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【小小説】ナノノベル

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短いお話はいかがでしょうか
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#眠れない夜に

ゴースト・タッチ

ゴースト・タッチ

 人間の半分は眠りで出来ている。「眠れないな」と思い始めた時には、だいたい本格的に寝つけないのではないだろうか。調子のよい時はほとんど何も考えずに、気づいたらもう眠っている。(気づかないから眠っているのだが)眠る前にスマホを見るのはあまりよくないとされている。しかし、スマホはあまりに近すぎる。今や親兄弟よりも遙かに近い存在だ。駄目と言われて触れずにいることができるだろうか。
(スマホがあれば怖くな

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スープ・カレーを召し上がれ

「誠に申し訳ございません。ご注文いただきましたスープ・カレーでございますが、私の不注意により少々スープをあふれさせてしまいました。お届けできる状態でないと判断できるため、ご注文をキャンセルさせていただき、こちらの方で引き取らせていただきます。この度は誠に申し訳ございませんでした」

「大丈夫です。構いませんのでそのまま届けてください!」

「恐れ入ります。せっかくご注文していただいた商品を、完全な

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月夜の横断歩道(つながっていたい)

月夜の横断歩道(つながっていたい)

 青にならない信号の前で立ち止まっている。しかし、この信号を待つのだろうか。待たなくても渡れるように思える。だけど、僕は既に待ち始めている。待った以上は待ち続け待つという任務を果たすことが義理ではないのか。けれども、それはいったい誰のためなのだ。さあ、それは誰のためだ。
 例えば、隣で誰かが見ているのか。例えば、空から神さまが見ているのか。あるいは、後ろから母さまが見ているのか。例えば、車はまるで

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ワン・ウィーク、ワン・ドリブル

 ジレンマのブランコに乗ったまま僕はボールを運んでいる。ゴールしたい自分。ゴールを忘れるほど遠くへ行きたい自分。ずっといたい自分。(何も不自由はない。だけど満足しているわけではない。恐ろしいほどに心地よい瞬間がある。例えようもなく空っぽになる瞬間がある。ここではないと思える自分がいる内に、動き出さなければならないのではないか)離れなければならない自分。もっとゆっくりしたい自分。ゆっくりしてられない

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ミッドフィルダーの活躍

 手についていたはずの職は時代と共にかすれ、気づいた時には何もなかった。職場は予告もなく消滅し、貯金はあっという間に底をついた。こうなることがわかっていれば、もう少し何とかならなかったか。後悔している場合ではない。困り果てた私の目にネットの広告が飛び込んできた。

「あなたにもできる! 簡単な仕事です」

 もはや深く考える余裕はなかった。顔写真と電話番号を送信すると契約が終わり、翌日私は現場につ

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路上詩人

路上詩人

 僕は路上詩人。道行く人に向けていつも歌っている。すぐ目の前をいくつもの足音が通り過ぎる。みんな急ぐべき理由があるのだろう。約束の時間に間に合わすために、よそ見もせずに歩いて行く。開演の時間が迫っているのかもしれない。売り切れる前に手に入れたいパンがあるのかもしれない。宅配のピザが届くのかもしれない。彼らにとって僕の存在は無意味だ。誰に約束したわけでもないのに、僕はここにいる。誰が耳を傾けるという

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センター・サークル

 審判が高々と投げたコインを追って見上げた。ボールかピッチかその選択を大事とみるか、些細なこととみるかは人それぞれだろう。公正を期すためかあまりに高く投げたために、すぐには落ちてこない。芝よりも青い夜空に吸い込まれそうになる。この時間はただ待つだけの時間だろうか。何かを学ぶにはとても足りないように思える。だけど、学びは時を引き延ばしてもくれるはずだ。

 何をするにも僕は人よりもずっと時間がかかる

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名プロデューサー

名プロデューサー

 価値観の相違を突いて赤と黒はぶつかっていた。ゆるゆるとした論客たちに握られて緑は折れそうだった。現代詩の歪みに引かれて青は迷子になりかけていた。ミミズの散歩と揶揄されることも日常だった。

「1つになろうよ」

 右脳に現れたコンダクター。あなたは透明なケースを用いて分解寸前だったものを見事に束ねてみせた。それは単なる喧噪を未知の創作へと変えるほどの一撃だった。あなたを父と呼ぶことにしよう。

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霊能将棋(ウーバー杯)

霊能将棋(ウーバー杯)

 夏の終わりに女神は現れた。いつものように棋譜並べをしているといつの間にか彼女が盤の向こうに座っていたのだ。中盤の難所で最善手を求めて道を見失いかけていた時、すっと彼女の指が伸びて思わぬ駒を前に進めた。それは棋譜には現れない妙手と言えた。一手の意味をたずねると彼女はゆっくりと棋理の深淵について語り始めた。

「私が見えますか? ついに覚醒しましたね」

 ほとんどの時間、彼女はただ座っているだけだ

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会食泥棒(トーク&イート)

会食泥棒(トーク&イート)

 火が通るのを待っている人がいる。熱が引いて行くのを待っている人がいる。待つ方向は様々ではないか。ヌーの群が道を空けてくれる時、サンタクロースが背中から贈り物の入った袋を下ろす時、竜王がひねり出した指し手が盤上に現れる時……。待ちわびた先には、一瞬の光が見える。
 待つ間にも歳を取る。
 どうして人は、待つのだろうか。

「まだかしらね」
 待つ間にも食事は始まっている。
「ファスト・フードじゃな

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真夜中のダイバー

真夜中のダイバー

 俺はしあわせの運び人だ。アンパンからマカロンまで甘いものなら何でもフォローしている。現在は人々が移動を大幅に制限される時代だ。そんな中で俺たちはすべての人の足となって、ささやかな願いをかなえている。俺たちは既に路上からは離れた。空の道を開拓することによって、より効率的な配送が可能になったのだ。

 俺たちが運べるものは、別に甘いものに限らない。衣服でも日用品でも、何なら高価な貴金属だって運ぶこと

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ライン虫(夜明けの詩)

ライン虫(夜明けの詩)

 悪夢から醒めた時、太陽はなく真っ暗な倉庫の中だった。交信はなく、さほど空腹でもなかった。覚えがないというだけで、きっと長い罰の中にいるのだろう。闇を見続けている内に、徐々に目が慣れてきた。

「思ったほどじゃない」

 来た瞬間はそう思えただけだった。真っ暗でもなければ、倉庫でもないのかもしれない。あらゆるものに輪郭があることがわかると、生きている世界に手触りがあるように思えた。少し歩き回る内に

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魔法の壷

魔法の壷

「ぶん殴ってやりたい」
 私はT氏への不満を漏らさずぶちまけました。

「ことある毎に嫌みばかり言ってくるのです。しかも私にだけ目の敵のように言ってきます。他の人に対しては善人顔でどうやらいい人で通っていうようです。それが余計に腹立たしい。顔を見るのも嫌になってきて何かの拍子にかーっとなって殺してしまうかもしれません」

「それはよくないですね。そういう不可解な人というのは、どこに行ってもいるもの

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ドラキュラの果て

ドラキュラの果て

 昔は噛みついて自身の分身を増やすことができた。私はドラキュラ時代を振り返って鳴いた。今では吹けば飛ばされるようなちっぽけな存在に成り下がってしまった。もはや骨も筋肉も唇さえも失った。愛を叫ぶこともできないけれど、人恋しさが消えない。私は忘れた頃に現れることを習性とした。
 風に乗って道を渡り、微かな人の温もりを関知して侵入を試みた。部屋の壁にしがみついて、甘美な一瞬を夢に見た。それは遙かなる過去

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