マサキシンペイ

ニーチェ、独在論、利己主義。ダンボーラー。ロックを聴きながら絵を描きます。

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最近の記事

今日、天職を辞めます

僕、正木慎平は2019年11月20日をもって、矢野紙器株式会社から退職しました。上司の山本と同時に退職です。 社員数20人にも満たない零細企業の社員2人が会社を辞めるという取るに足りない出来事ですが、僕にとっては大いに悩んだ上での、人生を左右する決断であり、一つの節目として、何が起き、どう感じ、どのように考えたからこうなったのかを、詳かに書き残さずにはいられないために、今筆をとっています。 矢野紙器株式会社は一般的なA式ダンボール箱の量産が本体にある会社です。 そのうえで

    • 僕らはみんな生きている(前編)

      終電にのせられてきた体を、今度は自宅にまで運ぶ。明かりを着けると、時計は今日が既に15分経過したことを告げていた。 ビクビクする瞼を擦りながら、駅前のコンビニで買ってきた麻婆豆腐丼をレンジに掛ける。 よわよわしくベッドに倒れ、背筋をグッと伸ばす。ワイシャツがじっとりと肌にまとわりつくのが分かった。 疲労を煮詰めた体液がシーツに染み込み、細菌をわらわら繁殖させるイメージ。気持ち悪くなって除菌スプレーに手を伸ばした。その運動を利用してついでにテレビもつける。 テレビは、観

      • 【人類火星移住計画】

        ここ数ヶ月太陽を見ていない。 数十年の地球温暖化の影響で巨大台風が増加し、同時に砂漠化も加速したことで、巻き上げられた砂塵が上空で舞い続けているから。 植物が育たない。いよいよ地球は不毛の地になってきている。 政府は【人類火星移住計画】と称して、安直に【人間転送装置】と呼ばれる技術を公にしたのは去年のこと。火星を新たな住まいにするのだ。 こういうSF映画が好きだった。だけど現実になるなんて。 私の大学時代の専攻は歴史学だったから、【人間転送装置】の詳しい仕組みはよく

        • 道徳教育と差別と政治

          小・中学生の時、「人権学習」「道徳」の時間が本当に嫌いで苦痛で仕方がなかったという記憶があります。 例えば、いじめられっ子の嫌気がさすほど辛気臭い自意識が綴られた物語を読み感想文を書かされるような授業で、いじめられっ子の立場になって、辛い体験に共感し、いじめられている人が居たら手を差し伸べ、いじめっ子と一緒に戦います、という態度を示せば褒められる時間です。 僕はかなりマジメな生徒だったので真剣に考えて書いていました。 その末に「いじめられる側の人間も実はものすごく人を苛

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        • 僕らはみんな生きている
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        記事

          1000円札と500円玉の話

          500円玉を持ってる時って、800円くらいの良さがありますよね。あれすごく痒いところに手が届く感じで大好きです。 一番安定感があるのが1000円札なのは言うまでも無いですが、500円玉があると支払いに鋭いキレが出てきます。 買い物の会計で一番大事なのが手数です。財布と小銭置きを何度も往復するのは気持ちの良いものではない。 例えば325円を払う時100円を3枚と10円2枚と1円5枚を数えるよりも、500円玉を1枚出して175円受け取る方がずっと良いように思います。 僕た

          1000円札と500円玉の話

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          カラフルな絵

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          歌姫

          ──時間が配慮なく流れていく。閉ざされた暗い部屋の隅、足を抱えて背中を丸め小さくなりながら、鈍く締め付けるような胸の痛みと共に過ごす。  何度も、紙がひらひらと風になびくような音がする。 「……」  鼓膜が張り裂けそうな沈黙を、窓から差し込む暁光が破る。眩しくて直視できない。目線を下に移す。  大事な猫のぬいぐるみ、それから、床一面に文字が書き殴られた無数の紙が広がっていた。  涙がスッと流れたが、それをどうすることもできずそのまま眠る。──  ケバケバしく卑

          苦悩の美的価値、および生を包み込む芸術

          序文  私は二人兄弟の次男として生まれた。兄は私に比較して背も高く、顔立ちも整い、スポーツも得意で、学業の成績も優秀だった。私は周囲から露骨に兄と比較され、すべての他者の視線が痛みとなるような小中学生時代を過ごした。もちろん、多くの人に好意的に捉えられる兄を持っていることは誇らしく思っていたが、その誇らしさは同時に強烈な妬みであった。私は常に兄との比較関係の内部に位置づけられる劣等者であり、当時私は、自身を生きている価値のない人間であると考えていた。 高校に進学し私は

          苦悩の美的価値、および生を包み込む芸術

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          ダンボールを使った作品

          ダンボールを使った作品

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          善悪の彼岸

          絶望の咀嚼、苦悩の玩味、罪の嚥下──こうして悲劇は胃液に溶けていく。  私は私自身の存在根拠として、すべての味を肯定する。  私の美意識は闇の中で、それ自体として燦然と輝く。  味わい尽くす舌と強靭な胃腸により、すべてが私の力となる。この前提において、もはや私には何一つ改めることがなくなる。創造への祈りによって、私は一片の陰りもなく、私の生を包み込む美へと超えていくのだ。  私の生は全くの芸術として、善悪の彼岸で開花する。  今や世界は闇の中にある。神は死んだのだ。

          名前のない森

          自画像としての「名前のない森」について考える はじめに  「名前のない森」は「私立探偵濱マイク」というオムニバスドラマシリーズ第6話のタイトルである。象徴的なイメージが連続する、アレゴリー的な意図が感じられる映像作品である。私はこの映像作品に強い共感を抱いており、度々「名前のない森」をテーマに制作を行っている。 あらすじ  私立探偵の濱マイクは成金風の男から依頼を受ける。娘が、「本当の自分を見つけませんか」と謳う、表向きは自己啓発セミナーを装う宗教的な組織に嵌り帰って

          名前のない森