、道内の方でも「知る人ぞ知る」くらいかもしれない、人口3,000人の小さな道北の町。
盆地という地形のため、冬はマイナス30度になる。
雪が降れば、除雪は昼過ぎまでの作業となる豪雪地帯。

「雪が多くて、寒い」つまり、極上のパウダースノーがあるので昔からスキーが盛んで、スキージャンプ・葛西選手の出身地、って言えばちょっとはわかるかな?

ひとえに北海道と言ってもすごく広いので、僕の住む「札幌」からだと、日帰りで行こうとするとかなり死ぬ距離です。

今回は、数年前にこの「下川」という町を「音楽」にしたというお話。

北海道で唯一の「環境未来都市」

…って見出しをつけると行政の都市紹介みたいになっちゃいますね。。w
ま、そう書き出してしまったので、その流れでちょっと書いてみようと思います。

昨今耳にするようになってきたSDGs「持続可能な経済社会システムの実現を目指す都市・ 地域」として選定された「環境未来都市」というのが日本に11あって、「横浜市」や「北九州市」等の「市」が軒を連ねる中、北海道で唯一の、しかも「町」で選定されたという、ま、簡単に言っちゃえば、実はすごい町なんです。皆知らないけど。

これは僕が訪れたときに目にした、「一の橋」というモデルタウンの構想。

下川町は「林業」の町なので、間伐材を燃やして熱供給をすることができる。それを利用して、地域全体を温めてしまおうっていうのが、この構想。ざっくり説明すると。
熱供給ができれば、冬場でも農作業ができるようになる。そこで取れた食材を使用して食事の提供をすることができ、そこを中心としたコミュニティを形成できるようになる……といった具合で、地域の特性を活かして「持続可能な経済社会システム」をつくり上げるのが、地方創生SDGs構想。云々。

…うむ、説明してると、なんか「デキル男」になった気分だ。(悦にひたる^^)


そしてゆくゆくはこれを拡大し、「下川町全体」をボイラーストーブにしようって考えてるらしい。

すげーな。
未来を見据えて、まちづくりをしようとしようとしている、「意識の高い町」だ。

それが、僕の印象でした。

60年前の森。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、てゆうか普通に想像つく感じもしますが、「林業」って簡単に説明すると、

木を「植える」→「育てる」→「伐る」→「使う」

ってサイクルを繰り返して行われるものです。
この「育てる」のプロセスで行われるのが「間伐」、畑の雑草をとるみたいなことですね。前述した下川町の熱供給は、この「間伐材」で行われるんですね。


林業では、計画的に「植樹」をし、森を育てていく。
それにはもちろん長い年月がかかって、今の森は60年も前に計画され、植えられたもの。

60年前の先人は、僕らが「今」見ている森を作るため、「未来」を見据えて、木を植えていたんですね。


…そこまでが見えたとき、この町が今「未来を見据えたまちづくり」をしているのは、必然のようにも思えました。昨日今日の提言や潮流でSDGs云々が発せられたから、とかではなく、その意識とスピリットが、もともとこの町にはあった。

そんなふうに、僕は感じました。

たぶん、「彼」も。

彼。

僕がこの下川町を訪れたのは、「彼」が行きたいと行ったからでした。
以前に記事でも紹介した、ベルリンと札幌を拠点に活動する、作曲家兼ピアノパフォーマーの「福田ハジメ」

僕は彼との出会い以降、一緒に動くことが多くなっていて、彼のデザイン業務だけでなく、プランニングやマネジメント等までをやるようになっていました。

彼が「下川町に行きたい」と言ったとき、僕は「え?あの下川?」と思った。

というのも、実は僕は従兄弟がこの下川町に住んでいて、子どもの頃はよく遊びにきていたんですよね。もう30年以上も前になりますが(歳とったな。。。)

なので、初めてではなかったんです。
見慣れた、よく見知った町。
僕は30数年ぶりに、この町を訪れることになった。


下川の町に入って、驚いたのは。

30年前と町並みが変わっていない

ということでした。

30年前の町。

「変わっていない」というのは、過疎化してシャッター商店街になってるとかではなく、はたまた近代的に開発されてるとかでもなく、30年前と同じ姿で「動いている」ということです。

僕が生まれ育った札幌の近所でも見かけなくなった「昭和の商店街」、スーパーも金物屋も、ケーキ屋も喫茶店もガソリンスタンドも、30数年前の僕の記憶のまま、そこで動いていた。


後から紐解いて分析してみると。
この町は、「札幌〜旭川〜稚内」という北海道の「背骨」的な幹線から、横道に入らないといけない場所にあり、鉄道も廃止になってからは「車」か「バス」でしか行けない。ひと言で言ってしまえば、「アクセスの悪い田舎」

だけど、それが功を奏したのか、昨今の都市部では必ず見かけるような「チェーン店」が一切進出してこなかった。飲食店も、ドラッグストアも、大手コンビニも。唯一、「北海道の誇り」ローカルコンビニ「セイコーマート」だけ、1件入ったけど、それくらい。

*道外の皆さま*
北海道来た際には「セイコーマート」
※企業案件ではありません^^

でも普通に考えれば、そうなったら「過疎化」が進むはずだ。ま、実際のところ、人口自体は以前よりは減ってはいるけれど、、、町は全然死んでいなかった。
聞けば、最近は人口は横ばいになってきているとのこと。

人がいて、新しいモノは入ってこなくても、旧来のものが問題なくあり続ければ、生活はそこで回る。それが、ずっと続いている町だということか。

疑問。


…ん?
でも、ちょっと待って。
高齢になっていけば、人はいつかは亡くなるでしょ?
なぜ人口が横ばいになるの?
誰も亡くならなくなった、ってこと?
そんなわけないよね。

【疑問】なぜ人口が減らないのか?

【答え】「新しい人」が、流入してきているから。

そうなんです。
30年前のままの町並みに、「若い人」が思いのほか多かった。

※こんなには いません笑

なぜ、彼らはこの町に来たんだろう?
この町に、何があるんだろう?
この町で、何かが起きているんだろうか?

久しぶりの「下川町」に僕はいろいろ戸惑いながら、まず最初に一人の人物を訪ねることになります。
その人は僕よりも年下で、六本木ヒルズでプロジェクトマネージャーをやっていたという人物でした。


…なぜ、そんな人が、この田舎町に?


つづく。


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最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。