見出し画像

投資家から起業家になった理由(後編)

きずいたら、後編を書き上げるのが、梅雨の時期になってしまった、
実は、僕が生まれた時期はちょうど6月のこの梅雨の時期だった。
宮崎から東京にでてきたのは、19歳の時。高校卒業後引っ越すお金がなくて、一年間工場のバイトをして、上京した。
その時の時給は、630円。今でも、布団のコンポ詰めは、20年たった今も事細かく覚えてる。
 
当時、僕が東京を目指した理由は、東京は一番の街で金持ちになる為には、一番のとこで戦うべきだ、そんな考えをもってた。
若い時の僕は、金の執着が異常に強かった。

その背景にあるのは、幼少期のトラウマからきてるとおもう。
僕は、幼少期の時、親父が暴力的で、オカンにDVを繰り返してた。親父が家にいない間は、母方のおじいちゃんとこで 面倒みてもらってた。
僕は 完全に お爺ちゃん子だった。

ある中学2年の夜中に、一本の電話がなった。おじいちゃんがなくなったと。
自殺だった。遺書もみた、吊るされた姿は 今でも鮮明に覚えてる。借金がじいちゃんにはあったたらしい。
なぜ?お金ってそんなに、大事なのか?
お金は、ある意味、命より重いらしい。
くだらねぇ 命より大事なモノが あってなくてはない。
はじめて人生の命題のように 突然目のまえにおりてきた現実。

今でもたまに思い出す、寒い冬の時期で、すでにおじいちゃんの体は冷え切ってた。人間の体は死んだらこんなに冷たくなるかと。

それから、20年以上の月日がたった。僕はお金持ちになった。大体手に入れてきた。もう物欲もない。 
ただ、あんなに欲しかったお金が今はたくさんあるのに、心は満たされない、幸せではない。昔のトラウマをかきけす為に、必死に稼いできたけど、僕はいつのまにか、人の気持ちがわからない、冷めた人間に成り下がってしまった。
今でも幸せ不感症であり、その後遺症を引きずっている。
それでも、幸せになりたい。どうすれば、なれるのか?
正直なとこ、まだ僕もはっきりとした答えはでてない。

ただ、仏壇にいる、じいちゃんは、人をたくさん助けてきた人だった。じいちゃんの部屋には、たくさんの警察官や地元の団体からの賞状がたくさんあった。

それを子供の僕に自慢しながら、語りかけた。

弱きを助け、強きをくじく。いつも そんな男になれと言われた。
その言葉の根本が、ロボット弁護士の着想になってるとおもう。
『法のご加護が、法の名のもとに 平等あれ。』
お金がなくても、一番困ってる人に法を届ける。
もし、僕がじいちゃんの時代に、ロボット弁護士を作れてたら、救えたんじゃないかとおもったりする。

じいちゃん、僕はちゃんと 『恥じない人生を生きていけてるかな』と仏壇に話かける。
僕の耳には聞こえてくる、法律を必要としてる人の声が。
投資家をやめて、起業家になって 自分の幸せさがし。

本当の幸せは、人を幸せにしないと わからないかもしれない。

僕には大きな夢がある。
貧困や身分の格差が関係なく、世界中に法律の無償化を提供できる 社会をつくる。
笑われてもいい、誰になんといわれても、僕は死ぬまでやり続ける。
それはきっと、僕の 幸せ探しの夢につながってくるんだとおもう。

これからが勝負だ。さっさと上場まで、まずはやり遂げようか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?