部下と上司【短編小説】
12月に人事異動があり、僕は総務部に所属となった。中途採用でこの会社に入って早5年。今の会社にはとてもよくしてもらっている。
僕はハタチで結婚し、そして翌年には子宝にも恵まれた。しかし、以前の職場はブラック企業一歩手前で、サービス残業なんて日常茶飯事。このままでは家族と過ごす時間がなくなると思い、35歳になる年に思い切って転職した。
その甲斐もあり、この5年間は仕事も家庭もそれなりに充実している。当時中学生だった娘も今や大学生となり、もっともっとがんばらなければならないなぁと思う今日この頃だ。
今日は職場の歓迎会。行きつけの居酒屋でわいわい盛り上がっている。僕が異動する前からずっと出張だった城島部長も戻ってきた。初対面だし、しっかり挨拶しないとな。
部長の隣に移ろうと思ったら、忍矢部さんが話しかけてきた。
”噂好きの50代のおばちゃん”という印象の彼女が、僕は少しだけ苦手だ。
「あら、虻川くん。あなたのお子さんって確か慶應よね?城島部長のお子さんも同じ慶應なのよ~」
なぜ僕の娘が通う大学を知っているのかは不明だが、これは部長と話すチャンスだ。子どもが同じ大学にいるなら、話題にも事欠かないだろう。今回は忍矢部さんに感謝しなくては。
部長は、端っこの方で一人ちびちび日本酒を飲んでいる。見た目は50代後半といったところか。松重豊のような厳格な雰囲気があって少し近寄りがたいけれど、これからお世話になるんだから失礼のないようにしなければ。
「部長、お隣よろしいですか?」
「ん、ああ」
部長の横に座る。日本酒の入った徳利を手に取ると、部長は「おお、すまんな」と言いながら持っている猪口を差し出した。
「これからよろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそよろしくな」
「そういえば、部長のお子さんって慶應なんですか?」
「そうだ」
「実は、僕の娘も慶應なんですよ」
「そうなのか?偶然だな」
「偶然ですよね!」
お、いい感じだ。
「部長のお子さんは何年生ですか?」
「3年生だよ。君のところは?」
「うちは2年生なんですよ」
「そうかそうか。それにしても、お互い金がかかって大変だな」
「まぁ、そうですね。僕は『行きたくないなら働けばいいよ』って言ったんですけどね」
「なんでだよ。行かなきゃダメだろ」
「え、そうですか?」
僕としては、高校を卒業してすぐに就職しても構わないと思っていたのだが、部長は大学まで行かせるべきだという考え方なのだろう。
「慶應以外にも行くところはたくさんあるからな」
「それもそうですね。あ、部長のお子さんって・・・」
どこの学部ですか?と聞こうとしたが、やめた。学部マウントを取っていると思われるのはまずい。
「なんだ?」
「えっと・・・どんなことを勉強されているんですか?」
「俺も詳しくはないんだが、語学に力を入れているらしい。外国人の講師がいると聞いたな」
語学系の学部か。
「へぇ、そうなんですか。本格的ですね」
「ああ。この間は、英語で歌を歌ったみたいだ」
うちは経済学部なんだけど、けっこう厳しいみたいなんだよな。学部によって雰囲気が全然違うんだな。
「なんだか楽しそうですね。うちとは大違いだ」
「楽しくなさそうなのか?」
「ええ、うちの子は金融や経済の勉強ばかりですから」
「それってめちゃくちゃ難しくないか?」
「難しいですよ。パソコンで経済新聞とか読みながら、いつも愚痴ってます」
「パソコンで経済新聞?!すごいな!」
部長が目を丸くして驚いている。まぁ、最近の若者は新聞を読まないから、めずらしく感じるのだろう。
しかし、年頃の女子大生の実態は、親である僕でもよくわからないことが多い。
「それにしても、文句ばっかりで嫌になっちゃいますよ」
「うちも女の子なんだが、口が達者でな」
「部長のところもそうですか」
「ああ。『友達と遊ぶからお小遣いちょうだい』とかな」
「うちもあるあるですよ、それ!」
「だから仕方なく500円玉を渡すんだけどな」
「え、少なくないですか?」
「500円で十分だろ。君はいくら渡しているんだ?」
「そうですね・・・5,000円くらいですかね」
「それは多すぎだろ!」
けっこうお金に厳しい人なんだな、部長。
「部長、けっこう厳しいんですね」
「そうか?でも、門限は割と遅い方だと思うぞ」
「何時ですか?」
「夕方の6時だ」
「いや、早すぎますって!」
「そんなことないだろ」
「早いですって!うちは門限ないけど、夜の9時には帰ってきますよ」
「夜の9時?!ダメだろ!そんな遅くまで放っておいたら!」
「大丈夫ですよ。友達の家で酒飲んでるだけでしたから」
「酒?!何さらっと言ってんだ!まだ飲んじゃいけない年齢だろ!」
「そうですけど・・・」
確かにお酒はハタチからではあるが、19歳の大学生なら別にそこまで怒ることでもないと思うんだけど。
なんか、部長の機嫌が悪くなっている気がする。これはまずい。話題を変えよう。
「あ、もうすぐクリスマスですね。部長は家族で過ごすんですか?」
「ああ、まあな。でも、毎年プレゼントを用意するのが大変でな」
ほう、大学生になってもプレゼントをあげているのか。実は優しいのかな?
「今年は『サンタさんにプリキュアのおもちゃをお願いするんだ!』ってはりきっちゃってな」
「え、サンタさん?プリキュア?」
「そうなんだよ。一生懸命手紙まで書いちゃってさ」
なんか純粋な娘さんだな。
「君は何をあげるんだ?」
「うちは何も。そもそも家族で過ごしませんからね」
「そうなのか?」
「ええ。彼氏の家で過ごすからって」
「なんだって?!彼氏だと?!?!?!」
「どうしました?」
「けしからん!誠にけしからん!君はどういう教育をしているんだ!」
「す、すみません!とりあえず落ち着いてください!」
しまった。地雷を踏んでしまったようだ。
やっぱり相当厳しい人だ。
「すまん。ついカッとなってしまった」
「いえいえ、僕の方こそすみませんでした・・・」
気まずい。なんとかして機嫌を直してもらわないと・・・!
「そうだ!部長、これ娘さんにプレゼントです!」
「これは?」
「うちの娘に頼まれて買ったんですけど、『友達にプレゼントでもらったからいらない』って言われてしまって。好みかどうかはわかりませんが、よかったら」
「そうか、ありがとう。中身は何だ?」
部長が中身を確認しようとした瞬間、幹事が締めの挨拶を部長に振ったので、そのまま歓迎会は終了した。
部長の娘さん、気に入ってくれるかなぁ。
◇
1か月の出張から帰ってきたその足で、俺は居酒屋に直行した。12月に人事異動があり、我が総務部に新しい社員がやってきたのだ。
虻川というその社員は、5年前に中途採用されたらしいが、なにぶん機会に恵まれず話したことがない。この歓迎会で少し話せるといいのだが。
しかし、俺は不器用だ。なかなか若いやつらに話しかけることができない。今日もいつものように、席の隅で熱燗をすするだけで終わってしまいそうだ。
そんなことを考えていると、虻川のほうから挨拶に来てくれた。
「部長、お隣よろしいですか?」
「ん、ああ」
虻川が横に座る。彼が日本酒の入った徳利を手に取ったので、「おお、すまんな」と言いながら持っている猪口を差し出した。
「これからよろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそよろしくな」
「そういえば、部長のお子さんって慶應なんですか?」
「そうだ」
「実は、僕の娘も慶應なんですよ」
「そうなのか?偶然だな」
「偶然ですよね!」
我が家は妻が教育熱心で、「どうしても私立に行かせたい!」と息巻くもんだから、小学校からお受験だ。俺は校区どおりの小学校でいいと思ったんだがな。
でも、本人は楽しくやっているようだから、これでよかったのかもしれない。
「部長のお子さんは何年生ですか?」
「3年生だよ。君のところは?」
「うちは2年生なんですよ」
「そうかそうか。それにしても、お互い金がかかって大変だな」
「まぁ、そうですね。僕は『行きたくないなら働けばいいよ』って言ったんですけどね」
「なんでだよ。行かなきゃダメだろ」
「え、そうですか?」
こいつは小学校に行きたくないとゴネる娘に労働させようとしたのか?まだ年端もいかない子どもなのに?なんてやつだ。
でも、ここで強く否定して、パワハラだなんだと騒がれるのもよくない。言い回しには気をつけないと。
「慶應以外にも行くところはたくさんあるからな」
「それもそうですね。あ、部長のお子さんって・・・」
うちの娘の方が1年先輩だから、知らないことも多いだろう。俺の知っている限りは教えてやりたい。
「なんだ?」
「えっと・・・どんなことを勉強されているんですか?」
「俺も詳しくはないんだが、語学に力を入れているらしい。外国人の講師がいると聞いたな」
なんでも、”楽しく学ぶ”というのが3年生の今年度のテーマらしくて、英語の授業ではイラストを使ったり、クラスのみんなと一緒に歌って踊ったりしているそうだ。
「へぇ、そうなんですか。本格的ですね」
「ああ。この間は、英語で歌を歌ったみたいだ」
「なんだか楽しそうですね。うちとは大違いだ」
「楽しくなさそうなのか?」
「ええ、うちの子は金融や経済の勉強ばかりですから」
金融?経済?うちの娘のときはそんな授業はなかったはずだが・・・いつの間にそんなハイレベルになってしまったんだ?
「それってめちゃくちゃ難しくないか?」
「難しいですよ。パソコンで経済新聞とか読みながら、いつも愚痴ってます」
「パソコンで経済新聞?!すごいな!」
パソコンを使いこなせるだけでもすごいのに、経済新聞まで読んでいるのか。なんて優秀な娘さんなんだ。
「それにしても、文句ばっかりで嫌になっちゃいますよ」
「うちも女の子なんだが、口が達者でな」
「部長のところもそうですか」
パソコンで経済新聞を読む虻川の娘さんとは正反対で、うちの娘は遊び盛り。宿題もろくにせず、友達と遊んでばかりだ。
「ああ。『友達と遊ぶからお小遣いちょうだい』とかな」
「うちもあるあるですよ、それ!」
「だから仕方なく500円玉を渡すんだけどな」
「え、少なくないですか?」
確かに、娘には「えー、これじゃプリクラしかできないじゃん!」と言われる。しかし、小学3年生にはこれくらいで十分ではないか。
「500円で十分だろ。君はいくら渡しているんだ?」
「そうですね・・・5,000円くらいですかね」
「それは多すぎだろ!」
5,000円はあまりにも多くないか?今の時代はそういうものなのか?うう、わからん。
「部長、けっこう厳しいんですね」
「そうか?でも、門限は割と遅い方だと思うぞ」
「何時ですか?」
「夕方の6時だ」
お小遣いが少ない分、時間の制約はなるべくしていないつもりだ。これは、なかなかめずらしいだろう。
「いや、早すぎますって!」
「そんなことないだろ」
「早いですって!うちは門限ないけど、夜の9時には帰ってきますよ」
上には上がいた。というか、小学生をそんな遅くまで放置するなんて、どういう神経をしているんだ?
「夜の9時?!ダメだろ!そんな遅くまで放っておいたら!」
「大丈夫ですよ。友達の家で酒飲んでるだけでしたから」
ささささ酒?!?!?!
「酒?!何さらっと言ってんだ!まだ飲んじゃいけない年齢だろ!」
「そうですけど・・・」
小学生が酒飲んでもお咎めなしだと?うっわー、ヤバい親だなこいつ。大丈夫かな・・・
「あ、もうすぐクリスマスですね。部長は家族で過ごすんですか?」
「ああ、まあな。でも、毎年プレゼントを用意するのが大変でな」
そういえば、娘が今年もサンタさんにプレゼントをお願いしていた。あの、なんだっけ、プリキュア?のおもちゃだったような。そうだそうだ。まだクリスマスまで2週間近くあるのに、もう手紙まで書いてはりきっていた。
「今年は『サンタさんにプリキュアのおもちゃをお願いするんだ!』ってはりきっちゃってな」
「え、サンタさん?プリキュア?」
「そうなんだよ。一生懸命手紙まで書いちゃってさ」
女の子は、やっぱりプリキュアが好きなんだろうか。ほかの家の意見も聞いてみたい。
「君は何をあげるんだ?」
「うちは何も。そもそも家族で過ごしませんからね」
「そうなのか?」
「ええ。彼氏の家で過ごすからって」
かかかか彼氏?!かかかか彼氏?!
ませているにもほどがあるだろ!
そしてこいつもなんなんだ?!なぜそんなに平然としていられるのだ?!
こいつもそうだが、相手の親も親だ!不純すぎる!!!
「なんだって?!彼氏だと?!?!?!」
「どうしました?」
「けしからん!誠にけしからん!君はどういう教育をしているんだ!」
「す、すみません!とりあえず落ち着いてください!」
しまった。つい怒り心頭に発してしまった。
パワハラと思われただろうか。
「すまん。ついカッとなってしまった」
「いえいえ、僕の方こそすみませんでした・・・」
ううむ。俺の育て方は間違っているのだろうか。
「そうだ!部長、これ娘さんにプレゼントです!」
「これは?」
「うちの娘に頼まれて買ったんですけど、『友達にプレゼントでもらったからいらない』って言われてしまって。好みかどうかはわかりませんが、よかったら」
「そうか、ありがとう。中身は何だ?」
中身を確認しようとした瞬間、幹事に締めの挨拶を振られたので、そのまま歓迎会は終了した。
家に帰り、虻川にもらった包みを娘に渡した。娘は嬉々として包装紙をビリビリと破く。
中に入っていた箱を開けると、百貨店の限定デパコスセットが入っていた。
娘はきょとんとしている。
あいつ、どういうつもりだったんだ?
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