浄元虫

表題

江州別保村浄元虫

概要

 江州別保村で処刑された浄元という悪人の死体を埋めたところ、そこから異様な姿の虫が大量に湧いた。

訳文

 江州(現在の静岡県)別保(べつほ)村の蒲生家の浪人に南蛇井(なだい)源太左衛門という者がおり、出家して浄元と名乗っていた。浄元は凶悪な人間で、家に泊めた旅人を殺して金目の物を奪うといった悪事を働いていた。
 慶長5年(1600年)に関ヶ原の合戦の落人が多数この家で宿を借りたが、彼らは皆浄元に殺された。落人を殺したことについてはお咎めなしとなったが常日頃の悪事が露見したため、門前の柿の木に縛りつけて7日間晒し者にされた後、斬首刑に処された。
 村人は浄元の死体を浄元が縛りつけられた柿の木の下に埋めたが、その翌年、木の下から人間のような姿をした虫が無数に湧きだした。村人はこの虫を「浄元虫」と呼んだ。その虫は人間の顔のような模様をしていて、手を後ろで縛られたような姿で枝に付いていた。村人はこの虫をあちらこちらへ持っていって見せているという。

原文

 江州志賀郡別保村に、蒲生家の浪人に南蛇井源太左衛門と云ものあり。剃髪し浄元といふ。此者凶悪人にて、その家に止宿の旅人あればことごとく殺害し財物を奪ふ。慶長五年関ケ原の落人、此家へ多く宿し皆害したり。とがめは無之処、平日の悪事露顕によって、門前の柿の木に縛りつけ、七日肆斬首せらる。村の者ども其からだを樹の下に埋む。翌年その木の元より人の形したる虫数多出たり。民人皆浄元虫とよぶ。其虫の形人の面のごとく、手は後のほうへしばられたるやうにて木の枝に取付あり。此虫所々へ持来り見せたるとなり。

出典

『煙霞綺談 巻之二』江戸後期刊(『日本随筆大成 第1期第4巻』、p221、吉川弘文館、1975年)

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