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雨の帰路 【エッセイ】


僕は梅雨にいた。

春の陽気が落ち着き、湿気と気だるさのある気温が続いていた。

『憂鬱。』
最近はそんな言葉が僕の感情を支配していた。気温のせいではない。
僕は学生生活に飲み込まれている。
学業と部活動の両立というものに魅力を感じないせいか、自分がこの日々から何を見い出せば良いのか分からないのだ。

夢や目標は掲げるからこそ輝いて見えるらしい。でも僕は素晴らしいと感じる想いは、胸に秘めていたい。
それが怠惰や傲慢や一方通行から生じる感情だとしても、僕が素晴らしいと思えばその想いは自我を持って輝き出すのだ。
だけれど、この学生生活で素晴らしいと称賛されるものは成績や貢献度や結果であって、僕を満たしてくれるものではなかった。

ため息をつき、ふと窓の外に目をやった。
曇天空が広がっていて、今にも雨が降り出しそうな色をしている。

午後は音楽の授業だ。
とても好きだけれど、雨の日こそ外で体育をしてほしいと常々願っている。

なぜなら僕は雨と生きている。

見上げたときにポツリポツリ落ちてくるそれは、なんとも洗練された旋律のようなのだ。

音楽の授業では教えてくれない音。
冷たく気高い。雨はそんな匂いと音がする。



午後の授業も終わり、帰る準備をしているとパラパラと雨の降り出す音がした。

傘をさした帰路は気分が良い。
雨と生きている僕に傘はあまり必要がないのかもしれないが、傘に雨が当たる音を聴きながら帰る時間は、僕の為だけに用意された特別な空間に感じられた。



パラパラと降る雨の中をひとり歩いていく。

道端には咲き始めの紫陽花が並んでいた。
青と紫の混ざった色をした紫陽花は、女子学生のあどけなさとは正反対にいる気がした。

雨粒が草木に当たり雫が垂ると、自然が喜んでいるのがわかった。僕はこの草木の笑みでもって生を感じることができる。
生きる。は頂戴すること、そして取り入れ与えることだ。



道路にできた水溜まりを飛び越え、見知らぬ誰かにホップステップジャンプを披露してみせた。
水溜まりにジャンプをした僕の姿が映っていた。ひとつひとつの雨粒がこの水溜まりを作っている。旋律が溜まっている小さな海。

『楽譜みたいだ。』

そんな思考になるのは午後の授業が音楽だったからかもしれないが、なぜか僕にはそう思える日がくるような気がしていた。
その楽譜は意思を持っているかのように見えたのだ。

雨でできた楽譜を覗き込み、耳を澄ませた。
ひとつひとつの音の集合体がそこにあった。
水面に雨の粒が響き、綺麗な奏を創っていく。自然音のみで成立する音楽だ。

雨が強まり、その曲はボリュームを上げた。
耳に入るそれは僕の憂鬱の音量より大きかった。消し去ろうとしているわけではなく、ただの憂鬱を優しい憂鬱に変えようとしてくれていた。自分の音が何よりの特効薬だと訴えかけるようだった。



傘を閉じ、空を見上げた。
雨粒が僕の顔に当たり弾ける。
濡れ始めた僕は、自分が譜面に溶けていく姿を思い描いた。
音楽の授業では教えてくれない音。
誰も読めない譜面。

僕はこの音を持って生きている。

生きる。は頂戴すること、そして取り入れ与えること。

僕は何を与えようか。
この雨音ひしめく世界に。

そんな想いを胸に抱きながら、再び雨の帰路を歩き出した。

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