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『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』ジェスミン・ウォード著

思うのだけど、人間というのは、何か大きな心揺すぶられる様なことがあると、何かの形にしたくなる。表現方法は色々ある。私は文章にすることで、その衝撃を自分なりに(一時的にせよ)落とし込めることが多い。

先日、ウイルス禍により、閉館していた地元の図書館が開いた。行ってすぐに新着本コーナーで目に留まった本がこちら。

『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』ジャスミン・ウォード著 石川由美子訳

Sing, Unburied, Sing   by Jesmyn Word, 2017

(以下、ネタばれの無いよう、書いてみます。)

心を射抜かれるような、これ程のものはないと思えるほどの破壊力のあるタイトル。そして、装丁もとても好みである。急いでいたので、中身をぱらっと見てみて、内容も確認せずに借りてきた。

折しも、アメリカでは、警官による黒人殺害事件による抗議活動が非常に活発化して、毎日の様にニュースやSNSでその様子が伝えられる日々。巻末に小冊子の体をした解説がついていて、著者の経歴やこれまでの作品と当作品についての紹介が載っている。それを目にして驚く。

中の章の見出しでこのようなものがあった。「ブラック・ライブズ・マター、『私たちが刈り取った男たち』、『今が火だ』」。Black Lives Matter。今まさに、大勢の人によって、叫ばれている言葉。

私がこの様な素晴らしいタイミングでこの本を手に取ることが出来たのは、地元図書館のおかげで、本当にこの図書館には沢山の恩や感謝がある。子ども達も育てて頂いている。そして、他にもたくさんある本の中でこの本を手に取るというこの贈り物の様な出会いは、引き寄せたのか、引き寄せられたのか(必然であり、偶然であるとは思う)。

というのも、これは「マジック・レアリズム」という手法が使われている本であった。私の生涯のベスト3の本のうち、2冊はそのジャンルだ(どちらも海外作品)。マジック・レアリズムとは「日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法、主に小説や美術に見られる」とある(Wikipediaより)。 その表現のひとつとして、死者たちも出てきたりする。

ジョージ・フロイド氏の死は多くの人々に注目されたが、沢山の注目されなかった死、その中でも、残酷な、不当な、苦痛に満ちた死の数々。それらの死はどこにいってしまうのだろう。

ジェスミン・ウォードは、自らが、差別される側の「黒人」「女性」として、様々な理不尽な目にあいながらも、作品を発表し続け、2011年、『骨を引き上げろ』で、アメリカで最も歴史と権威のあるという「全米図書賞」を受賞。そして2017年に当作品によって、二回目の受賞を果たすが、これにより、ウォード氏は、史上初めて女性の、そして史上自初の非白人の全米図書賞複数回受賞者として、アメリカ文学界にその名を刻むこととなる。

青木耕平氏はこの様に書く。「プロットの面白さ、構成の見事さ、語りの巧みさ、現代を抉るジャーナリズムと現在へ突き刺さる歴史からの視座ーそのすべてを併せ持つ本作は、小説としての強度が違う。」(一部抜粋)

さて、多くの読者がレビューの中で言っている様に、この小説の読後感は、この悲惨な話にもかかわらず、どちらかというと爽やかだ。

複数の登場人物たちの語りによって構成される本作だが、それらのまなざしが、優しい、からだと思う。恨みつらみをとうとうと述べるスタイルや悲劇をこれでもかと書き連ねるスタイルとは対照的に、どこかあっけらかんとしていたり、優しかったり、少し間抜けだったり、する曲調が、全編を貫いている。のだが、それだけで終わるのではなく、まるで音楽作品の様に、力強い「サビ」的な部分が用意されている。この「サビ」は、恐らく多くの読者を驚かせ、その心に深く残るだろう。私は半ば油断しながら作品を読んでいたので、この部分に差し掛かり、不意をつかれた。そして読みながら、涙が湧いてくるのを止められなかった。文学作品を読んで泣いたのは、いつ以来のことか分からないほど、久しぶりだ。

この作品は、上に挙げた意味で、文学史を塗り替えたと言える。青木氏による包括的かつ鋭い解説に、蛇足的に何か当作品への感想を加えるとすれば、それは、この作品が「現代らしさ」や「新しさ」を感じさせることかもしれない。

テーマは、アメリカの古くより続く、人種差別であって、悲惨なエピソードも盛り込まれている。が、おどろおどろしくなく、語られる。

それは、恐らく、だけど、動画だとか文章だとか、自分で作って外に出すための技術やインフラが発達してきたことと関係あるかもしれない。

これまでで言えば、声をきかれなかった側の声も、出すための道具は揃ってきている。ジョージ・フロイド氏の理不尽な死は、その他大勢の「埋葬されぬ者たち」のそれになるのを、免れた。

いくら時代が進んでも、技術が進んでも、人間の本質が変わるわけではないのだから、人間はこれからも闇を持ち続けるだろう。だけれども、その在り方は変わらざるを得なくなる筈だー声が無かった者たちの声が、発せられるようになることによって。声を発するのは、選ばれた一部の人の特権では無くなってきている。

日常に溶け込んだ、闇。私たちは、凡庸な日常生活を通して、これからもそれを目にするだろうし、体験するだろう。それでも、アメリカで、黒人だけでない多くの人々が今、「Black Lives Matter」を叫ぶ様に、これまでとは、在り方が違ってくるはずだ。それはどこかから降ってくる変化、というよりは、大きなうねりに、自分自身ものらなければいけないし、そのためには、変化を感じ、自分なりの「変化への乗り方」を模索していかないといけないのではないか。

「死」のあり方を変えるために、「生」のあり方を変える必要がある。

私はその鍵は、「ドラマティック」でない、「平凡」の中にあると思うし、「ヒーロー・ヒロイン的なアイコニックな誰か」ではない「凡庸な私」の中にあると思うし、それはこの作品の曲調にも、読み取れるのではないかと感じている。

歌おう、私たちも。

そして、耳をすまそう。

累々と積みあげられ、少なからず打ち捨てられてきた死、それらは私たちの日常の中に、溶け込んでいる。

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