雑司ヶ谷の狸

表題

雑司ヶ谷の狸

概要

 天保9年(1838年)の6月末、雑司ヶ谷(現在の東京都豊島区雑司ヶ谷)で畑を荒らした古狸を殺したところ、殺した者が狸が取りつかれて病気になってしまった。病人の周囲の人が狸を責めると、狸は自分を神として祀って欲しいと望んだ。そこで、人々が鬼子母神(備考参照)の末社の鷺明神の裏手に祠を建てて「吉多明神」として狸を祀ったところ病人は無事に全快した。

訳文

6月末に雑司ヶ谷の辺りで年を取った狸を殺したが、その夜殺した者に取りついてその者を苦しめた。周囲の人はこの狸を非難して

「お前は齢1000年を越える身でありながら年甲斐もなく畑を荒らした。それゆえに殺されたのだ。この人を恨みに思うな、自分の過ちのせいで死に至ったのだ。」

 と言った。すると狸がその病人に憑いてこう答えた。

「実際、殺されてしまったのは私の過ちのせいなのでこの人を恨んではいない。ただ願わくば神として祀られることを望む」

 このことがあってから人々はお経を読んで鬼子母神の末社である鷺明神の裏手に祠を建て、「吉多明神」と名付けて祀った。狸に憑かれた病人はすぐに治癒した。8、9月になってあちこちの人々が此事を聞いて参詣し市をなしている

原文

 六月末に雑司ヶ谷在に古き狸を打殺しけるが、其夜殺せし者について彼をなやませり、
余人此狸を咎ていへり、爾千余年を越たる身としてはしたなくも畑を荒せり、故に打殺さる、此人を恨る事なかれ、己が誤りより死亡に及べり、狸かの病人に附きていへるは実に、打殺されたるは吾か誤りにて此人を恨るにあらず、只望むらくは神にまつられん事を願ふ也と答ふ、是よりして衆人経を読んで鬼子母神の末社なる鷺明神の裏へ祠を建て、吉多明神と号し祭れり、病人は頓に愈たり、八九月に至り、諸方、是を聞参詣市をなせり

出典

『事々録 巻一』天保2年‐嘉永2年(1831年‐1849年)刊(『未刊随筆百種 第3巻』、中央公論社、1976年)

備考

 この話の「鬼子母神」とは現在も豊島区雑司が谷にある「鬼子母神堂」のことであると思われる。

 当時、鬼子母神堂の境内には「鷺明神」が祀られており、「吉多明神」の祠はその裏手に祀られていた。現在は吉多明神の祠は取り壊されてしまい残っていない。

 ちなみに「鷺明神」とは、現在豊島区雑司が谷にある「大鳥神社」のことである。明治期の神仏分離令施行後に鬼子母神堂の境内から現在の所在地に移転した。

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