見出し画像

"手放す"ということ。

や・ほ。や・ほ👋

みんな元気かい❓

前回の記事では、

「人間が本質的に満たされるには

食べる、寝る、起きる、好きな事する

為に必要な欲望はほとんど手放せばいいよ。」

という感じの事を書いたんだけどね。


これを言われて

「こえーよ。」

とか

「そんな事したら死ぬやん。」

みたいな事が頭をよぎった人も

少なくないと思うんだけどね。


これね。


「手放す」

ってことが。


"自分の中から排除する"

とか

"自分の中から完全消去する"


って感じのイメージになっているからだと思うんだ。


あのね。


「手放した状態」っていうのは


手放す対象が


感情であれ、物事であれ


"自分には必要ない"


って思ってる状態なんだ。


会話でいうとね。


自分の中から排除した状態だと、


「昨日のサッカーの試合すごかったんだよ〜」

っていう発言に対して

「サッカーにそんなに白熱するなんて
この人はおかしい・・・。分かり合えない。」


みたいな状態になって


拒絶の反応が起きているけど、


自分の中から手放した状態だと


「昨日のサッカーの試合すごかったんだよ〜」

に対して

「ふーん。サッカーに興味はないけど、
こんなに人を熱くする事もあるんだね〜」


みたいな感じで、


その感情や、物事が

"ある"という事は受け入れた上で

それが

"ある"という状態に左右されない状態

って感じだね。

でね。

"手放した状態"

っていうのは、こんな感じだけど。

手放した状態になるまでに

何をどうすればいいのかって点においては

行動としては、
「コレだよっ」っていう

具体的なものはないよ。

手放す体験が"欲望"であった場合には


その欲望自体を満たし続けるって

行動も必要な時があるからね。

欲望を感じる事、執着する事は


全然悪い事でも何でもないからね。

でも、その感じる全てが

学びの為にあって


その終着点には

それらすべてが


"自分には必要のないものだった"


という気づきを得ることが


いわゆる"悟り"なんだ。


必要のないものがわかっているから


本当に必要なものもわかるんだ。


それがわかった時に


"自分はすでに全て持っている"

ことに気づけるから、

誰に何を言われようと

自分の意志や、感情が揺らぐ事は

ほとんど無いし、

そうでない他者に対して

怒りもわかない。

だって満たされているから。


「自分が唯一無二であり、

完璧であり。

求める事はもう何もない。」

この状態が苦しいはずがないよね。

満たされすぎて

求めるものは無いから


"今"というこの瞬間を

感謝と喜びにみたされて


生きていく事ができる。


ただ、与えられる全てのものに、

自分から湧き上がる全てのものに

感謝と喜びを感じる

これが、スピリチュアル界隈で


"自己統合"とか

仏教でいう

"解脱"した状態って事だね。


大切なのは、


これらを思考しない事。

どうするべきか考えるのをやめて、

自分の心地よい状態の時に

どうしたいのか感じる事。


感じるままに進めて

今、自分が求めてる方向に

少しずつでいいから


自分が置かれている状況や状態を


動かしてみて(^^)




じゃ、今日ここまで。




またね〜(*^▽^*)




まっぴーのチャネリングセッションに興味がある方は
このリンクから友達追加してね❣️😀

https://lin.ee/rFRztQq




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?