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#1-3 内面の蓋にアプローチするコアリフレクション【MAWARUリフレクション:山辺先生#3】

みなさんこんにちは。リフレクションメソッドラボラトリー事務局です。リフレクションメソッドラボラトリー(以下RML)では「MAWARUリフレクション」というプロジェクトを行っています。

MAWARUリフレクションは、「リフレクションによる個人の気づきが周囲に循環し、社会を変える」をテーマに、教育にリフレクションを取り入れる活動を2016年から続けているプロジェクトです。(プロジェクトHPがありますのでぜひご覧ください。)

この記事では、前回の記事に引き続き、山辺先生をお迎えした第一回イベントの、ディスカッションパートをご紹介します。

イベントの様子をPodcastでもお届けしています。今回の記事に対応するPodcastはこちらですので、合わせてご参考ください。

なお、前回の記事はこちらからご覧ください。

ディスカッションパート2

それでは、早速ディスカッションパートに入っていきましょう。今回はコルトハーヘン先生の「コアリフレクション」についての質問からです。

以下、質問者をA、Bなどのアルファベットで、山辺先生を「山辺」と記載して会話形式でご紹介します。
※一部発言には、編集にてわかりやすいように追加修正しております

質問とディスカッション:コアリフレクション

D:コアリフレクションについての質問です。氷山モデルの下層の「望み」や、玉ねぎモデルの「コア」に触れる思考は、人によっては困難な場合があると感じています。トラウマによって自分の内面にフタをしているとか、あるいはかつては願っていたことだけれど組織の同調的な規範や環境のせいで押しつぶされ、ショックを受けてつぶれてしまった、もう見たくない、そういう風に職業生活を生きてしまっている現職教師にどのようなアプローチが必要になるのでしょうか?
私としては、システム思考にもとづいた対話を介して、見たくない・見えていない外側の現実を見ていくとか、あるいは教師教育者を通じてほぐしていくことを意図して実践しています。

玉ねぎモデル
中心にあるものが「コア」

山辺:まさに、見たくないところがあるし、人に話したくないところも出てくるのがリフレクションの難しさで、コア・リフレクションは特にそういうところに踏み込んでいくので難しいなと思います。子ども対象でないのは、そういうところもあるのかなと思います。
自分の内面にフタをするような職業生活を送っている現職の先生に対するアプローチなんですけど、コルトハーヘン先生がよくされるのが、過去の振り返り。フタをする前の自分がいたはずなんですよね。なので、小さい時の記憶から、少しずつ中学生のころ、教師を目指し始めたころ、などいくつかの場面をとってリフレクションをするんですけど、それも「その頃全体」などですると、深く入り込みすぎるので、9歳の時の記憶で、今よみがえってきたその場面だけ、その時の感情だけ振り返ろうと限定をきかせてやると、不思議なもので、フタをする前の自分というのを徐々に思い出していったりもします。ただ、私もこれまでコルトハーヘン先生の研修に参加して目撃してきたのは、それを自覚できるようになった時に、フタをする前の自分がいたことに気づくと、ものすごくしんどくなるんですよね。そこのフォローはすごく難しくて、1対1ではやりづらいところがあるかなと思います。

山辺:コア・リフレクションのもっと軽いものでいえば、最近の出来事で、すごく手ごたえを感じた実践について話す時間を設けて、周りの人がその話を聞いて、その人の話している内容と話している様子から見えてくる強みを思い浮かんだだけ書き出して、成功体験を語っている姿から見えるその人の強みをお互いに渡しあうというようなワークがあります。これはすごく軽いアクティビティなんですけど、コルトハーヘン先生が初めて来日して、初めて研修を現場の先生たちにやった時に、当時50代の数学の先生が、自分は今まで教師になってから一度も褒められることがなくて、今初めてこんなに褒められた、と涙ぐまれながらおっしゃったんですね。普段はめちゃくちゃ褒められる場面ってあまりないと思うので、そういう経験をすることで、逆に普段の自分の周りの職員室の雰囲気を自覚する、ということにもつながる可能性はあるかなと思います。
中島:これは本当に、色々なところで大事になる質問じゃないかなと思います。僕は主に、企業研修の中でも対話をやっているわけなんですけど、やっぱりそういう雰囲気が変わっていかない、と感じる時に、そういうコアな部分が、一般社員は上の言われたことだけ、それが仕事だ、みたいなことを強く思っている方もいらっしゃるんです。でもそれだと、やっぱり主体的な感じにはならないわけですよね。じゃあ、主体的になるにはどうしたらいいか、周りはリーダーシップを取れているのか、色々対話をしながらリフレクションしてやっていくわけですけど、まぁ難しいわけなんですよ。だから、大人に対しても、教育者じゃなくても、実践の社会人として、企業人としてリフレクションをしていくときにも非常に大事なことだし、どうしたらいいんだろうなと思いながらなんですけど。一般の方に関してだと、山辺先生はどんな風に思われますか。

山辺:コルトハーヘン先生も、今は教師対象がメインではなくて、色々なビジネスマンがコルトハーヘン先生に研修を申し込みに来ているそうなんですけど、補足として言えるのは、コア・リフレクションは、深く入れば入るほど、1対1、あるいは2対1(コーチング側が2で、受ける側が1)でなければいけない。本当に個別的なコーチングでなければいけなくなってくるんですね。なので、例えば研修とか授業でコア・リフレクションを扱おうというのは、さわりはできるんですけど、深くは入れない。私は今大学の授業でリフレクションを教えているのですが、学生同士でペアやグループを組ませざるを得ない。なので、むしろ学生たちにリフレクションを促す側の練習をしてもらって、相性もあるので難しいのですが、初めてペアないし3人グループが作れた時に、コア・リフレクションに深く入れるという形です。一人で全体を見ようとしないというのも大事かなと思いました。

中島:なるほど。ありがとうございます。これはおそらく、時間も必要ですよね。1回そういう授業をやったからといって、うまくいくわけではない。どのくらいの時間かけられるんですか。コア・リフレクションが少し見えてくるな、というあたりまでに、どのくらいのステップがあるのか。

山辺:そうですね、コルトハーヘン先生がやるのは、一番短くて終日(1日がかり)の研修を3日間です。大学でやっているのだと、1学期はかかるかな。

中島:なるほど。生井さんはどうですか。大学での基礎教育とか、ゼミ生に対してリフレクションをされていると思いますが。

生井:そうですね、私が今伺っていて思ったのは、コア・リフレクションを促していく関わりについて、私自身はカウンセリングを専門にしているものなので、カウンセリングの対話でカウンセラーが話を促していくときの訓練、それこそ大学院で2年とかやるんですけれど、そっちの方に近い話かなと思って伺っていました。それこそコーチングというお話もありましたが、コア・リフレクションを深めていくことに関しては、そちらの方が近い印象を受けました。私は大学の授業では、単発のワークショップを中心として、自己理解や他者理解を目的とした軽いリフレクションを実施しています。私自身の方向性として、最初1対1(のカウンセリング)から始まって、徐々にリフレクションカードというツールを使って、大学の授業の中で学生同士がお互いを知っていくとか、本質的な価値観を深めていくような問いを出していくという方に広げてきたというような流れがあったので、今日伺った話というのは、あ、そうなんだという驚きというか、発見がありました。リフレクションを深めていくという話でいうと、深くなるほど少人数、1対1であることが必要になるということで、(リフレクションの場面や目的によって)必要な深さ、浅さというのがあるのかなと思いました。

中島:ありがとうございます。それでは、このあたりでコア・リフレクションについての質問は終わりにしたいと思います。

まとめ

以上、今回は山辺先生のイベントパート2として、ディスカッション編:コアリフレクションについて、をお届けしました。

今回は短い内容ですが、コアリフレクションは私達一人ひとりにとってかなり大切なリフレクションになるんじゃないかと思います。最近、セルフアウェアネスという言葉も良く聞くようになってきましたが、セルフアウェアネスはコアリフレクションと密接な関係にあるのではないかと感じています。

次回は引き続きディスカッション編(3)をお届けします。

【本イベントの記事(未更新含む)】
コルトハーヘンのリフレクション(スライド発表)
質疑応答とディスカッション(1)
質疑応答とディスカッション(3)(公開後にリンクします)

MAWARUリフレクションメンバー
(執筆:生井、一部編集:中島)

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