ワン・ウィーク、ワン・ドリブル

 ジレンマのブランコに乗ったまま僕はボールを運んでいる。ゴールしたい自分。ゴールを忘れるほど遠くへ行きたい自分。ずっといたい自分。(何も不自由はない。だけど満足しているわけではない。恐ろしいほどに心地よい瞬間がある。例えようもなく空っぽになる瞬間がある。ここではないと思える自分がいる内に、動き出さなければならないのではないか)離れなければならない自分。もっとゆっくりしたい自分。ゆっくりしてられない自分。捕らわれた時の中で引き裂かれていく自分。触れていなくてもいい。意識の片隅に見えるゴールが、自分を強く引き留めようとしている。

 ボールは疲れない。コーチが高らかにパスの尊さを説いていた。いいかパスはな、ヒョウの背中だって越えられるんだ。瞬時に100メートル先へ届けることもできる。パスは空を飛ぶことだってできる。いいかパスはな、人と人とをつなぐ挨拶なんだ。言葉は何よりも大事だ。おはよう、こんにちは、どうも、こんばんは、ありがとう、元気か、おおそうか、またな、じゃあね、やあ、お久しぶり、元気か、最近どう、おお、ぼちぼちさ、そうか、おやすみ、ありがとう、寒いですね、まだまだね、こんにちは、おめでとう、サンキュー、ハロー、オラ♪ 言葉はピッチを駆けめぐるグローバルな戦術だ。いいかパスはな、ラジオだ。どれだけ離れたところにいても、どんなに暗く沈んだ夜にも誰かのリクエストを届けることができるんだ。
 僕だけにコーチの教えは届かなかった。

「お前どうしてそんなにドリブルにこだわるんだ?」

(僕はずっと独りだったんだ)
 別に理由なんてないんだ。

 1週間が終わろうとしている。
 僕は何をした? 何かを成し遂げたか。
 むしろ失ったのかもしれない。
 だからこれは小さな死に違いなかった。

(前にもこんなことがあったぞ)

 駆け上がる。ターンする。シュートする。ネットが揺れる。空に拳を突き上げる。飛び上がる。喜びを爆発させて月とハグをする。主審が耳に手を当ててフリーズする。神さまの目から観察して幸せが取り消される。ゼロになる。みんなゼロになる。星の見えない夜。下を向いたまま帰途に着く。終わる。また終わって行く。
 リプレイ、カバー、トリビュート、誰かのV、時の喪失。

 僕は誰だ……。
 降りられないブランコの上に残された。

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