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コミュニティとは本来的には外部に開かれた概念である。2/14

これからの日本社会や、そこでの様々な課題を考えていくにあたり、おそらくその中心に位置していると思われるのが「コミュニティ」というテーマ

農村共同体的コミュニティから、工業化、都市化を進めた経済成長期を経てカイシャや核家族という単位にコミュニティが移り変わっていく中で、
得たものと失ったものが多くあった。

特に、現状のコミュニティの中心を占めているのが、カイシャであり、核家族となっているが、それらが現代においては転換を迫られている。

なぜなら、それらが存在し得た条件としてあった、
「競争と利益追求が、その時点においてはパイ全体の拡大、経済成長につながり、それがまた結果として個々の会社や家族の取り分の拡大にもつながるという好循環」が存在できなくなりつつあるからである。

現実にも、限りない成長・拡大(= 「バイの拡大」)という時代が終わる中で、いわゆる格差問題や社会保障のあり方など、むしろ「パイの分配」という課題が前面 に出るようになり、「パイの拡大が個人の利益の増加にそのまま結びつく」という予定調和的な状況や前提はもはや存在しなくなっている。 こうして、高度成長期を中心に日本人にとっての中心的なコミュニティであった「会社」、「家族」、「ニッポンという(会社的)コミュニティ」とその関係構造は、幸か不幸か、 いずれもこれまでのような形では存在しなくなっている。現在の日本社会において「コミュニティ」というテーマが大きく浮上する基本的な背景のひとつはこれであり、この点は 同時に、「個人の社会的孤立」という状況とつながることにもなる。


『コミュニティを問い直す』という本も踏まえて抜粋しておきたい点5つ

❶コミュニティという存在は、その成立の起源から本来的に「外部」に対して「開いた」性格のものである

…「コミュニティ」 を「重層社会における中間的な集団」と捉えるとすると、コミュニティはその原初から、その「内部」的な関係性と、「外部」との関係性の両者をもっていることになる。
このいわば 関係の二重性(ないし二層性)。にこそコミュニティの本質がある。(「内部」的関係性と「外部」的関係性の二重性)

「コミュニティ」という存在は、その成立の起源から本来的に外部に対して「開いた」性格のもの である、といえるのではないか。

言い換えると、「コミュニティづくり」ということ自体の中に(ある意味で逆説的にも)「外部とつながる」という要素が含まれているのではないか。またそうした「外部とつな がる」というベクトルの存在が、一見それ自体とし ては「静的で閉じた秩序」のように見える「コミュニティ」の存在を、相互補完的なかたちで支えているのではないだろうか。

上記のように「コミュニティ」は常にその「外部」をもつ、あるいは 「コミュニティ」という存在はその成立の起源から本来的に外部に対して「開いた」 性格のものであるという認識を言い換えると、「コミュニティの中心」として歴史上重要な役割を担ってきた場所は、実はそうした意味での「外部」との接 点、あるいはコミュニティにとっての「外に開かれた,窓」ともいうべき場所だったといえるのではないだろうか。

すなわち、
①「神社·お寺」などの宗教施設は、
彼岸あるいは異世界(あちらの世界) 。 (ないしコミュニティ」の成員としての死者の世界)との接点であり

②「学校」は、
 新しい知識,という「外の世界」との接点であり、 

③「商店街」(あるいは市場)は、
(市場というものが複数の共同体間の交換ないし交易という点に起源をもつように)。他の共同体,という「外の世界」との接点であり、 「自然関係」は、文字通り自然。という人間にとっての「外の世界」との接点であり

④福祉·医療関連施設」は、
「病い」や「障害」という、ある種の“非日常性(しかし人間にとっては避けて通れないもの)という意味での「外部」との接点である、

という具合に。

逆にいえば、こうした「外部」との接点(あるいは外部に開かれた窓)としての性格 をもつ場所が「コミュニティの中心」としての役割を果たしてきたという事実自体が、 「コミュニティ」というものが本来的に外部に開かれた存在であるということを示してい るといえるのではないだろうか。同時に、そうした内部と外部との動的な相互作用が、コミュニティそして人間の「創造性」ということと重なっているのではないだろうか。


❷人と人との関係のあり方という「ソフト」面と、建物どうしの 関信ゃ含督としての街並みという「ハード」面のありようとは不可分の関係にある

現代の日本の町並みは、商品化された土地や建物が何の統一性も哲学もなく、ただ商品としてバラバラに存在し、自動車に適した導線が引かれるなど、「生産物のための街」となっている。
その結果、道で出会う人に挨拶すらしない関係性にも影響を及ぼし、社会的孤立を誘発する環境となっている。

逆に言えば、人と人とが物理的・心理的に関わりを持てる、繋がりを導線として持った都市計画、建設計画が行われた「人のための街」であれば、
人々の関わり方を変え、物質的・心理的にも孤立や分断を生まない街になるのではないか。

つまり、私たちがある都市の街並みや景観、その調和や不調和を見ているとき、私たちはその背後にある、その社会における人と人との関係性を同時に見ているといえる。 

この他以下のようなテーマにも言及されていて、非常に面白いが一つ一つが重いので、またの機会に触れることにする。

❸定常型社会における生産性概念の転換

❹複雑系としてあらゆる社会の事象を捉える。ーケアを軸にー

❺個体としての脳と全体としての脳「ソーシャルブレイン」


とりあえず、廃校と空き家を使って地域に以下のような要素を持たせた空間を点在させる計画を立てようと思った。

多世代交流
福祉・医療
学校・教育・生涯学習
環境・資源循環(サーキュラ)
コミュニティ
カフェ等飲食
農業・林業
プロジェクト・事業創発・連携

ということで、お疲れ自分。おやすみなさい。

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