苦悩の美的価値、および生を包み込む芸術


序文

 私は二人兄弟の次男として生まれた。兄は私に比較して背も高く、顔立ちも整い、スポーツも得意で、学業の成績も優秀だった。私は周囲から露骨に兄と比較され、すべての他者の視線が痛みとなるような小中学生時代を過ごした。もちろん、多くの人に好意的に捉えられる兄を持っていることは誇らしく思っていたが、その誇らしさは同時に強烈な妬みであった。私は常に兄との比較関係の内部に位置づけられる劣等者であり、当時私は、自身を生きている価値のない人間であると考えていた。

高校に進学し私は美術部に所属した。そこで、「マサキシンペイ」という存在に縛り付けられ苦悩を与えられ続けてきたという呪いを表現した自画像を描いた。ところがその作品はコンクールに入選し、私の絵を評価してくれる教師や友人も現れた。

私はそのような作品を描き上げることができたということに、経験したことのないような悦びを感じた。恐らくは作品を生み出すこの達成感と悦びのために、兄に対する劣等感は必要不可欠な苦悩であったのだろうと、考えるようになった。

一般に苦悩は望ましいものではなく、むしろ避けられて然るべきものであるという信念がある。思うにその信念は倫理学や哲学にも浸透している。しかし、これは危険な先入観であり、恐らくは最も無粋な臭いのする偏見であるように私には感じられる。なぜなら、私にとって少年期のあの強烈な苦悩こそが、絵画表現のこの上ない悦びを成立させた根源的要素なのであり、他者から同情の眼差しで眺められること(例えば私には兄とは違う良いところがあるというような励ましや、比較し私を嘲っていた他者を非難すること)は、私が不幸な人生を生きてきた人間であると強調するからだ。私の悦びはそのような親切心によって不幸へと引きずり落とされるのである。私は他者の同情的な親切心にこの種の暴力性を感じることが非常に多い。


この論文はそのような暴力性から私の悦びを守るために書かれている。


第一章では、芸術という領域に見られる独特の性質について考察する。第二章では、自らの作品制作の経験に触れながら、人生においても同じ性質が成り立っていることを指摘する。第三章では、道徳的価値観に対して批判を行う。第四章では、芸術的価値観と道徳的価値観とを比較し、道徳的価値観からでは到底見つめることのできない美的な価値を提出する。

では、私の哲学観、及び人生に大きな影響を与えた哲学者、永井均の言葉を借りて、この論文の幕開けとしたい。


 「哲学することは、哲学的であるとされている出来あいの問題にとりくみ、斬新な見解を提出しようと努めることではない。哲学を志す者は、何が哲学的な問いであり、何がそうでないかを、自分自身の哲学において定義しなおす義務がある。」(永井均、『〈私〉のメタフィジックス』)


1章 芸術の持つ力

 この章では、第一節において芸術に特有の性質に着目して論じ、第二節と第三節において、第一節に示される性質を成り立たせるための前提を提示する。



1. 芸術的体験

 この論文において、私の言う「芸術的体験」というのは、映画や演劇や美術館に飾られた作品等から得られた感想を指したものではない。あるいは画家にとっての絵画表現のように、具体的な形をとる作品とそれに伴う制作活動のみを意味するわけでもない。ここで私の考えている「芸術的体験」とは、アイデアとして内的に留まるか外的に出力されるかに関わらず、思われたもの全般のうち、一部のものを指した概念である。画家にとっての絵画表現というのは、あくまでその概念をわかりやすく体現しうるものであるに過ぎない。

では、ここで具体的にどのような体験が「芸術的体験」という概念に適応するのか。一つの物語から考えていきたい。

ある画家の最愛の女性が助かる見込みのない病に伏し、心身ともに苦しみ悶え疲弊しきっている。彼女は画家に「あなたの手で楽にして欲しい」と息も絶え絶えに懇願している。その姿に耐え切れなくなった画家は、彼女の首に手をかけ息の根を止めた。

次の瞬間、画家は彼女を殺してしまった罪悪感と彼女が死んだ悲しみに押しつぶされてしまう。それらは一つの大きな苦悩となって、画家の人生を蝕み続けた。

ところが年月を経て、画家はその悲劇体験を絵画として表現することに試みた。その試みは見事に実を結び、一つの作品が完成した。その作品は画家にとって悲劇的体験を突き付けるような表現によって形成されたものであるが、不思議と画家はその絵を生涯大切にした。

序文で示したように、私自身の作品制作の経験上、自らの苦悩を描いた作品を何故か気に入ってしまう、という上記のような心境を体験したことがある。このような体験こそが私の考えている「芸術的体験」である。端的に言えば、苦悩が「表現の悦び」によって超越されていくような在り方を指している。


この概念を名付ける際に「制作の悦び」と「作品化の悦び」との三つの間で悩んだ。「制作」とした場合、作品の着想から完成まで過程、描くという行為に着目している印象を私は受ける。それに対して「作品化」とした場合、仕上がった作品の出来に着目している印象を受ける。しかし、私が悦びを感じるのは、その両方の意味合いにおいてであり、「表現の悦び」と言うのが適切だと感じた。表現するという行為自体の悦びと、表現内容への感動に対する悦びの両方のニュアンスを込めることができるからだ。ただ、「表現」と言った場合、他者とのコミュニケーションとして発せられたものという印象が強くなる。しかしこの論文において、「表現の悦び」とは、表現するという行為と、表現された内容に対してのものであって、他者との繋がりを得られることには向けられていない。つまり「表現の悦び」は鑑賞者の有無に依存しない。


それは苦悩することそのものを、それが苦悩であることを忘れ、悦びとして感じるようになったということではなく、もちろん絵を描いているときは楽しくて嫌なことを忘れられる、ということでもない。

自らの苦悩を題材に作品を完成させた後も、その悲劇的体験はいつまでも苦悩であり、耐え難いものであったことを切実に感じさせる。つまり、苦悩が悦びに変わったり、悦びによって苦悩が中和されたりするのではなく、苦悩が作品として実を結んだことに悦びを感じているのである。従って作品に伴う表現の悦びは、悲劇的体験による苦悩を払拭するものではない。

しかし、画家の立場に立つ者はこの苦悩をむしろ好ましく思わなければならないことが自ずと示される。なぜなら、画家は苦悩の表現に悦びを感じているのであり、かつその悦びは彼の人生において他に代え難い価値を持ち、さらにその表現の悦びは悲劇的体験による苦悩がなければ、存在し得なかったからだ。


「生の最も異様な、そして苛酷な諸問題の中にあってさえなおその生に対して『然り』ということ、生において実現しうべき最高のありかたを犠牲に供しながら、それでもおのれの無尽蔵性を悦びとする、生命への意思──中略──これをわたしは、悲劇的詩人の心理を理解するための橋と解したのである。詩人が悲劇を書くのは恐怖や同情から解放されんためではない、危険な興奮から激烈な爆発によっておのれを浄化するため──そうアリストテレスは誤解したが──ではない。そうではなくて、恐怖や同情を避けずに乗り越えて、生成の永遠の快楽そのものになるためなのだ、破壊の快楽をも抱含しているあの快楽に……」(ニーチェ、『この人を見よ』)


ニーチェの表現にも見られるこの「芸術的体験」は図1のような構造をしている。制作活動は、苦悩を忘れるため(恐怖や同情から解放されんため)でも、苦悩を表現の悦びで中和する(興奮から激烈な爆発によっておのれを浄化するため)でもなく、むしろ苦悩を核にして、もはや忘れまいとするようにして行われる。悲劇的体験とそれに触発された表現は分離不可能なのである。表現の悦びは悲劇的体験をかき消すのではなく包み込むのである。すなわち「芸術的体験」とは苦悩の、忘却ではなく超越である。

図 1

しかしここでより強調しておかねばならないのは、良い絵が描けたからといって、画家の最愛の女性は生き返らないのであり、彼女を殺してしまったことの悲しみが消えるわけではないということだ。なにより、悲しみが消えていないからこそ、画家は絵が切実な悲しみを描いていることを認識でき、その絵は画家にとって価値を持ち得るのである。


ところで、芸術的体験は具体的な形をとる作品とその制作活動に限定されたものではない、と前述した。一般的な意味での芸術家ではない人々にとって、「芸術的体験」は「あの時の悩みも今となっては良い思い出」という感覚に対応する。

「良い思い出」と思えている「今」において、しかし「あの時の悩み」は紛れもなく「悩み」であったことが忘れられているわけではない。すなわち「悩み」が本当は「悩み」ではなく「あの時」においても実際はそれが「良い」と感じられていた、と考えるようになるわけではない。「悩み」は「あの時」においても「今」においても「悩み」なのである。しかし「今」においては、(解決したか否かに関わらず)その「悩み」を持ったということが「良い思い出」になっているのである。

これは先ほどの図1にも重ねて考えることができる。「あの時」から「今」にかけての時間が、一つのまとまりとして、当事者において価値のあるものとして捉えられている。このとき、その時間をどのようなまとまりで捉えるかは、当事者の表現力に依存している。いわば「思い出」は一つの物語の表現である。


「いまこそ、おまえはおまえの偉大をなしとげる道を行く。山頂と、そして深淵、──それがいまはひとつのものとなった!」


「──自分がこれまでに降りたよりもさらに深く、苦痛のなかへ、苦痛のまっ黒な潮のなかへ!わたしの運命がそれを欲しているのだ。よい!わたしは覚悟している。

最高の山々がどこから来たのか?いつかわたしはそう尋ねた。そして、それが海から生まれたということを学んだ。

証拠は、それらの岩石に書かれている。頂上の岩壁に刻まれている。いとも高いものは、いとも深いものが高まって成ったものだ』。──」

(ニーチェ、『ツァラトゥストラはこう言った』)


ニーチェの著作に見られる、ツァラトゥストラのこのような箴言は、まさにこの「芸術的体験」を的確に描写している。深淵に降りていくこと、すなわち悲劇的体験によって、表現が高められ、それが頂点へと達した瞬間、山頂と深淵は一つとなり、悲劇的体験は超越されるのである。

思うにすべての同情によって行われる行為は、苦悩を、苦悩を取り除くことによって克服する、という合理的な方法を取っている。苦悩は否定の対象にしかなりえず、苦悩の原因を責め、苦悩している人を慰めることしかできない。しかし、それらはせいぜい気休め程度の効果しかなく、仮に苦悩が取り除かれたとしても、苦悩していた現実は不幸の烙印を押され、生を無駄にした後悔として爪痕を残し、むしろ惨めさを際立たせる。つまり同情は苦悩を取り除くかもしれないが、そこに虚無を植え付けるのだ。

それに対して、上記の苦悩と悦びの同時成立という矛盾的構造は同情には見られない芸術という分野に固有の働きであり、恐らくはこの働きだけが、苦悩に対しての力となり、生に生じるすべてのことを美しく輝かせる、「つまり、彼はすべてのことが彼のためになってこないわけにはいかないほどに、強健」(『この人を見よ』)であるように、彼を高める思想なのである。



2. 芸術における固有性

 ニーチェによれば、「カントは芸術に敬意を表するためには、美について語られている概念のうちでも、認識にとって名誉となる概念を優先し、これに焦点を当てればよいと考えていた。すなわち個人的な好みを否定し、普遍的に妥当する美という概念を重視したのである。」(ニーチェ、『道徳の系譜学』)

ニーチェは、このカントの芸術に対する思考の枠組みを、「芸術家の経験から(すなわち創作者の経験から)考察せずに、『観察者』の立場だけから、芸術と美について考察」していると、強調して評価している。加えてしかし、カントはこの「観察者」の概念を十分に理解していないことが、最も深刻な問題であるとニーチェは指摘する。というのも、カントは「美とは個人的な関心なしで気に入るものである」と定義しているのであり、「観察者」の個人的な「美の領域における独自の強烈な体験と、欲望と、驚愕と、歓喜」を無視しているからである。従って根本的にカントの芸術の理解は前提の誤謬に基づいているのである。

これに対してニーチェは、スタンブールの美の定義を援用し反論する。スタンブールによれば、「美とは、幸福を約束するものである」。この定義によって、ニーチェは「カントが美的な状態について提起した唯一の点、すなわち個人的な関心の排除が否定され、払拭されている」としている。「スタンブールにとっては、美が意思を(『個人的な関心を』)興奮させるのは事実と思えたのである。」

上記の例の画家にとって、悲劇的体験を描いた作品が価値を持ち得るのは、まさに悲劇的体験の感動が画家自身の個人的なものだからである。感動を感じていないモチーフを作品化することに価値を見出すことはできない。つまり、自分ではない他者にとっての感動を描くことには何の価値も見出し得ない。価値を持つためには必ず自身の感動が不可欠なのである。従って、画家が作品を生み出すとき、個人的な感動に依存せざるを得ない。本質的に制作活動は客観的でありえないのである。そして、この個人的な感動に依存する形で制作したからこそ、画家は悲劇的体験を超越できたのである。



3. 表現に認められる自由

 画家が作品を生み出す際に必要なのは個人的な感動である。そして、その画家がどういったものに感動を覚えるのかの集積は、その画家の美意識と呼んでよいだろう。すなわち制作活動は美意識に依存しているのである。

キャンバスの中は画家の美意識の世界であって良いし、むしろ美意識の世界でなければならない。なぜなら、全く美意識の世界であるからこそ、制作活動は画家にとって重大な価値を初めて持ち得るからだ。仮に、道徳に反するという理由でさまざまな表現が禁じられ、狭く限定されていくのだとすれば、絵画表現の悦びは大きく削がれることになる。美意識に依存して制作出来ることだけが、表現の悦びになり得るのであり、従って仮にそのように禁止された美意識を持つ者は、悦びに満ちた表現をすることができなくなるからだ。

この点から考えて、「芸術的体験」が、あらゆる苦悩を、表現の悦びへと超越させていくためには、芸術という領域において、道徳的理由からの表現規制が一切無視される必要性が生じている。表現が禁じられることを認めれば、その分だけ救われることのない苦悩が生じるのである。

今日、一般に例えば映画などの映像表現において、残忍な暴力描写や過激な性表現が見られる作品にも、芸術性が認められる(芸術という称号を剥奪されない)ことから考えるに、キャンバスの上には何が描かれていても(それがどれほど反道徳的な内容でも)自由で良い、という直感は十分に広く共有されていると言えるだろう。

しかし私の論点はさらに発展したところにある。画家が表現に価値を見出す為には自身の感動に頼らなければならないことが示されたが、かつ「体験とそれに触発された表現は分離不可能」とも述べた。

これについて上記の物語を考えれば、彼女を殺した犯罪性を作品中で表現した画家は、その犯罪性にも何かしらの感動を感じていなければならず、そしてそのような感動があるからこそ、その個人の視点からしか生まれえない作品が生まれている、ということになり、その感動を得るためには最愛の女性を殺す必要性があった、ということになる。すなわち画家の人生において重大な作品を生み出すためには、最愛の女性を殺さなければならないのである。


前述の画家の物語とこの判断には、整理しておくべき論点がある。画家は、絵を描くために最愛の女性を殺したわけではない。殺してしまった体験を結果的に描いただけである。しかし描いてしまった後には、体験はその絵を描くことのきっかけになっている。その絵を描くことに画家が価値を認めるとすれば、体験がなければその絵を描けないのであるから、その体験をしていなければならないということになる。つまり画家において、その体験の評価が必然的に変わる時点がある。体験する以前から作品が完成する瞬間にかけては、その体験は画家においても「してはならないこと」であるが、作品の完成とともに「していなければならなかったこと」に変わる。したがって、「殺さなければならない」と評価するのは、必ず作品を完成させた後の時点からである。この時点から見れば、表現の悦びと苦悩が分離不可能に思われざるを得ないのである。


つまり私の論点は、既に一般にスクリーンの中、舞台の上、キャンバスの中において暴力性や犯罪性の表現というのはポピュラーなものであるが、その表現者自身が、人生の中で暴力性や犯罪性を行使することは認められるべきか、についてである。この問題を次章に引き継いで考えていきたい。


2章 人生の作品性

 この章では論点を明晰にするため、意図的に一節と二節に繋がりを持たせず、パラレルに論じている。一節では〈私〉という独特の性質を持つ存在を考察し、二節では画家において描くことはどのようなことであるかを論じる。これらの節で論じられた問題意識は三節において一つに統合される。具体的に言えば、一節で考察した〈私〉概念を人生論的に解釈し、そこで得られた構造が第二節で論じたものに類似していることを示す。



1. 〈私〉と「マサキシンペイ」の差異と結びつき

 私は人間としてあの両親の間に生まれた「マサキシンペイ」である。あの両親から生まれたのではないような、あるいはコウモリとして生まれたような「マサキシンペイ」というものを想像することはできない。「マサキシンペイ」であるためには、まずそもそも人間であり、「マサキシンペイの身体と精神」の少なくともいずれかを持っていなければならず、従って「マサキシンペイ」は必ず人間としてあの両親の間で生まれていなければならない。

しかし、別の両親から生まれたような、あるいはコウモリとして生まれたような私というものは容易に想像できる。私は「マサキシンペイ」として生まれない可能性もあったはずであり、もっと確実に言えば「マサキシンペイ」という人間が私にとって全くの他者であることもできたはずだ。


「今ここで、彼が私でなくなることが想像できるはずである。この瞬間、世界から私は消失する。しかし、永井均は依然として存在し、この論文を書き続けている。客観的にみれば、彼にはいかなる異変も起こっていないと言って良い。」(永井均、『〈魂〉に対する態度』)


永井の記述は、「私」と「身体と記憶」の分離において考えられる可能性を示唆している。つまり、私がコウモリとして生まれたからといって「マサキシンペイ」が存在しなくなる必然性はない。このように「マサキシンペイ」でなくてもありえたような私を〈私〉と表記する。

以上の点で、〈私〉と「マサキシンペイ」には存在性の違いがある。「マサキシンペイ」とは、「マサキシンペイの身体と精神」を持っている人間のことであるが、〈私〉が〈私〉であるために「マサキシンペイの身体と精神」に依存する必要性はない。〈私〉は「マサキシンペイ」から独立に存在している、と言える。

「マサキシンペイ」と〈私〉の分離は、〈私〉にしか理解し得ない。なぜなら「マサキシンペイの身体と精神」を持っている〈私〉と、〈私〉ではない「マサキシンペイの身体と精神」を持った人間の違いを、他者が区別することは不可能だからだ。


「他者に関しては、しかし、この種の想像は成り立ちえない、世界についての客観的事実を何も変えることなしに、今P氏のものである諸属性がすべてQ氏のものとなり、現にQ氏のものである諸属性がすべてP氏のものとなる状況を、思い描くことなどはできない。P氏のものである諸属性をすべてもつ人物は、すなわちP氏なのであり、Q氏のものである諸属性をすべてもつ人物は、すなわちQ氏なのである。P氏が〈私〉であることは想像可能だが、P氏がQ氏であることは想像不可能である。

──中略──他の諸人格は身体や精神そのものでしかありえないからである。」(『〈魂〉に対する態度』 )


他者から見て、「マサキシンペイ」が「私」と言った時に指しているものは常に「マサキシンペイ」でしかありえないのである。したがって、他者は「マサキシンペイ」と〈私〉の分離についていかなる意義も認められ得ない。

しかし、上記のような「マサキシンペイ」と〈私〉の分離の説明を、恐らくほとんどの他者が理解可能なようにも思える。だがそれは何故か。

それは「マサキシンペイ」と〈私〉の違いを理解したのではなく、私の説明を聞いた、例えばP氏が、「P氏」と〈(P氏にとっての)私〉との違いを理解したからに過ぎない。「デカルトの第二省察の読者が、めいめい自分にあてはめてその『私はある』を理解するように」たどり着く発見なのだ。


ただし〈私〉の説明は、「すべての人間は、その人間の身体・精神と、その人間にとっての〈私〉に分けて考えることができる」というような普遍妥当性を含意しない。含意しないというより、〈私〉にとって「P氏」は「P氏の身体と精神を持っている人間」以外の定義を考えることが原理的に不可能な存在である。それは、他者から見て〈私〉である「マサキシンペイ」と〈私〉でない「マサキシンペイ」の区別が不可能なことと同じ構造に位置している。つまり、「P氏」でないような、「P氏の身体と精神を持っているような人間」というものを、私はそもそも想像することができないのである。

従って、〈私〉が原理的に説明可能なのは(説明、というのが他者の理解を促す行為であるという意味で、原理的に説明可能な内容が、既にこの原理の説明不可能性を示しているが)、「マサキシンペイ」と〈私〉の違いだけであり、「P氏」と〈(P氏にとっての)私〉の違いは想定すら不可能な問題である。

つまり根本的に〈私〉の説明がクリアに他者に理解されるほどに、〈私〉の説明は誤解されざるを得ない。「マサキシンペイ」と〈私〉の存在性の違いは、他者の介入が一切禁じられた〈私〉だけに閉ざされた問題である。

しかし現にこの問題を考えるにあたって、公共的に理解可能な言語を使い考えない限り、〈私〉においても理解不可能な問題になってしまう。


「唯一であるはずの〈私〉が唯一でない(つまり誰もが各々〈私〉でありうる)ことを、暗に前提せずにしては語りえない(他人に伝達できない)見地なのである。」(『〈魂〉に対する態度』)


絶対的に唯一的であり、他者と共有不可能な〈私〉の存在性を私が理解するにあたって、共有可能性のある言葉の下で考えざるを得ず、本当に言いたいことが強制的に歪められるというところに、この問題の思考困難性(正確には不可能性かもしれない)があり、言わば〈私〉の問題は意識と言語の間で痙攣し続ける。


『〈私〉のメタフィジックス』に、「この私の存在という神秘を前にした意識と言語の痙攣」という表現があり、私はその表現が大変気に入ったので、そのまま習って使うことにした。永井は、デカルト的な独我論が普遍的な真理であることを認め、しかしそうであるからこそ、独我論を語ることは、全ての人間が独我論者であるという諸主観離在論に吸収されてしまう、と述べている。すなわち独我論を語ることによって、語りたいところのものが隠蔽されてしまうのである。この状態を永井は「意識と言語の痙攣」と表現している。


しかし、この痙攣は偽りなき言及に必然的な痙攣であり、痙攣が解消されるような〈私〉についての言及は、全て誤謬が発生しているように、私には思われる。従って、私の言及は痙攣を全く受け入れた、他者からの理解を一切拒絶せざるを得ない、究極的な独り言として為される。

前述の、「マサキシンペイの身体と精神」に分離して想定され得るこの〈私〉の在り方を〈魂〉と呼ぶことにする。しかし現に私の〈魂〉は「マサキシンペイの身体と精神」に結びついている。この結びつきには何の必然性も見つけられない。〈私〉が「マサキシンペイ」であることはまさに奇跡なのだ。この奇跡の結びつきを神秘と呼ぶことにする。


「無限の昔から、世界は〈私〉なしに存続してきた。わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた〈私〉なしに存続してゆくであろう。数十億の生きた人間、他の天体にも存在するであろう無数の自己意識的な生き物のうち、〈私〉であるという特殊な、例外的なあり方をした生き物が存在している。その例外的な期間とは何であり、その例外的なあり方とは何であるのか。それは神秘としか言いようがない。それを説明する言葉はありえない。」(『〈魂〉に対する態度』)



2. 作品制作に伴う感覚

 私は絵を描いているときに、周りの人からどこまで描いたら完成になるのかを尋ねられることがよくある。その質問に私は的確に答えられたことがないが、私には自分の絵の完成した瞬間が直感的に察知され、その瞬間に筆を止める。止めるというよりは、これ以上描く必要がないような感覚が生じ、筆が自然に止まるのである。これが何故止まるのか、説明することができないが、確かな感触が直感的に芽生え止まる。しかし完成間近で私が唸りながら一筆、また一筆と少しずつ微調整をするところを見て、周りの人には加筆する前と後で何が違うのかがわからず、完成の瞬間が読めないようである。

これは私にとっても同じことで、自分以外の人の作品制作を眺めていて、やはりその人の作品完成の瞬間というのは読めない。私から見て完成しているようにしか見えない絵の前で、唸りながら微調整を繰り返す人というのを何度も見たことがある。

その絵がどこまで描かれれば完成と言えるのかは、描いている本人にのみ閉ざされた感覚であり、そこに他者が介入することはできないのである。

ところで、しかし絵の完成の瞬間を「説明できない」と片付けてしまうことは許されないだろう。したがって絵が完成に到達するまでどのようなことが制作活動の内部で感覚されるかを慎重に語ってみたいと思う。

絵を描き始めるとき、ある程度の完成のイメージというものが想定されている。しかしそれは完璧ではない。指針としては、制作は確かに完成のイメージを目指して為されるのであるが、描いている最中に当初の想定にブレが生じ、より高い完成のイメージが湧き出してくるのである。つまり最初の計画通りに機械的に作品が生み出されていくことはまずありえない。制作が目指す方向は常に多少なりとも変化し続けるのである。

ではそのブレとは具体的に何か。技術的な未熟さはもちろんあるだろう。しかし単純な計画遂行能力の低さを乗り越えてもなお、ブレは生じる。思うに私の感覚によれば、キャンバス内でのモチーフの形と色彩同士の響き合いが、偶然にも私の計画を超えて、局所的に良い味わいを感じさせるときがあり、その味わいを認識した私は、再びその小さな味わいを活かすような完成の全体的なイメージを計画し直すという関係を循環的に繰り返すような営みが、制作活動を支えている。

制作は、私の計画という秩序と、それを破壊していく形と色彩が生み出す偶然が、呼応し合い、響き合う遊びのような体験なのである。そしてこの遊びこそ、表現の悦びを支えているように私には思われる。その秩序と破壊的偶然がぴたりと一つに重なるとき、すなわち偶然出てきた良い味わいが完成のイメージに収まらず手に負えない不具合となることもなく、かつ完成のイメージにそぐわない、偶然出てきた良い味わいを活かしきれず塗りつぶしてしまうのでもないような、そのような状態にキャンバスが満たされた瞬間に、自然と筆は止まり、作品は完成するのである。



3. 画家と作品、〈魂〉と「人生」

 絵画的な表現は常に必ず色彩と形態を伴う。画家は色彩・形との遊びの中で作品を作り上げていく。このとき、作品がどのような色彩や形の在り方をするかは、画家の秩序の内部にあるが、同時に画家の秩序の在り方は色彩や形態の偶然性に影響を受ける。これは相互に依存的な構造をしている。この構造は他者に認識不可能であり、その画家において直感的に捉えられる。つまり画家と色彩・形は神秘的な結びつきが成立しているのであり、その神秘から生み出されるのが作品である。

ところで、〈魂〉が私において想定可能なとき(つまり私が〈私〉の存在に気づくとき)、〈魂〉は必ず「マサキシンペイの身体と精神」の下で示される。というよりも現に「マサキシンペイの身体と精神」に神秘として結びついた〈魂〉だけが、ただ存在している。〈魂〉はコウモリともP氏とも結びつかなかった。〈魂〉は「マサキシンペイの身体と精神」に結びついたときだけが、現に現実なのである。この構造は図2のように示すことができる。

図 2

〈魂〉は「マサキシンペイ」と共に存在し、〈私〉の在り方は「マサキシンペイ」であることに一定の制限を受ける。〈魂〉が「マサキシンペイの身体と精神」に繋がっている以上、〈私〉は「マサキシンペイ」であることから逃れることができない。

しかし、この〈魂〉は、「マサキシンペイ」の人生がどのようにあるべきなのか、どのような人間こそが好ましい「マサキシンペイ」なのかを選択し、その人生を創作することができる。人生とは〈魂〉という唯一性を帯びた存在に結びつく精神・身体が、神秘のなかで作り上げていく物語である。すなわち人生とは〈魂〉による一つの作品なのだ。

「マサキシンペイ」はスポーツマンにでも、犯罪者にでもなれる可能性がある。しかし、現に「マサキシンペイ」は絵を描く人生を生きている。これは図2の画家の地点だ。「マサキシンペイ」の人生が、無限に広がる可能性から、一つの、どの実際に生きられる人生へと定まっていくかは、すべてが計画通りに成立していくわけではなく、偶然性に影響を受ける。偶然性が〈魂〉によって咀嚼され、神秘の内部に秩序を保つとき、人生は〈魂〉の作品になるのである。

私は人生において重要な判断を求められたとき、「マサキシンペイ」の人生において、どのような物語の経過を辿るべきなのかを考えることによって決断する。その判断は必ずしも合理的な最適解に帰結するわけでもなく、他者の声に迎合する、すなわち道徳によって強いられるものでもない。この判断は、私がどのような人生を歩むことが私にとって悦ばしいことなのか、という美意識に最終的な権威が与えられている。私は、私の美意識が求めるのならば、どのような悲劇の中にでも乗り込んでいき、どのような反道徳をも平然とやってのけるであろう。


「私には、歳月を重ねるにつれて人生は一そう豊かな、一そう好ましい、いよいよ神秘に充ちたものに感じられる。──それは、あの偉大な解放者が、つまり、人生は認識者にとって一個の実験でありうる──義務でもなく・宿命でもなく・虚妄でもなくして──というあの思想が私に訪れたあの日以来のことだ!」(ニーチェ、『悦ばしき知識』)


いかなる好奇心も試される空間である「実験」は「制作」と読み替えられても構わないであろう。認識者の美意識は、人生において客観的な合理性や道徳を超えた力を持っているのである。

ちなみに画家の生を表すとすれば重複した構造の図3と言えるだろう。画家は人生の内部においてそれと同様の構造を持つ作品制作を行う。作品制作は画家の人生の一部であるから、作品制作自体に、人生の創作性が発揮されるのであり、人生が作品と繋がり具体的な色彩や形に表れるのだ。ここに画家の人生において、その作品性が顕著に構造として理解されやすい理由がある。

図 3


以上の論点から私は、人生に絵画表現と同様の創作性を感じざるを得ない。互いに、偶然に翻弄されながらも、それらを神秘の秩序に取り込みながら美的な高まりを目指し、幾度となる判断を下していく営みであり、作品である。

前章の第三節において、絵画等、一般に言われるところの芸術作品に認められる自由が保たれるからこそ作品を制作することは初めて価値を持ち得ることを示した。かつ、人生においても創作性、作品性が認められることも示された。したがって、人生に価値が付加されるべきなのだとすれば、「道徳的理由からの表現規制が一切無視される必要性」、すなわちどのような生き方をも選択し得る自由が認められなければならないことが示されていることになる。

したがって、前章の最後に行った問題提起に答えると、表現者自身が人生の中で暴力性や犯罪性を行使することは、例えそれが法的に、道徳的に認められないとしても、それらを超えた美的な領域において全て認められなければならない(もちろんそれは他者からの評価が一切介入しない認められ方であるが)ということになるだろう。


 3章 道徳という病気

 以上で述べてきたことに対して、このような種類の自由が果たして許されて良いのだろうか、という疑問を実のところ私は感じざるを得ないでいる。私の中で、例えば殺人や窃盗など「してはいけないこと」と感じているものが存在しているのだが、上記の内容は、その「してはいけないこと」を許容し、それどころか推奨すらしかねないからである。

このとき、私に「してはいけない」と感じさせてくるものが「道徳」である、と定義する。すなわち道徳は、一定の言動を慎むように訴えかけてくるものであり、その訴えによって私は一定の言動を禁止させられているように感じる。

しかし「してはいけない」と私に訴えかけてくる、この「道徳」とは一体どのようにして生じてきたものなのであろうか。人が道徳的に振舞うとき、どのようなことが起こっているか、親子関係の内の子供、クラスのいじめられっ子、社会の中の犯罪者を例にとって見ていこう。

『〈魂〉に対する態度』に見られる「倫理学的三囚人問題」を、より詳細に考えるために、「子供」、「いじめられっ子」、「囚人」の例を用いた。その例の意図として、「子供」は我々が道徳を身につけるメカニズムを、「いじめられっ子」は道徳が内面化した病的な心性を、「囚人」はそのような病的な心性が一般的に評価されていることを、それぞれ描写するために用いている。



1. 道徳という抑圧

「親‐子関係」における躾

 さて、人は人生のうちでさまざまな共同体に属しながら生きていく。それらのうち最も基礎的なのが、家族という共同体であろう。親は子供に躾を行い、一般に子供はその保護下で育っていく。善いことをしたら褒められ、悪いことをしたら叱られる。この躾によって、子供はことの善悪を学び、基礎的な道徳の観念が形成されていくのである。躾は子供の道徳観の形成に不可欠であり、道徳を身につけることは社会のうちで共同生活を営むために不可欠である。

子供が友達を殴って怪我をさせると、親ならば必ずこの子を叱るだろう。しかしこのとき子供が、「これはしてはいけない悪いことだったの?初めて知ったよ。でも今回は見つかったから怒られたけれど、見つからなければしても良いということにはならないの?あるいは、怒られることが怖くなければ、しても良いことにならないの?」と尋ねたとする。このとき親はなんと答えるべきであろうか。

見つからなくても、罰が怖くなくても友達を殴ることは悪いことでありしてはいけない、と言うかもしれない。しかし、道徳を学ぶ以前の子供、ことの善悪の分別がつかない子供が、誰の目にも触れずに行う悪事を、それがしてはいけないことであると学習することはできない、加えて親の説教に全く恐怖を感じない子供は、それがしてはいけないことであると考えるようにはならない、ということは確実な真理であると言わなければならないだろう。

なぜなら前者は道徳を身につける機会を与えられていないのであり、後者は自身の言動を改めようとする素直さを持たないからである。よってこの子供は親の言説を有意味に受け取ることができない(親は子供の疑問に真っ向から答える術を持たず、その手の疑問が間違いであることを指摘することができない)。子供は悪事を悪事として認識することもなく、無邪気に平然と行うようになるだろう。しかし、幸運(?)なことに一般に子供は素直さを持ち親や大人の説教を恐れるものであり、子供の悪事はすぐに見つかるものである。親の説教はほぼ確実に有効に働き得るのである。ではその働き方はどのようなものか。

永井によれば「親にできる唯一のことは、『邪悪なる真理』に達しようとするこの哲学的(フィロソフィカル)な子供の問いを禁圧し、力によって子供の心性(メンタリティ)を作り変えることだけである。

──中略──そのとき彼(彼女)は、大声で怒鳴るといったことを含めたある種の非理性的な力(体罰!)によって子供を『我々』の共同体に組み込もうとするのである。重要なことは、親がこの場で何を語ろうと、親-子関係(大人-子供関係)という力の場のなかで、それはけっして子供を説得する論拠なのではなく、論拠であるかのごとく装われた、子供を威嚇する力である、という点にある。

──中略──子供はまさに理屈ぬきで、自分の気分によって他人を殴ることは(露見しようとしまいと)『いけない』ことなのだ、ということを体得していくしかないのであり、それゆえ、通常の場合、子供は前述のようなグラウコン的な問いそのものをけっして発しないように飼育されるのである。」


グラウコン的な問いとは、プラトン『国家』からの引用。装着すると自在に姿を隠すことができる「ギュゲスの指輪」を保持したならば、不正を働いても露見することがないのだから、誰でも不正を働くようになる。すなわち「何びとも自発的に正しい人間である者はなく、強制されてやむをえずそうなっているのだということの、動かぬ証拠」として提出されたもの。


すなわち人が道徳を身につけることは、親(大人)によって加えられる体罰に対する恐怖に怯えて、強制的に従わされることによってしか、成立し得ないのである。



2. 道徳という復讐

「いじめっ子-いじめられっ子関係」におけるリンチ

しかし、このような考察を経ても、道徳の存在は強制力のように感じられないことが多い。道徳的に「してはいけないこと」をした場合、それが露見しなくても良心が痛むし、道徳的に「推奨されること」、例えば人に親切にした場合は、自身の悦びとして感じられるようになってくる。しかし、必ず恐怖によって強いられることで始まるこの道徳的習慣が、自身の悦びへと変化していくという倒錯が生じるのはなぜなのだろうか。このプロセスを学校のクラスのいじめられっ子の心境の変化を考えることによって示したい。


この考察は、いじめっ子は全面的に加害者であり、いじめられっ子は全面的に被害者である、という先入観を持たずに触れて欲しい。いじめられっ子にはいじめられるだけの理由が有り得る。もしかしたら、いじめられっ子は癪に触る嫌な奴なのかもしれない。一般にこの推論は不謹慎であり、許されない。しかしいじめられっ子の落ち度は、道徳的にありえてはならないに過ぎないのであって、真実では有り得るのである。思うに上記の先入観が、道徳の本性を隠蔽していると思われるのである。


クラスの中に陰惨ないじめを受けている子が居る。彼にとって、クラスメイトからの暴力ははかり知れず圧倒的であり、もはや自力で惨状を改善することに絶望せざるを得ない。彼が暴力によって打ち勝つことはありえないような状況なのである。

この状況においてのいじめられっ子は、親-子関係の子供に対応する。子供は親に逆らえず、言いなりになるしかない。

歯向かえば、彼は酷いリンチに合う。彼は、何故自分がいじめを受けているのかを深刻に悩むだろう。

しかし、いじめられっ子がいじめっ子に従う時、それが暴力に対する恐怖によってではなく、もはや献身に近い純度で屈服が生じる瞬間が有り得る。すなわち、自分がいじめられるのはいじめっ子になにか悪いことをしたからかもしれず、そう思っていじめっ子に従順に親切を尽くす瞬間(この悲しく歪んだ善意の瞬間!)である。


これほど完璧な屈服などありえるのか、と疑問に感じられるかもしれない。多くの場合、いじめられっ子は被害者感情をむき出しにして、いじめっ子に批判的になるだろうからだ。しかし、それは抑圧を受ける当事者が、その抑圧する存在をさらに抑圧しうる存在、というものを認識していることによって生じている。つまり、たいていの場合いじめられっ子は、いじめっ子が社会において悪として捉えられることを知っているのである。従って、社会の一員としていじめを告発すれば、いじめっ子を社会的弱者として仕立て上げることが可能であり、これほどの屈服が生じる前にそちらに逃げ込むのがほとんどである。しかし、それはその共同体の外部を知っていなければできないのである。それは、成長に伴って親の躾に理不尽な抑圧があることに初めて気付く、というありふれた経験に端的に現れている。あるいは虐待を加える親に依存する子を考えれば理解できることではないだろうか。外部を知らない者は屈服せざるを得ないのである。


この時、実のところ彼の精神は現状の解釈に工夫を凝らし始めている。暴力によって勝敗が決するクラスルームという地獄を、道徳を遵守する者か否かによって勝敗が決する「内的の法廷」へと秘密裏に、私秘的に、作り替えるのだ。

つまり、自身がいじめられている現実を、暴虐のクラスメイトを前にしてなおも、暴力による報復に訴えかけない理性的振舞い、クラスメイトと同じ地平に並ばないでいる道徳家としての誇りとして解釈し、他者に対して乱暴を働くいじめっ子は、いじめられっ子の心の中の法廷において裁かれ、道徳を身につけていない「可愛そうな子」へと作り替えられ見下され始め、それに耐えるいじめられっ子が勝利者となるのである。暴虐のクラスメイトに存在そのものを脅かされたとしても、人間としての善良さを失わないでいることに、いじめられっ子は道徳的な快感に恍惚となって溺れるのである。この快感が、道徳を強制の対象から喜びの対象へと倒錯させている。

いじめの暴圧が止むことがなく、かついじめられっ子が自分を正当化するためにはこのようなプロセスが必要不可欠である。ニーチェの次の一節にはこのいじめられっ子に生じた倒錯の構造が端的に示されている。

「抑圧された者、踏みつけにされた者、暴力を加えられた者は、無力な者の復讐のための狡智から、次のように自分に言い聞かせて、自らを慰めるものだ。『われわれは悪人とは違う者に、すなわち善人になろう!善人とは、暴力を加えない者であり、誰も傷つけない者であり、他人を攻撃しない者であり、報復しない者であり、復讐は神に委ねる者であり、われわれのように隠れている者であり、すべての悪を避け、人生にそれほど多くを求めない者である。われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである』。──中略──

これは無力なもののもつ贋金作りの技と自己欺瞞の力で、諦めのうちに静かに待っていることを、美徳として飾り立てることなのである。あたかも弱い者の弱さそのものが──言い換えれば弱い者の本質であり、その働きであり、取り除くことのできない唯一の不可避的で全体的な現実である弱さそのものが──、自由意思に基づく一つの業(わざ)であり、みずから望み、選択したもの、一つの行為であり、一つの功績であるかのようにである。」(『道徳の系譜学』)

いじめられっ子は現状に何も加えることなく、「弱い者の弱さそのもの」を功績として讃える術を身につけるのだ。いじめを受けていることは善良さの証であり、そして抑圧を加えるものに献身的に尽くすことが善行なのである。


当然、このような倒錯はいじめられっ子の妄想である。これは彼の頭の中だけで成立する現状の解釈であり、他のクラスメイトからは理解を得られないどころか、嘲笑の的にすらなり得るものだろう。このいじめられっ子の道徳遵守に、恐らく私以外にも多くの人が何か病的なものを感じるだろう。彼の愛と正義に満ちた献身は、いじめっ子に対する怨恨と自己欺瞞によって自身の正当性(裏返せばいじめっ子の不正性)を作り出しているからだ。


直感的に、いじめられっ子の妄想の助けを借りずとも、いじめは悪と言える、と感じる人がなおいるかもしれない。しかし第三者の視点でいじめが悪であると認識するためには、いじめっ子をクラスというミクロな共同体から、社会というマクロな共同体へと放り出し、より巨大な力(例えば世論)の目線に立たない限り、不可能である。つまりいじめは悪だという人は必ず、クラスの中の暗黙のルールに、より広い社会通念を密輸入している。従っていじめを直感的に悪であると断罪する議論は構造的に不当だ。社会において国家権力や世論が正しさを司るのと同じく、「いじめっ子‐いじめられっ子関係」という力の場である、閉じきったクラスルームという共同体内ではいじめっ子が正しさを司る。だからこそ世論で追放されるいじめは、クラスルームに当たり前のように蔓延り得るのである。


いじめられっ子も本当は復讐したいはずなのであり、いじめっ子に勝利するために、勝敗のルールを変えてしまうのだ。すなわち、いじめられっ子であることが、そのまま勝利したことになるルールへと。

この洞察は、すべての道徳的な心性の起源を指し示していると私は考えている。すべての道徳はこの種の病的な倒錯を必要としている。道徳とは弱者の、強者に対する復讐である。



3. 道徳という理想

「国家‐犯罪者関係」における刑罰

 これらの構造をより鮮明に示すために、犯罪者が捕まり、囚人として更生していく心境の変化を見つめることによって考えていきたい。

囚人は最初、今度は捕まらないようにうまくやろう、と考えている。捕まってしまったのは運が悪かったからだと考えており、自身の犯行に罪悪感を持っていない。「『わたしはそれを為すべきではなかった』と考えるのではなく、『思いがけずも、まずいことになってしまった』と考えるのである──。彼らが刑罰に服する姿勢は病気や不幸な出来事や死に服する姿勢とまったく同じである。」(『道徳の系譜学』)

囚人は極めて自分勝手だ。このときの囚人の心性は、「邪悪なる真理」を語り始めた子供と同質であると言える。

ところが、囚人は国家権力の大きさに怯み、監獄での生活の厳しさに心を折られ、これほど辛く恐ろしい思いをするならば、犯罪など二度とするものか、と考えるようになる。だが、この段階においても囚人は罪悪感を持っていない。あくまで罰を受ける恐怖を避けるために、犯行を止めようと考えている。このときの囚人の心性は、躾を受けて泣いている子供と同質である。

しかし奇妙なことに、いつしか囚人の心に罪悪感が宿り始める。監獄での生活を強いられているのは、自分が悪人であったからだと自身を評価したときに、それは始まる。いままで外部から罰を与えられてきたが、その構造を内面化し、自身を自身で罰するようになるのである。囚人は自らの犯行を恥じて、罰を与える国家権力に従順になるとき、さらに自身が加える罪悪感によって自身を痛めつけるとき、すなわち罪を贖うとき、自身が善良な存在へと向上していくような快楽に酔い痴れるのだ。これは明らかに、いじめられっ子の心性と同質である。

これら三つの心境の段階をそれぞれ順にA、B、Cとするとき、「社会的・法的観点からすれば、重大な相違は」(『〈魂〉に対する態度』)AとBの間にあり、「倫理的・道徳的に重要な区別は」BとCの間にあると考えられる。

従ってここで着目すべきはBからCにかけての変化である。BからCへの変化は更生と呼ばれるものであろう。犯罪者が凶悪な心性を留めていることよりも、更生し道徳的に振舞うことに喜びを感じるような人間になることは一般的に善いことであり、従って共同体に属するすべての者がCの心性を身につけることは善いことである。

自身が道徳的に悪いことをした際に、自身によってそれに気づき、恥じ、自らを戒めるというCの心性は、道徳の理想の典型であると言って反論は返ってこないだろう。一般にその心性は社会的に支持を受けている。社会的にそのような心性を持つ人間を非難する余地などありえない。しかし、それらはいじめられっ子の心性と同じく病的なのだ。反抗することができないほど、圧倒的な力の差を見せつけられた際に、その状態においての自身を正当化するために生み出す妄想なのである。



4. 道徳という虚栄

 ところで前節の例での、社会における国家権力とは一体何であろうか。この権力は犯罪者を逮捕し、処罰する。しかし、「犯罪者は、司法によって定められ、執行された処罰の手続きがどのようなものであるかを目撃することで、自分の行為そのものが、それ自体として非難すべき性質のものであるとは考えなくなったのだ。──中略──自分の行った行為と同じ性質の行為が正義の名においてなされていること──中略──さまざまな刑罰において明確に確認できる行為である強奪、圧服、誹謗、監禁、拷問、殺害などが、たんに感情に走ったから行われるどころか、根本的に免責されていること、───これらのすべてを目撃するうちに、こうしたものは、裁判官によってそれ自体として非難すべきものとも、罰すべきものともされず、特定の観点から利用されているにすぎないと感じるのである。」(『道徳の系譜学』)

つまり、この権力はときに殺人犯の犯行を不正として死刑の判決を言い渡すし、かつ判決自体を常に正当なものとしてみなすが、死刑は紛れもなく殺人であり、

死刑とは、犯罪者という弱者にたいして、国家権力という強者が行う、最も強烈な「いじめ」である、と言えるだろう。

したがって人を殺すことそのものは、本質的に正しくも不正でもない、視点によって評価が揺れ動く相対的なものであることが浮き彫りとなるのである。

このとき殺人を正当化するものは力であり、「国家‐犯罪者関係」という力の場において表れる。個人の弱い力で行われる殺人は悪であり、国家権力という強い力で行われる殺人は正当である。従って本質的には無色である殺人を、悪であるとか、不正であるとか言って黒く染めることは、国家という共同体の秩序を重んじる人間達の一面的な先入観である。よって、殺人に罪悪感を持ち、「してはいけない」と感じる人間は、その時点で共同体の番犬として飼い慣らされているのだ。

一匹の猛獣(つまり「邪悪なる真理」を語る子供)を忠実な番犬へと育て上げ飼い慣らすのは、家族という共同体における「親」であり、クラスという共同体における「いじめっ子」であり、国家という共同体における「国家権力」である。つまりこれらは、その共同体に属する者にとって反抗することができないような力である。

しかし、いかなる共同体における抑圧された先入観にも染められず、純粋な目で見たならば、親による抑圧も、いじめっ子による抑圧も、国家による抑圧も、すべて同種の非理性的な「威嚇する力」であることが自ずと明らかになるのではないか。

共同体に属する以上、人はその種の力に屈服せざるを得ない。いじめっ子に決して従わないいじめられっ子を想像すれば、あるいは国家権力に怯むことを知らない犯罪者を想像すれば、その末路は明らかであろう。

彼らは屈服か死かを選択させられている。もし生き残ることを重視するならば、屈服し抑圧者が指し示す先入観を内面化し流布する番犬になるしかないのだ。

そして、その苦悩と絶望の激流において、どうにか縋り付いた一本の藁が道徳なのである。藁は溺れている人間にとっては切実な救いである。しかし、藁は本来つまらない、役にたたない存在なのであり、やはり「藁にも縋る思い」に追いやられるというのは、悲しく惨めなことではないだろうか。

ここまでの考察を経て、いくつかのことを絶対的に「してはいけない」と感じることは、恐怖によって虐げられてきた名残であり、自己欺瞞であり、実は病的で恥じるべきことなのではないかと考えられるようになる。自由で健康で悦びに満ちた生というのは、その恐怖を乗り越えることでしか得られないのではないだろうか。

「人間が何をしても『よい』ことは、ある意味では、確かに自明ではなかろうか。たとえどんなに道徳的に悪い、普通の意味でしては『いけない』ことでも、処罰されるかもしれないことも、白い目で見られるかもしれないことも、後ろ指を指されるかもしれないことも、地獄に落ちるかもしれないことも、良心の呵責を感じるかもしれないことも、何もかも覚悟のうえでそれを選んだなら、その人はそれをする『自由』がある。あらざるをえない。まったくあたりまえではないか。そういう自由を、誰か他人が否定することなど、できるわけがない。(永井均他、『なぜ悪いことをしてはいけないのか Why be moral?』)

この言葉が、悪意に満ちた挑発に聞こえる人間は恐らく病気であり、悦びに満ちた福音に聞こえる人間は健全であるように、私には思えてならないのである。


4章 芸術に抱かれた生──道徳を超越した生

 この章では第一節で、第三章で示された道徳の本性と、第二章で示された芸術作品としての人生を比較し、なぜ人生を芸術作品として捉えるべきなのかを示す。

第二節では、芸術作品としての人生が必然的に帰結する地点を示す。



1. 道徳的生と芸術的生の対比

 第三章においての、「してはいけない」ことを信じ、自らの行動に絶対的な禁止事項を設けている人間の生を「道徳的生」とし、反対に二章において自らの美意識の求める限りにおいて、いかなる行動も躊躇なしに遂行する人間の生を「芸術的生」とする。私は今までの文脈の中で、前者を全力で否定的に扱い、後者をほとんど盲目的なまでに肯定的に扱っていることは明白だろうと思う。

しかし第三章の中で、そのような私においても道徳が私の生に影響を及ぼしていることは否定できないことを認めている。だとすれば、芸術的生を志す人間の悦びにおいても道徳的なものがあり、それゆえに道徳的生と芸術的生は実のところ分離できない概念ではないか、という指摘が予想される。

確かに、芸術的生において道徳的なものを見つけるのが容易いことは認めざるを得ない。あたかも道徳的生を志しているかのように、生全体を通して道徳的に生きる芸術的生の体現者すら有り得ることも認めて良い。

しかし、道徳的生の体現者の道徳的振舞いと、芸術的生の体現者の道徳的振舞いは、たとえ結果的に同じ振舞いだとしても決定的に異なる点がある。

道徳的生において(これは第三章的な人物の生であるから)、道徳的振舞いとは力による抑圧から生き残るために身につけた術であった。すなわち道徳的生の体現者が道徳的に振舞うのは、自身を正当化するためである。この正当化は、つまり服従しなければならないという苦悩を、善を体現しているという病的な快感によって中和することであった。

いじめられっ子に見る道徳の起源において、善とは服従しなければならない状態そのもののことであり、その状態をより強化するために抑圧者に尽くすことであった。したがって服従、善、快感の結びつきはより強固となる。その結果、服従に本来備わっていたはずの苦悩が隠蔽される。この、苦悩を隠蔽出来る、というところに、道徳的生における道徳的振舞いの価値があるのである。

すなわち、道徳的生は苦悩を避けようとしているのだ。このとき道徳的生は生における苦悩をあってはならないものであると捉え、だからこそ隠蔽している。その隠蔽が限界を超え暴かれてしまえば、もはやその生に価値を見出すことなどできない。苦悩が多すぎる生は、道徳的生の体現者にとって無駄なのである。


これに対して、芸術的生においての道徳的振舞いとは、美意識の現れである。服従の苦悩を美的に昇華する営みである。

美意識による行為=制作の感覚は、第一章第二節や、第二章第二節に示したように、個に閉ざされた、神秘的の出来事である。したがって、芸術的生におけるすべての振舞いは、本質的に他者と共有することができない。すなわち、私の芸術的生の説明は、他者の芸術的生を認めることを一切含意していない。私はこの部分の記述でも痙攣している。

この視点においては、服従することに際して、苦悩するという本来的な在り方に積極的に価値が見出される。苦悩は言わば、服従しなければならない悲劇を形成する根本的要素なのであるから、苦悩することは肯定されるべきことである。

従って芸術的生の体現者は、苦悩するために道徳的に振舞う。自らの生が悲劇的作品として昇華されていくということに悦びが溢れ出すのだ。芸術的生において、苦悩は悦ばしき表現として解釈されるのであるから、たとえどれほど悲惨な苦悩に苛まれた生であってもその価値が失われることはない。生全体を一つの大いなる作品として、自身が芸術における表現の悦びに包み込まれる術を、芸術的生の体現者は心得ているのである。


「現在では苦悩は、人生への最たる疑問符であり、人間の生存が生易しいものではないことを証明する第一の事実としてあげねばならないものであることを考えると、その正反対の判断が下されていた時代のことを思い出すのも一興だろう。その時代には苦悩を作り出すことこそが必要で不可欠なこと、きわめつけの魅力であり、人生のもつ真の誘惑の餌と考えられていたのである。──中略──[神々にとっては]この地上の舞台で、ほんとうに新しいもの、真実に前代未聞の緊張や、葛藤や、厄災などが不足することがあってはならないのだ。完全に決定論的な世界であれば、神々は予測できて、すぐに退屈してしまうだろう。──中略──古代人はすべて『観客』というものに繊細な注意を払っている。『観客』とは本質的に公に開かれた、眺めて楽しい世界のことであり、劇や祝祭なしでは幸福というものを考えることのできない世界のことである。」(『道徳の系譜学』)


この部分の描写は、ニーチェのあくまで古代人の人生観に対する解釈であって、ある程度好意的に受け止めはするものの、ニーチェ自身の人生観とも、私の提唱する「芸術的生」とも、完全に一致するとは言い難い。人生が一つの演劇作品であることには同意できるが、私の場合『観客』というものを必要としない。この『観客』とは謎めいた概念だが、文脈上神であり、同時に生が繰り広げられる世界そのものと解釈できる。少なくとも『観客』に神を選ぶのは古代人に独特の趣味である。

  

ニーチェの言葉にも見るように、古代人は芸術的生の体現者の一種として考えられるだろう。彼らは人生を、神という『観客』を楽しませるため、地上という舞台で繰り広げられる、一つの演劇作品として捉えている。彼らにとって苦悩は作品を盛り立てる魅力なのである。

以上の対比によって、私は道徳的生よりも芸術的生の方が魅力的に感じざるを得ないのである。道徳的生において苦悩は価値のないものだからだ。したがって道徳に、救いとして縋ることは、私の苦悩に満ちた生を殺すことに他ならないのだ。私はこの生に憤慨することしかできなくなるのである。従って私は、生を悦びで迎えるために芸術的生を志さざるを得ないのであり、道徳的生は生を汚す敵として乗り越えなければならないのである。



2. 永遠回帰──人生という作品の完成

 以上で、芸術的生を志向することの必然性が示された。ところで人生が全体として一つの作品だとして、その作品が完成するとき、というのはどの時点に求められるのであろう。

私はそれを永遠回帰の思想に見出すことが出来ると考えている。永遠回帰とはニーチェを突如襲った神秘的な体験であり、彼はこの体験を自身の思想に組み込もうと奮闘したが、「彼はこの永遠回帰思想を、公刊著作の中で、自分自身の言葉で、自分自身の見解として主張したことは、ついに一度もなかった。ツァラトゥストラでさえ、その内容を自らの主張として語りはしない。奮闘は完全には成功しなかったのである。」(永井均、『これがニーチェだ』)

ここで私はニーチェが成功させることができなかった永遠回帰という現象を、なんとか自分の思想として語ることに奮闘したいと思っている。まずは、ニーチェの永遠回帰の描写を見ておこう。


「最大の重し──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、君にこう告げたとしたら、どうだろう、──『お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦悩とあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、おまえの人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──中略──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンを呪わないだろうか?それとも君は突然に怖るべき瞬間を体験しデーモンに向かい『お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!』と答えるだろうか。

──中略──この究極の永遠な裏書きと確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生とを愛惜しなければならないだろうか?」(『悦ばしき知識』)

つまり〈私〉の場合で考えれば、「マサキシンペイ」の、この一生が、全く同一の状態で、死の直後に生まれるような形で無数度繰り返すような在り方が、永遠回帰という現象である。図示すれば図4のようになる。

図 4

馴染みのないこの現象は、自身の一生の背後にもう一度、生を想定しているのであるから、図5のような、死後の世界を想定する宗教的な死生観の一種かのように思われるかもしれない。

図 5

しかしそれは全く違う。永遠回帰の思想は、自身のこの一生の外部というものを一切認めないのである。同一の生が無数度繰り返すということは、この生が唯一のものであることの強調である。〈私〉は「マサキシンペイ」のこの生しか生きることができないということの強調、「マサキシンペイ」以外の存在として生まれる可能性を想定することの拒絶である。

このように示すと、では永遠回帰とは生の外部、すなわち死後の世界を否定し、この生が唯一であると考えることから、むしろ図6のように、「死んだら人生おしまい、人生一度きり」というような、無宗教的な死生観と重なるのではないか、と考えられるかもしれない。

図 6

しかし、これも全く当てはまらない。無宗教的な死生観は、実のところ死後の世界を否定していないからである。すなわち、この死生観の死後には無が永遠に広がっている。生の外部を認めているのである。永遠回帰の思想は、「生の外部には無が在る」と考えているのではない。「生の外部など無い」と考えているのだ。

永遠回帰の視点からは、宗教的な死生観が生の価値を死後の世界に求めているとすれば、無宗教的な死生観は生の価値を死後の無に求めている、宗教的な視点の一種に解釈されざるを得ない。

宗教的な死生観が、生の内部で繰り広げられる出来事を、外部的な視点から価値付けするところは容易に見つけられるだろう。「こんなことをしては地獄に落ちる。」「これではバチが当たる。」というような、何か悪い行いに対して、たとえ誰にも見つからないにしても、我々の認識を超えた超越的な力によって報いを与えられる、という信念はすべて、宗教的な死生観から生じる類型である。

また、無宗教的な死生観が生の内部に有り得ない、無に、生の内部の出来事の価値付けを求めることも指摘できる。例えば、自殺がそうである。少なくとも宗教的な迷信が有効ではなくなった現代人(無宗教者)において、彼らが自殺する際には理由として、生から逃れられるということを挙げるだろう。

ここで自殺の是非について論じるつもりはない。つまり自殺という行為に価値を付加してしまうから、無宗教は否定されるべきだ、と言っているのでは断じてない。

我々は、自殺した人はその生に何らかの不満を持っていたのであり、その人は生きているよりも死んだ方がましであると判断したのだ、と推測するのは極めて一般的な感覚だと思う。つまりそのような人間において、死ねば生を無に出来る、という信念は大きな誘惑なのであり、自殺の価値付けを死後の無に頼らざるを得ないと言えるのである。

永遠回帰の思想はこれらの死生観とは全く異なる。永遠回帰には死後というものが存在せず、「一生における終着としての死」がすなわち同一の「一生のはじまり」なのである。「この生」以外の他に何ものも存在しないのであるから、「この生」の価値を「この生」の内部以外から導き出し得ない。


「たとえどれほど惨めな人生であっても、それがたまたま自分の生であり、それがなぜか存在したということ、そのことに外部からの評価をくわえることはできない。それがそのように存在したこと、それがそうあったこと、それがそのまま価値なのである。」(『これがニーチェだ』)


永遠回帰の思想の「最も重要なポイントは生を評価する基準が外部になく、また評価する主体がどんな種類の他者でもないという点にある。」従って、永遠回帰の思想を悦びで迎えることは、自己自身と人生とをそのままに愛し、その思想自体を神的であると感じるに違いないことなのである。

しかし、これは「生が回帰するとしても後悔しない(=いとおしまねばならない)ように生きよ、などという説教をたれているのではない。また、生の回帰を信じて生きればよく生きられるとか、生の回帰が確証されればよく生きざるをえなくなる(だからみんなで回帰思想を信じましょう)といった、ふぬけた話をしているのでもない。そのような生き方の内容の選択の余地などは始めからもうないのだ。」

回帰思想は、自身の生をそのままの価値として見いだせる強者に訪れる思想なのであって、この思想を持てば強者になれるような代物ではない。回帰思想は理想ではないのだ。

以上で見てきたように永遠回帰が訪れることは、生に対する究極的な肯定が成された状態である。従って、あらゆる苦悩を表現の悦びとして肯定していく芸術的生の体現者の究極的な終着は、永遠回帰の訪れに求められることになるのだ。すなわち人生という作品の完成である。


さて作品の完成とは、例えば絵画において、これ以上加筆する必要がないような感覚が生じ、筆が自然に止まる瞬間のことであると、第二章第二節で示した。

永遠回帰の重要なポイントはこの生を、生の外部にある基準によって評価しないこと、かつ他人の評価によって、この生を歪められないことであった。すなわち、この生が、この生以外から色づけられることの一切の拒絶である。もはやこの生は、他に染められる必要性がないのである。

永遠回帰の思想が訪れ、それを悦びで迎い入れる瞬間、その者はその一生に、もはや何も変化を望まない。何も加えたいとも減らしたいとも思わない。なぜならその生は完成しているからだ。

完成の直感は、神秘の内部に閉ざされた感覚であるので、永遠回帰の思想も他者に語ることが本質的にできない、痙攣をもたらす思想である。

完成した作品は、他に染められることを嫌うのである。


「一切は行き、一切は帰ってくる。存在の車輪は永遠にめぐる。一切は死に、一切はふたたび花ひらく。存在の年は永遠にめぐる。

一切は破れ、一切は新たにつぎあわされる。存在の同じ家が、永遠に建てられる。一切は別れ、一切はふたたび挨拶しあう。存在の環(わ)は、永遠におのれに忠実である。」(『ツァラトゥストラはこう言った』)


ツァラトゥストラが出会った動物たちの歌は、人生の完成の悦びに満ちている。人生という作品の完成を直感したとき、その瞬間に生に流れる直線的な時が曲がり、他者と共通の時から切り離され、一生の始まりと終わりが結びつき環となって永遠にめぐる。無数度にわたって同じ身体と精神に〈魂〉は宿る。環には端がなく、他の存在が入り込む余地が有り得ない。存在は閉じて環となることによって、変化を拒絶し、表現の悦びに包まれながら完成を遂げるのである。


結語

 以上で、私の生に固有の哲学的考察を終えたいと思う。この考察によって、生を真っ向から評価する術を示すことができたと考えている。私の生は今もなお苦悩に溢れており、これからも苦悩し続けるであろう。しかし、それこそが私にとっては生きることの悦びなのである。それは、道徳的な信念からでは到底たどり着くことができない境地であったことは疑い得ないであろう。加えて、本質的に、他者に語ることができない、痙攣をもたらす思想であったことも示されている。

だが、この思想による必然的な痙攣は、実のところ私の芸術家としての最大の誇りなのだ。最後に、私の人生において最も重大な哲学者である、ニーチェの言葉を借りて、この痙攣の誇りを明確に書き出して筆を置こうと思う。 


「未来の哲学者はおそらく『わたしの判断はわたしの判断だ。他人には、これをたやすく自分のものにする権利はない』と語るだろう。

多くの人と同じ意見をもちたいという悪趣味は、さっぱりと捨てるべきだ。〈善きもの〉も隣人がそれを口にしてしまったときには、もはや善きものではない。それに『共同の善』なるものが、ありうるとでもいうのか!この言葉はそれ自体が矛盾した言葉だ。共同でありうるものは、つねに価値の低いものだ。今もこれからも、次のようでなければならない。偉大なことは偉大な者のためにあり、深淵は深き者のためにある。繊細さと戦慄は、繊細な者のためにある。要するに、すべての稀少なものは、稀なる者のためにあるのだ。──」(ニーチェ、『善悪の彼岸』)

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