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”絆”のあった時代~「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」

国民のメンタリティとは常に移ろうものであるが、それでもこれぞ日本人と言えるような作品となると、これになるのではないか。
恥ずかしながら通して鑑賞したのはこれが初めて。1976年公開「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」第17作目の寅さんである。

まず、見終えた第一印象は、密度が濃いということ。余白とか情緒とか、そういうものはこの映画にはない。いや、悪い意味ではなく、捨てる場面がまるでない。

よくよく見聴きしてみると、この寅さんはもはや能か歌舞伎か、その展開は様式美に昇華しているようだ。だからなのかわからないが、現代の演技には見られない”演技”ぶり。あえて誇張しているかのようだが、映像作品というより戯曲に近いのだろうか。

現代人のメンタリティと一番異なる点は、おそらく人と人との距離感だと思う。寅さんたちは、とても密なのだ。もちろんそれは物理的な意味だけでなく心理的にでもだ。
見ず知らずとまでいかずとも、ちょっと知っただけの人のために東奔西走、画家の大家にさえ無礼とも思えるような言動をとる始末。それでも丸く収まればめでたしめでたし(と言ってもそれも完全解決ではなく次善三善である)。密でありながら軽い。その距離感や軽重のつけ方に、現代の感覚と大きな隔たりがあるのだ。

絆と言葉では訴えても、いざ近づいてくると途端に臆したり警戒したりして、寄せ付けない。そもそも絆とは縛るものというネガティブな意味が発端なのだ。

「男はつらいよ」は実質1995年で終わっているが、その年にはWindows95が発売されインターネットが本格的に普及していく。寅さんの世界にインターネットやスマホは合わないだろうことを思うと、奇妙な符合と思わずにいられない。

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