見出し画像

【第4回】会社を壊した。じゃぁ俺は?

ウチの会社に他の人のノイズを混ぜ合わせることで、ここ下北沢での活動が始まった。

古株のスタッフの独立など入れ替わりもあり、会社も若手スタッフの人数も多くなってきた。後輩の編集プロダクションやデザイナーのメンバー、フリーで加わった外からのメンバーたちがいい感じにウチの会社をかき回してくれていた。はじめこそ、みんな戸惑っていたとは思うけど、次第に心が通い合うようになって、若手メンバー同士で飲みに行ったり、スタッフたちは先輩たちに業界のいろはを教えてもらったりしていた。停滞していた会社の雰囲気もいい感じに動き出した。

まずは会社を壊し始めた

人は安心を求めてしまう生き物だ。その安心が時に変化を嫌うことになる。
いま流行りでいうとイノベーションが起きることが全くなくなるワケだ。

以前は自分ひとりでガツガツやっていたが、10年前の法人化の時に会社にシステムを組み込んだ。俺ひとりがどんどんやるというよりも軍隊の小隊みたいな3人1組のチームを組み、各リーダーたちに役割を与えて、考え、動いてもらうプロダクション形式を自己流で考えて実践してみた。これが上手くいった。一人でまわすより効率的でかなりの量を捌けるし、指示が行き届き、リーダーたちもどんどん育っていった。ちなみになぜ3人1組なのか。忠臣蔵で打ち入る時に三角形を形成するんだけど、一番前が斬り込んで、二番目がサポート、三番目は後ろを守るという非常に効率重視の攻め方だからだ。零戦も3機1組で同じ。さしずめ俺は門の前で陣太鼓を叩いて指示を出す大石蔵之介というところか。(知らない方は忠臣蔵を参照)このシステムで数年やって安定を図った。そして安定した。それがひとつ前の代々木上原の頃の話。


人は安心を求めてしまう生き物だと言ったが、まぁこれが安定したり安心すると、飽きてしまうのが人という生き物の性なのか、ただの自分のワガママなのか。スタッフもそのシステムに慣れてきてイマイチ、パンチがなくなっていた。
そこで、具体的なアイデアはなかったが、一旦チームを解体。もっとスタッフ個々が仕事に対して自分事になってもらおうと思った。いままでずっと築き上げてきたものを壊したんだから、多少の反発はあったものの、ボスのひと声でみんな、前進するしかなかった。
そこで後輩の会社やフリーのメンバーたちに加わってもらい、引っ掻き回したり、刺激を加えてもらおうと思ったワケだ。

下北沢に移って4年経ったいま、なんとなくのチーム(強制ではなく自発的な)が作られ、自分で「仕事を作ろう」という考えのスタッフがポツポツと出始めてみんなの意識が変わってきた。下北沢に移ってきてから会社がまた新しく生まれ変わろうとしていたのだ。

今日から俺は

会社は変わろうとしていた。じゃぁ俺自身はというと...。2016年になった時だろうか、スタッフ全員をミーティングルームに集めて、

「佐賀県の有田町で、店というか場所を作ろうと思う」と宣言した。

みんなの反応は「えぇ!?」と、驚きと呆れた顔が並んでいた。

(つづく)








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?