表題雑司ヶ谷の狸 概要 天保9年(1838年)の6月末、雑司ヶ谷(現在の東京都豊島区雑司ヶ谷)で畑を荒らした古狸を殺したところ、殺した者が狸が取りつかれて病気になってしまった。病人の周囲の人が狸を責めると、狸は自分を神として祀って欲しいと望んだ。そこで、人々が鬼子母神(備考参照)の末社の鷺明神の裏手に祠を建てて「吉多明神」として狸を祀ったところ病人は無事に全快した。 訳文6月末に雑司ヶ谷の辺りで年を取った狸を殺したが、その夜殺した者に取りついてその者を苦しめた。周囲の人
表題鼠のつきたる人妻 概要 小納戸役(こなんどやく)(備考欄を参照)の戸張某に仕える馬飼いの妻が鼠に憑かれ、足の爪や指などをかじられるようになった。鼠の害を逃れるために馬飼いの妻は櫃(蓋のある大型木箱)に入って寝るようになったが、数百匹の鼠が櫃を破って侵入したために死に至った。 訳文 御小納戸戸張何某の馬飼いの妻に鼠がついた。鼠が足の爪をかじり、次第に指や髪の毛もかじるようになったため、馬飼いの妻は少しも眠ることができなくなった。あまりにも鼠を遮ることができないので妻は一
表題大雷の厭勝(えんしょう) 概要天保2年(1831年)の夏、江戸で大きな雷が落ちるという噂が広がった。そのう雷を避けるには胡麻入りの豆腐の味噌汁を食べればよいという噂も同時に広まったため、あちらこちらの家で豆腐の味噌汁を食べている。 訳文 江府(江戸のこと)の町で、この夏誰が言うともなく近辺に大きな雷が落ちるという噂が流れている。その落雷から逃れるためには、豆腐を味噌汁にして胡麻を加えて食べればよいとも言われていて、江戸の家々では味噌汁を食べている。この夏は例年よりも雷
表題竜を捕るといふ説の事 概要 佐州(佐渡)や越前・越後(現在の福井県と新潟県)では、龍の昇天に伴って発生した暴風雨で家屋や田畑が壊れることを「竜損(りゅうそん)」と言う。また清では竜損を防ぐために龍を殺すことがある。 地中に龍が居る地点には雪が積もらないのでその地点の地中深くまで檜の材木を打ち込めば竜損は起こらないのだという。 訳文 江戸は賑やかで人も多いため、龍の昇天などを見たというのもまれにあることである。江戸以外の国ではこのようなことも度々あることだ。私(耳袋
表題呼出し山の事 概要 神隠しにあった子供を捜して八王子の「呼び出し山」に祈願しに行った男の夢に老翁が現れお告げをした。そのお告げの通りに男が出会った老僧に子供の事を聞くと、子供は数日後に帰って来ると言われた。まさしくその通りの日に、無事子供は帰って来た。 訳文 上野(東京都の上野寛永寺)の楽人(がくじん)に東儀右兵衛という人がいた。その息子は6歳だったが大変賢く、両親からことのほか大事にされていた。その子が文化11年(1814年)の初午の日、どこに行ったのか、行方不明
表題江州別保村浄元虫 概要 江州別保村で処刑された浄元という悪人の死体を埋めたところ、そこから異様な姿の虫が大量に湧いた。 訳文 江州(現在の静岡県)別保(べつほ)村の蒲生家の浪人に南蛇井(なだい)源太左衛門という者がおり、出家して浄元と名乗っていた。浄元は凶悪な人間で、家に泊めた旅人を殺して金目の物を奪うといった悪事を働いていた。 慶長5年(1600年)に関ヶ原の合戦の落人が多数この家で宿を借りたが、彼らは皆浄元に殺された。落人を殺したことについてはお咎めなしとなっ
表題千沢の幽霊一子生ず 概要 とある城の城主の千沢(ちざわ)という者が死後幽霊となって夜な夜な自分の妻の元に通い、その結果、妻は千沢の幽霊の子供を妊娠した。子供ができたことで未練がなくなったのか、それから千沢の幽霊が現れることはなくなった。 訳文 慶長(1596年~1615年)のころ、ある城の主で千沢という者が死んだが、妻に対する執着心が残ったのか毎晩妻の寝室に現れ共寝をした。あまりに度重なるので乳母の女房が不審に思い千沢の妻に尋ねたところ、妻は包み隠さず答えた。 「ええ
表題潜竜上天の事 概要 文化五年(1808年)の6月17日に浅草観音の堂上と仁王門の上に黒雲が出て、火柱が立ち雨足が強くなった。 訳文 文化五年6月17日に浅草観音の堂上と仁王門の屋根の上に黒雲が集まり、そのうちに燃える火のようなものが立ち昇り、雨足がやたらと強くなったと人が言っていたが、山崎宗篤曰く、彼のところに出入りしている髪結もはっきりと見たと話していたので、嘘ではないだろうとのことだ。 いつの頃だったかこのようなことがあったが、その時は火災があったと言い伝えられ
表題大蚯蚓 概要丹波国柏原遠坂村の山崩れで出た大蚯蚓の記事。 訳文『和漢三才図絵』に載っているところによると、深山の地中には一丈(約3メートル)程の大ミミズがいる。最近、丹波国柏原の遠坂村で一日中暴風雨が吹き荒れ山崩れが起こって、2匹の大ミミズが現れた。1匹は一丈五尺(約3.5メートル)、もう1匹は九尺五寸(約3.1メートル)あったという。『東国通鑑』によると高麗の太祖8年の年に、城の東に大ミミズが現れた。体長七十尺(約23メートル)あったという。 原文 和漢三才図絵に