虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #7
中学に上がって周囲の無秩序さに辟易としながらも
自分なりにどうにか周囲に順応しようと努力はしたつもりだった
こちらとしては周囲がメチャクチャなのだから、自分も様子を窺うのをやめて、無理をしてでもハメを外した方がいいのか?
とも考えたが、上手くいかなかった
明らかに自分より異常で幼稚な行動を取っている子供達はノーマークなのに
何故か教師は俺を狙って嫌がらせをしてきた
音楽の筆記テストの答えが合っていたのにバツ印をつけられていたため、採点をもう一度頼みに行ったら
「お前これ、さっき書き直したんだろ?」と音楽教師に言われ、唖然とした
なんの根拠が?たった一問直してもらったところで俺の成績が大きく上がるわけでもないのに?
中学校と言う場所は教師が生徒にこのような仕打ちをしても良いものなのか?
ただ採点をやり直すことが億劫であるのか、それとも自身の間違いを認めたくないのか
いや、これはただの嫌がらせだ、俺の声か顔か、態度か、何かが気に入らないんだろう
周囲に馴染むためにわざと騒いだ時
その教師はわざわざ俺を名指しで否定しに来たことがある
初めての経験に絶句し、またもショックで反応できずに居ると
周囲のもっと大騒ぎをしていた生徒達は「かわいそ~!」と笑って囃し立てた
精神か自律神経にでも異常があるのだろう、その太った男性の音楽教師はいつもハンカチで顔の汗を拭き
ズボンを何度も腰の位置に上げ直していた
心の醜い人間と言うものは、外見からも美しさが消えていくものなのだなと思った
酷く憤慨し、失望した、ここはフリークショーというだけでなく、豚が飼育員をやっても許されるのか、と、そして何故その教師を、小学生の時の様に机や椅子で殴って半殺しにしなかったのか、と、酷く後悔した。
他にも部活動に入る事になったのだが、全生徒が強制的に何かの部活に入部しなければいけないと言う決まりがあったため部活に入っただけだった
小学生時代はサッカーをやっても野球をやっても面白いと思えなかったので
とりあえず他の球技を、と思い、ソフトテニス部に入ったが、全く興味は持てなかった
おかしな話だ、必須ではなく、興味も好奇心も無い物に多くの時間を奪われ
そして高いお金まで払ってテニスラケットを買わされ
そして嫌々やっている人間をグラウンドから学校内の脱靴室まで走らせる
少しペースを抑えて休みながら回っていると、顧問に見つかり「誰が歩いていいと言った!」
そう怒鳴られるのだった
全てが無駄で、やる気も無いので退部したかったが、退部という仕組み自体が無かった。
教師も生徒もロクでも無い人間しかおらず、日常が辛すぎた
そしてついに、学校を休んでしまった
まだサイズも合わず、痩せていたためにダボダボな制服に着替えることまでは出来た
だが何度玄関のドアを掴んでも、開くことは出来なかった
遅刻はしても欠席だけはしなかった俺が休んでしまった
特別な、言い訳になるような理由もなく
家は工場地帯にあったため階下からは父の会社の社員の怒号
となりのプレス工場の振動で規則的に揺れ続ける真昼の自宅の二段ベットの中で息を殺した
父は会社の二階、廊下を繋いですぐの事務所にいる可能性も高かったため
布団の中に隠れ、恐怖と罪悪感に苛まれ続けた
父か母に見つかったはずだが、このあたりの記憶は曖昧だ。
しばらくは朝起きて母が布団を畳み、無理やり学校に行かせようとするも全く体が動かず
もう一度自分で布団を敷きなおして眠ろうと試みては
また母に布団を引きはがされるという繰り返しだった、まだ、梅雨にもなっていない頃だった
その頃父と母の仲は酷く険悪なものになっていた、父は仕事のストレスからか
外では青い顔をして吐くまで酒を飲んでいたらしい
いや、険悪になった件は俺も関係するきっかけがあったのだ
俺はこんな風でも、封建的で権威的な父を尊敬している部分は残っていた、スーツで出かける父の姿
夕食時に自信満々に演説をぶち上げるその姿、きっと間違いなど犯さない人なのだろうと
どこかで妄信していた
だが違った、酷く酒に酔って帰ってきた父は、明け方
俺や母や弟の寝室に意識の無いまま入り込んで
俺の足元にある布団近くの壁に向けて小便を垂れ流したのだ
俺はその時、目が覚めていた、泥酔しほとんど目が開いてない父は振り向いて、俺と目が合ったはずだった
俺は現実の事だと思えず布団に潜り込んで目を強くつぶった
足元の布団が生暖かく濡れていく感覚があった
異変に気付いた母が起き上がり騒ぎ出し、犬用のトイレシートを何枚も何枚もその場所に放りながら
「こんなヤツ犬と一緒だわ!」と言う声が聞こえてきた
いびきをかきながら眠りこけた父を足元に
俺は身体が固まったように動けなかった
俺が憎んだり怖がったり憧れたり尊敬したりしていた父とは、なんだったのだろう
自分の中での父親像、それがボロボロと崩れ落ちていった
疑問も持たずに信じていた父への一種の信仰心がその時から消えた
いびきをかいて眠る父の頭を足で小突くと、眠りながら舌打ちをしていた
こんな事をして、この状況で舌打ちとは何様なんだろう
そう、何様、俺がよく言われていた言葉
父は素晴らしく、そして品のある人間だとどこかで思っていたが、ただの何様の人間でしかなかった
酒での失敗は俺も大人になってから何度もあるが
まだ子供の自分にとって、父の醜態はそれまでの全てが壊れるのに十分だった
生活は変わって行った、母は夜12時を越えると鍵をかけ父を家に入れないようにした
だが元は社員寮である部屋を4つぶち抜いて無理やり作った家
入り口になるドアは他に3つある、深夜どこかから入りこんで父は自分の布団で眠っていた
俺はますます父に対してよそよそしくなり、父の方も俺に対して少しよそよしくなり
そして軽蔑と嫌悪の感情しか持たなくなった
学校にも馴染めない、家の中も居心地が悪い、だがどこにも行くアテは無いし、行きたい場所も無い
その頃からタバコを吸うようになった、確か夏休み中の八月、12歳と11ヵ月からだった
会社の事務所や工場には封の開いたタバコが転がっているのが当たり前だったので
必然的な話だった
動機としては、反抗やグレる事とは何か違った
自分としては不思議なもので、格好をつけるためと言うことと
「多分、こんな状況になったらタバコでも吸うのが自然だろうから」と言う
よくわからない一般論というか、空気を読むことの一部と言うか、その程度の事でしかなかった
まだタスポの施工前だったので、小銭さえあれば自販機で好きに買えた
だが思春期ということもあり、人目を忍ぶように夜や早朝に買いに行くことが多かった
誰も気にしないだろうに、と今なら思うが
当時は自販機で購入するときに緊張し焦り、お金を入れて購入ボタンを押したのにタバコを持ち帰るのを忘れて逃げる様に帰ってしまうこともあった
母が父との離婚を決めたのはすぐの話だった
来年に建設が決まっている学校近くのマンションをローンを組んで母が購入することが決まった
だが俺は特別に悲しいとは思わなかった
やっと自由になれる!安心して生活できる!学校に行けと言う人物も一人減る!
と、嬉しい気持ちの方が遥かに大きかった
この工場だらけの灰色の一帯から抜け出せる
下を見て歩く必要も減る
金属の粉が錆びて砂のようにアスファルトに散らばる赤い地面も
工業油が滲んだ虹色の水たまりも
もう見なくていいんだ、俺は自由になれるんだ、と、そう思っていた。
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