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米軍基地の爺さんに、宝石をもらった夜。

初めてYOKOTA AIR BASEに潜り込んだ日は、
忘れられない宝物。

トーキョーの片隅で拗ねていた若い頃の僕は、街でいろんな宝物を拾い集めていたんだ。モティベーションが下がっちまった夜は、いつもシケた街に繰り出した。忌々しい月明かりの下、ヤバいこともたくさんあったし、落ちていたのはガラクタばかりだったけど、ごく稀に宝物を拾うことがあるんだ。

その夜も、ちっぽけな人生の指針になる、かけがえのない宝石を手にいれたんだよ。


アメ車で意気投合した陽気な男、ジェイク。

ある週末の夜、僕たちはいつものように、真夜中のシブヤを何周もクルーズしてたんだ。そして公園通り渋谷パルコ前にアメ車を並べて、仲間とナンパを始めた。そんなしょうもない僕に、声をかけてきた陽気な外人がジェイクだった。僕の乗っていた1978年式シボレーカマロの兄弟車にあたる、1977年式ポンティアックファイアーバードトランスアムを彼は転がしていたんだ。

福生にあるYOKOTA AIR BASEで、親子で軍人だと言っていた。日本語が少し話せるけど、それ以上はよく知らない。お互いクルマの趣味が似ていたから、僕たちはすぐに意気投合しツルむようになったんだ。とってもいいヤツで、手に入らない部品もすぐに手配してくれたよ。

「えっ、基地に入れるの?」
ある日ジェイクは僕を、YOKOTA AIR BASEに招待してくれたんだ。家族や友人たちと、BBQをするという。驚いたけど、自宅に招待するんだから大したことではないらしい。僕は飛び上がって喜んだ。

ジリジリした真夏の土曜日。こんな午後のことを、アメリカではDog Day Afternoonと言うのだから面白い。アスファルトが焼きつく青梅街道を、自宅の吉祥寺から福生に向けてアメ車を走らせた。

抜けるようなブルーに塗り替えた、アメリカンマッスルのシボレーカマロは、5メートルを超える大きさだった。ボディのほとんどを占めるエンジンフードに、5700ccのばかデカいV8エンジンが収まっていた。1リッターでたった2キロしか走らなかったけど、代わりにロケットのようなトルクを手に入れた。走りたいという欲望を、全て満たしてくれる出来映えに、僕はとても満足していたんだ。

 

フェンスの向こうには、
確かに憧れのアメリカだったんだ。


福生に着くと、国道16号沿いのファミレスにカマロを停めて、ジェイクのトランスアムで基地へ向かった。驚くほど簡単な手続きでワンデイパスをもらい、あっさりとゲートを通れたんだ。

お待ちかねのフェンスの中は、想像どおりアメリカそのもの。日本でお目にかかれないファストフードチェーンに、ガソリンスタンドや映画館もある。ジェイクは肉の買い足しで、カミサリーに寄った。ここは米軍IDが無いと入店できないスーパーマーケットだったから、僕は助手席で待つことにした。

買い物が終わると広大な敷地を走り、ジェイクの家族とその友人たちが待つ、パブリックスペースに滑り込んだ。今まで見たこともない、彩度が鮮やかな芝生だったのを憶えている。早速ジェイクは、15人くらいのファミリーに僕を紹介した。

「コイツは日本人のくせに、ホンダじゃなく78年のカマロに乗っている変わり者なんだ。」

歓声が沸き起こる。とりあえず、つかみは十分だった。アメリカ人はみなクルマが大好きで、特にマッスルカーは特別なんだ。

「さらに、日本人のくせにトラディショナルなロカビリーミュージックで、ギターを弾いているんだぜ。」
今度はちょっと驚いている。おいおい、よけいなこと言うんじゃないよ。

「なぜオールド・スクールのシェビーに乗ってるんだ?」

「日本の若者って、エルヴィスが好きなのか?」

ジェイクのせいで、予想通りメンドくさい類いの質問攻めになった。僕の英語力じゃ会話がちぐはぐだったけど、逆にそれを楽しんでいるようだ。たまにジェイクが流暢な日本語でフォローしてくれる。

日の落ちた公園では、あちこちで米兵がBBQをやっていた。たっぷりと異国の匂いがする南風が、さらりと頬を撫でていく。

やさしい眼をした穏やかな老人は、
テレキャスター弾きだった。

やっと皆の興味心から解放され、僕はベンチで4缶目のバドを飲んでいた。
 
「ちょっと、話してもいいかい?」

ローガンと名乗る、落ち着いた物腰の老人が隣に座った。クリント・イーストウッドのような凛とした顔立ちで、真っ白になった髪を後ろで束ねている。もう60代半ばだろうか。まわりからは、少しだけ敬意をはらわれているようだった。

「ロカビリーミュージックが好きだって言ってたけど、ギターはギブソンかい?」
「いえ、グレッチです。ついこの前1959年製のオールドを、気の遠くなるようなローンで手に入れました。」
その値段を聞いたローガン爺は、大袈裟なリアクションで驚いた。

「悪いけど俺が若い頃は、中古で500ドルだったな。」と苦笑。
僕も笑顔でうなずいた。

「チェットアトキンスが好きなのかい?」
「チェットもいいけど、僕のヒーローは、ブライアン・セッツアーなんです。」
なるほどという顔で、
「彼はいいギタープレイヤーだね。スタンダードであり、クリエイティヴだ。」

聞くとローガン爺も、ギターを弾くらしい。フェンダーテレキャスターとか年代物のオールドを、何本かコレクトしているようだ。きっとカントリーとかで、上手いんだろうな。そっち系の人は、壮絶なテクニシャンが多いんだ。
 
片付けが始まったので、僕とジェイクは皿洗いを担当した。
「ジュン、今日はまだ大丈夫だろ?みんなでバーに行こうぜ。」
「つーか、こんなに飲んじまったら、しばらくクルマで帰れないよ。」
くそまずいノンアルコールのルートビアでも飲んで、酔いをさまさなくちゃ。僕たちは夏風に身をまかせて、バーに移動した。

基地の中のバーは、
異国のライブホールだった。

そこはアメリカの三流映画に出てくるような、いかにもな雰囲気のバーだった。結構広めの薄暗い店内に、様々なアルコールブランドのネオンサイン。

長いバーカウンターと、無数のテーブル。そして4台のビリヤード台の反対側には、程よい大きさのステージだ。2台のフェンダーツインリバーヴとアンペグのベースアンプ、ラドウィックのドラムセットが見えた。

「今日は3つのバンドが出るんだ。面白いから、楽しみにしてなよ。」
ジェイクは、いたずらな眼をして笑った。

基地内には30程のバンドがあって、結構上手いらしい。けどオリジナルをやっているバンドはほとんどなくて、皆カバー曲をプレイしてる。たぶんメンバーが安定しないから、兵隊同士でオリジナルを作る意味が無いのかもしれないなと、僕は思った。

ジェイクと3回目のナインボールの決着がついた頃、いよいよライブが始まった。店内は知らないうちに若い米兵で溢れていて、タバコの煙とバーボンの匂いと笑い声がごちゃまぜだ。

ステージに、20代くらいのメンバーが登場した。ハムバッキングピックアップを搭載したストラトキャスターから、ガッガッガッガッガとYou Really Got Meのリフ。それとほぼ同時に、ステージ前へ興奮した輩が殺到する。ヴァン・ヘイレンを一躍有名にした、ファーストアルバム収録の名カバーだ。

ギタリストはライトハンド奏法やアーミングを駆使し、エディと同じくらいのスゴテクだった。けどヘアスタイルは短く刈り上げたGIカットだから、その違和感が可笑しかった。アメリカンロック中心の選曲で、彼らのステージは終始大ウケだった。

2つ目のバンドは、40代くらいかな。80sのニューウェーブで、これも楽しめた。ヒューマン・リーグ、トーキング・ヘッズ 、ニュー・オーダーのヒットチューンを、淡々とプレイした。観客はアルコール片手に、ゆるくリズムに身をまかせていた。
「いよいよトリのバンドだな。」
想像以上にレベルが高いかったから、僕はすごくワクワクしてたんだ。

現役ストーンズよりも先輩だった、
アメリカンストーンズ。

「えっ、なんで?」
ステージに上がったバンドを見て、僕はルートビアを吹き出してしまった。なんと、ついさっきまで一緒だったローガン爺が、白いテレキャスターと派手な衣装をまとって、ステージの中央に立っていたんだから。

「Are you ready?」

そう叫ぶと、ローガン爺のギターからお馴染みのリフ。ストーンズの、Start Me Upだ。そこにリードギターが、気持ちよく絡んでいく。これでもかと低い位置のテレキャスターをかき鳴らして、シャウトするローガン爺。さっきまでの物静かな老人のイメージは、微塵も無かった。

「えーっ、めちゃ、かっこいいじゃん!」

僕がそう叫ぶと、ジェイクは拳を合わせてきた。ストーンズの名曲を次々と披露していく、年季の入った演奏は本物だった。オーディエンスのテンションは最高潮で、たくさんの若い米兵がステージ前で飛び跳ねている。

彼らは4人だったけど、オープンGチューニングのテレキャスターは、まるでキースのミカウバーのようにドライブしていたし、ドラムスの黒人老人も、チャーリーの独特なグルーブを見事に再現している。とにかくステージを駆け巡る老人達を、しばらく放心状態で見守るしかなかった。

だってメンバーは間違いなく、当時のストーンズより年上だったんだから。

 

サティスファクションを初めて聴いたのは、地獄の戦場だった。

興奮さめやらぬ僕たちのとこに、早速ステージをおりたローガン爺がやってきてくれた。
「どうだった?サイコーだったろう。」
僕たちにジャックダニエルズソーダを差し出して、笑った。
「人が悪すぎますよ!」
そう訴える僕に、ローガン爺は優しくハグ。

「しかしあんなかっこいいロックンロールをプレイするなんて、思ってもみなかったです。」
「ヨボヨボの爺さんだから、渋いブルーズかカントリーでも演るとでも思ったのかい?」

ニヤけながら図星を言われて、僕は少し戸惑った。それを悟られたくなくて、せっかく酔いをさましたのに、もらった酒に口をつけてしまった。

「もう、何年こんなことをやってるか、忘れちまったな。」

ローガン爺は、ぽつりぽつりと話しだした。
「俺はギターを始めたのが、少し遅かったんだよ。目当ての女の子がチャックベリーにぞっこんでさ、その娘の気を惹きたくてね。確かメイベリーンが、大ヒットした年だったな。」

ジェイクは、また始まったよというジェスチャーをした。

「バディ・ホリーやボ・ディドリー、リトル・ルチャードも好きだったよ。バンドを組んで、そんなロックンロールヒーローのカバーを演ってたんだ。」
レジェンド達の名前に、僕は身を乗りだす。

「ある日レディオから、チャックベリーの「カム・オン」が流れてきた。聞いたことがないクールなカバーに、ガツンと頭に衝撃が走ったよ。」

「それが、ストーンズだったんですね。」
「そう。まだ無名だったUKバンドの、デビューシングルだった。黒っぽくてダーティで、ブルージーなロックンロールさ。その全てが、新鮮だったな。」
「確か、63年?」

ローガン爺はうなずいた。
「その翌年だったかな。いよいよ彼らのファーストアルバムに針を落とす瞬間、それは手が震えたものさ。
当時のアメリカでは、全く人気がなかったけどね。」
僕たちは、苦笑した。

「それからしばらくして、ベトナムへの出動命令が下った。
ロックンロールは、おあずけになったな。」
天を仰ぐような仕草をしながら。
「あそこは地獄だった。」
隣であくびをしていた、ジェイクの表情が真剣になる。

「皮肉なことに、初めて「サティスファクション」を聴いたのは、AFVN(ベトナム米軍放送)だったんだよ。」

まるで映画「グッドモーニング・ベトナム」そのものだと、僕は思った。
「レディオから流れてきたイカしたギターリフを聞いてたら、マシンガンなんかじゃなく、早くギターを持ちたいと思ったものさ。生きて帰って絶対バンドをやるぞと、それがずっと支えになってたんだ。」
そう言って、ジャックダニエルズをゆっくりと口に運ぶ。

「だから任務が終わって帰国した時は、ホントに嬉しかった。早速バンドを組んで、ストーンズを演り始めた。
それからは、いろんなメンバーといろんな土地でやったな。気づいたら、もうこんな歳さ。」


その夜、僕は一生忘れない素敵な言葉をもらった。

「日本じゃ、オジサンになったら皆落ち着いちゃうけど、ローガンさんはスゴいですよ。やっぱり、アンチテーゼみたいなものなのかな?」
 僕はなぜか、くだらない質問をしてしまった。
「ジュン、そんなんじゃないよ。簡単なことさ。」
やさしく僕を見て、ローガン爺。

「ガツンとやられたあの日から、何も変わってないってことだよ。」
 自分の頭を拳で叩いて、そう言った。

「ほとんどの日本人は年を重ねると、自分を世の中の枠に当てはめてしまうよね。そろそろ諦めて、落ち着かなきゃいけないと。けど俺たちアメリカ人は、自分が好きなものは死ぬまでこだわるよ。音楽もクルマもバイクもね。そうやって若い頃のアンコールを、繰り返しながら生きているんだよ。」

なんだか、すごくカッコいい物言いだった。

「だから老いのせいにしてロックンロールをリタイアしたら、俺で無くなくなっちまうんだ。死んだも同然さ。分かるかい?」
僕はゆっくりうなずく。

「ジュン、けど自分らしく生きるってことは、ちっとも難しいことじゃない。ティーンエイジにガツんとやられた、オマエの好きなことを、ただ続けるだけさ。」
「うん、俺もぜったいリタイアしませんよ。」
「そう俺たちは、いつまでもKEEP ON ROCKIN’だよ。それだけは、決して忘れるな。決してな。」
ローガン爺は僕の頬をやさしく叩いてそう言い、乾杯をしてテーブルを離れていった。

ロックンロールの大先輩から素敵な言葉をもらって、その夜僕はとても興奮したのを憶えている。そして酔いも手伝ってか、星降る夜空にむけて誓ったんだ。くだらない常識の古地図なんか破りすてて、イカしたジジイになってやるとね。


 

ストーンズを観て重なったのは、ローガン爺の面影だった。

それからもジェイクたちとは、しばらく楽しい付き合いが続いた。何回もYOKOTAにいれてもらって、アメリカを楽しんだものだ。

けどしばらくして、ジェイク親子はアフガニスタン紛争に駆り出されてしまった。突然アメリカに帰るジェイクを福生まで見送りに行ったけど、それ以来会えていない。ジェイクからのメールは途絶えて、今では消息が分からないままなんだ。今もどこかで元気でいて欲しい。それ以来、YOKOTAには行っていない。

2014年、東京ドームで久しぶりにローリング・ストーンズを観た。全体にスローテンポで、キースのフレーズはさっぱり雑になっちまったけど、元気でなによりだ。たぶんきっと、くたばるまでロックンロールなんだろう。

そんなことを考えていたら、ふとローガン爺の面影が重なって、熱いものがこみ上げてきた。さすがにLIVEは無理だろうけど、今でも部屋でオープンGのテレキャスターをかき鳴らし、元気にシャウトしてるといいな。

サンキュ、アメリカのMr.ストーンズ。あなたにもらった言葉は、今までの人生でキラキラとずっと輝き続けてる。それどころか、最近ますます眩しくなってくるんだ。そして、そんなにカンタンじゃなかったけど、バンドとハーレーを楽しんでるよ。

そうトーキョーの片隅で、何とかKEEP ON ROCKIN’で生きてるよ。


※以前 MUSIC LIFE+誌に寄稿したものを、リライトしています。

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