いつもと同じでいいですか?
人には役割がある。
野球にしてもサッカーにしてもバスケにしても、それぞれ決められたポジションがあるように、社会の中にもそれは存在すると思う。
僕は役場経験者なので、具体例を出すとしたら「部署」がわかりやすい。
組織の内部をまとめる総務課
地域の振興を促す企画課
住民に最も近い窓口となる住民課
介護や健康を担う福祉課
インフラを受け持つ施設課
といった具合だ。
実際は自治体によって名称や細かい事務分掌が異なるのだが、部署の違いはあくまでも役割の違いということに変わりはない。「総務課はえらくて、企画課は大したことない」なんてことないんだから(企画課経験者)。
さらには、その中でも役職というものがある。僕のいた町役場では、課長、課長補佐、係長、係員の4つに大分されていた。課長がえらくて係員は下っ端というのはイメージとしてあると思うが、これもその実は役割の違いと言える。
課全体を取りまとめる課長
その課長を助け各係との仲介もする課長補佐
任された係を指揮する係長
主に係長の指示に従う係員
全員がそれぞれの役割を果たすことで組織は稼働するのだ。まぁ、役職が上に行けば行くほど責任も重くなるのだろうが。
しかし、言うは易く行うは難し。実際、これで上手く回るかと言うと、そうでもない。なぜなら、人には適正があるからだ。
人と接するのが好き(得意)な人がいれば、嫌い(苦手)な人もいる。
企画を考えることが好き(得意)な人がいれば、嫌い(苦手)な人もいる。
チームを引っ張っていくのが上手い、力仕事が得意、サポート向き、客観的に冷静な判断ができる・・・など。それぞれの適性に合った人員配置をしなければ、せっかくの長所も生かせられない。
とはいえ、適正なんてそんな簡単にわかるものではないのも事実。
ことリーダー的ポジションについては、組織として絶対的に必要なものである。「地位が人を作る」という言葉があるが、個人的にはそれを鵜呑みにしすぎるのはよくないと思う。だれでもOKというわけにはいかない。組織を代表するからには、それなりの素質が必要とされる。
リーダーの決め方で非常に興味深かったのは、役場の後輩のエピソードだった。
その後輩・エミちゃん(仮名)は、高校時代ソフトボール部だった。
・・・ソフトボール部だっけ?うん、ソフトボール部だったと思う。そのはずだ。あれ、違ったかな?
わざわざLINEで、それも2年以上音沙汰がない状態で、確認するのもいかがなものか。というわけで、ソフトボール部ってことで話を進めさせてもらう。
エミちゃんの1つ上の先輩たちが引退後、新キャプテンを決めるため、エミちゃんら2年生全員が一日キャプテンを体験することになった。
キャプテンといっても、大変な仕事は特にない。毎回部活の開始前に顧問の先生のところへ行き、その日のメニューを確認するだけのこと。
結論から言うと、一日キャプテン体験の結果、エミちゃんが新キャプテンになったそうだ。
顧問の先生は、エミちゃんが一日キャプテンとなったときに「ああ、キャプテンはエミで決まりだな」と思ったらしい。
エミちゃんはどちらかというと大人しくて、上司や先輩の言うことを素直に聞いている印象だったけど、そんなリーダーシップがあったのか。先生はどうして彼女を新キャプテンにしたんだろう?
選ばれた理由は、次のような内容だった。
おわかりいただけただろうか。
エミちゃん以外の人がオープンクエスチョンだったのに対し、エミちゃんはクローズドクエスチョンだったのだ。
なにやら長い横文字が出てきたので、簡単に説明をば。
オープンクエスチョン:YES-NOで答えられない質問のこと。「なに」「どこ」「なぜ」など(いわゆる5W1H)。
クローズドクエスチョン:YES-NOで答えられる質問のこと。
これはコミュニケーションについて多少学んだことのある人ならわかると思うのだが、クローズドクエスチョンのほうが答える側はありがたいのだ。
たとえば、「今日のランチはなにが食べたい?」よりも「今日のランチはラーメンにしない?」のほうが、選択肢が絞りやすい。ラーメンが食べたいならそれでOKだし、仮にラーメンの気分じゃなければ「ラーメン」という選択肢が消えて選択する負担が減る。
これと同じで「今日もいつもと同じでいいよ」と言うのか「そうだね」と言うのかでは、文字数はもちろんのこと、答える側の考える負担がまるで違う。
このような質問の使い分けを、当時16歳くらいのエミちゃんはやってのけたのだから大したものである。
エミちゃんは新キャプテンになるべくしてなったと思うし、そのような判断をした顧問の先生もきっと素晴らしい人なのだろう。
まったく別の話になるが、自分が行きつけの居酒屋で毎回同じメニューを頼む常連だったとき、
「なににしますか?」と聞かれるのか
「いつものでいいですか?」と聞かれるのか
それだけでも印象はだいぶ違う。
行きつけの店で「いつもの」と言うのは、個人的にめちゃくちゃ憧れるシチュエーションだったので、それが叶ったときは得も言われぬ感動があった。きっとそういうことで人は気遣いを感じるんだと思う。
気遣いにもいろいろあるが、問い方を変えるだけでも気遣いになり得ると気づかされた話だった。
なんと アルロンが おきあがり サポートを してほしそうに こちらをみている! サポートを してあげますか?