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【人類火星移住計画】

ここ数ヶ月太陽を見ていない。

数十年の地球温暖化の影響で巨大台風が増加し、同時に砂漠化も加速したことで、巻き上げられた砂塵が上空で舞い続けているから。

植物が育たない。いよいよ地球は不毛の地になってきている。

政府は【人類火星移住計画】と称して、安直に【人間転送装置】と呼ばれる技術を公にしたのは去年のこと。火星を新たな住まいにするのだ。

こういうSF映画が好きだった。だけど現実になるなんて。

私の大学時代の専攻は歴史学だったから、【人間転送装置】の詳しい仕組みはよくわからない。

ただ報道が伝えるところによると、密室の内部で放射される特殊な光線で、身体の構成要素の量と結びつき方が解析された後、身体は分子レベルにまで分解されて消える。これは一瞬の出来事で痛みはおろか、何も気づかないうちに終わるという。そして約10時間後、火星において完全に再構成された身体で目覚めるのだそう。

一晩ぐっすり眠るのと同じ、という話だ。

遺伝子構造を再現するクローン技術とは根本的に異なるらしい。と言うのも、クローンは遺伝子が共通なだけで、オリジナルと記憶は共有していないという問題がある。言わば外側が非常に良く似た別人なのだ。

しかし【人間転送装置】は、身体を構成する原子なり分子なりの状況を再現する技術。そこで気になる、身体が分解と再構成を経る際に、記憶はどのように維持されうるか、という哲学的な疑問は、あまり現実的に有効なものではなかったらしい。
なぜそうなるのかは誰もわからないらしいけれど、事実として身体を完全に再構成出来たなら、自ずと記憶は分解される前と連続したものになる。
元来は物流に革命を起こすと期待され、モノに使われることを目的に開発が進められていた技術だったそうなのだけど、それに携わっていた科学者の実験中の不慮の事故からの生還で、ヒトにも応用できることがわかった。もしくはヒトも複雑に出来たモノに過ぎないとわかったということなのかな。

とにかく、人類はそんなことが出来るようになったのか、と思わずにはいられない凄い話だ。

歴史のターニングポイントは、天才的な人間の頭脳と神のイタズラが掛け合わさった時に起こる奇跡なのだろうと、壮大なドラマを感じ、歴史的瞬間の立会人になったような気がして、少し自分も賢くなったような気がして、ちょっとワクワクした。

【計画】の手続きは意外にも冷静というか、極めて事務的なものだった。恐らく本当は役所もてんやわんやなのだろうけど、混乱を避けるためか、或いはそういう場面でもお役所仕事はお役所仕事なのか。
火星への移住を希望するかどうかについて、まるで免許の更新通知みたいに素っ気なく自宅に封書が届いた。

具体的な内容はこのようなものだった。

まず火星に移るか、地球に残るか

家族構成

戸籍とかの個人情報も、火星に転送された自分に帰属するよう移すことに同意するか

火星に旅立つ順番は、数十の判断基準によって決定されること(その項目自体の記載はなかったから、内容は非公開だという意味なのだろう)

健康診断の結果も順序に考慮されること

社会構造まで再現することは出来ないため、地球での財産の全ては放棄することになるし、転送された人間はひとまず火星の開発事業に従事しなければならないことに同意するか

設問の意図を汲み取りながら、回答を考えると、少し怖くなった。

だけど、夫と相談して火星への移住を決めた。私たちの将来と火星の開拓を重ね合わせて、未来への希望を諦めるような選択をしたくなかった。入籍したばかりだったから。

夫のことが好き。
夫はモノに執着がなく飄々とした人だ。
だけどときおり、なんでもないタイミングで

「大切なのは君ひとりだけだよ」

と微笑みながら漏らす。その瞬間に生活の倦怠が吹き飛んで、私は頬が赤く染まるのを感じた。

火星への移住の日は案外早く来た。
順番を証明するカードのようなものが届いた。
平凡なふたりの順番がこれほど早いのは恐らく、まだ子供がいない新婚の夫婦を優先的に転送することが、最小のコストで最大の結果が得られる可能性が高いということなのだろう。
ノアの方舟は合理的戦略だったんだ。

【装置】の場所は、今まで乗ったことのない電車で向かう埋立地だった。

居住地の気配はない。街と言うよりは電子機器の基盤のように、広大なスペースに真四角のやたらデカい構造物が規則的に並んでいる。無機質な美しさがあると言えなくもないけど、全く味わいのない眺め。

駅からは送迎バスが出ていた。10分くらい乗ったみたいだけど、景色が何も変わらないので、到着までとても長く感じた。

【装置】を囲う建物は厳重な警備体制が敷かれている。

顔認証と共に、送られてきたカードの提示が求められる、二重チェック。

窓口のような所に辿り着くと、転送に関していくつかの説明を受け、右の部屋に入って衣服をすべて脱ぎ、奥へ進むように伝えられた。

夫が先に向かった。

私も20分後、続く。
全裸で何枚かの自動扉を抜けた先には、粘度のある液体で満たされた2m四方のプールがあって、そこに頭の先まで漬けてください、とアナウンス。

体はゆっくりと沈んでいった。

鼻まで浸かっているのに呼吸できることに驚いていると、プールの上部が閉ざされ同時に底が開き、下に進むよう、アナウンスが聞こえた。

結局その先が【装置】だということだろう。

「瞬間的にあなた達の身体は消えてなくなりますが、痛みはないので大丈夫ですよ。どうぞ気楽に。10時間後には、元々火星に居たかのように、何事もなく目覚めます。一晩寝たのと同じことですよ。」

窓口での説明を何度も頭の中で復唱した。

ピーという機械音が鳴り、グオンッグオンッという周期的な動作音が徐々に早まりながらどんどん大きくなっていった。

耳から入ってくる轟音を意識の中で遮断するように、目を閉じて集中した。

..................熱い。.........ィィィイタイイタイ痛い痛いイっ!
だけど、すぐに何も感じなくなった。

「......っせい!?......きゅうじ態発生!!」

ふと気が付くと、私の体のみぞおち辺りから下がなくなっているのが見えた。残った体も激しく痙攣を起こしている。

ああ、これはさすがに助からないし、私死んでるわ、と妙に冷静な気分でその様子を眺めていた。

【装置】のオペレーターたちが数人集まっているのも見えた。事故が起こったみたいだ。私はしばらくボーっとその様子を見ていた。

すると男の声が鮮明に聞こえてきた。
電話している。

「......はい。奥さんの方です。体の分解が不十分だっただけで、解析は問題なく完了しています。――はい。転送作業自体に支障は出ません。
――あの、この場合法的には......。あ!ならない!良かった!すごく安心しました!
廃棄ですね。わかりました。――」

「すみませんね。ちょっとイレギュラーが起こっちゃって。でも大丈夫ですよ。安心してください。ご主人は何事もないですし、火星に転送される方のあなたも一緒に目覚めますから。一瞬で分解されたか、時間をかけて分解されたかの違いで、結果には何も違いがありませんよ。問題ありません。ここにあるのは、枕に抜け落ちた髪の毛と同じようなものです。」

オペレーターは祈るようにブツブツ呟き、残った肉塊を処理するため、【装置】を再稼働させた。

10時間後、夫婦は火星のベットに二人並んで、静かに目覚めた。本当にごく普通の休日の朝のように。

夫は、妻の頬に一筋の涙が流れているのに気づき、優しく手のひらで拭き取った。

「大切なのは君ひとりだけだよ」

妻は微笑みを返し、静かに頷いた。

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